第14話



「ヒナ、またかぜ引いたの?しょうがないなあ。わたしがかんびょーしてあげるね」



誰かの声がする。

その声はひどく懐かしく思えるものだった。


「わたし、パパみたいになるんだ。だからもしわたしが『けんじさん』になったらヒナを助手の人にしてあげるね」


知らない少女は僕に向けてそんな風に話し掛けてくれていた。


「じゃあボクはカナのために頑張って勉強するね」


「うん、一緒にがんばろ!」


「そうなったらボクはカナのおむこさんになるよ」


「『おむこさんになる』ってけっこんするってこと?」


「うん。そしてカナはボクのおよめさんになるの」


花畑の中で編んだ花冠をお互いに交換し合った。


これが婚約指輪の代わりだった。


それが幼稚園時代の僕の記憶。




10歳になってすぐの頃に交通事故に遭った。お母さんと幼馴染みだった『カナ』と三人一緒に大型トラックに轢かれた。


何とか一命を取り留めて、『カナ』の無事を確認して、心の底から安堵した。


ただ、母親の女性は目を覚まさなかった。


事故の影響か、元々身体の弱かった僕は血の巡りが良くなくて頻繁に貧血で倒れるようになった。心臓が上手く機能せずに心臓の病気を患ってしまった。


父親の男性が来て僕にその話をしてくれて、僕はすぐに手術を受けることになった。


心臓移植という手術。

亡くなった誰かの心臓をもらう手術。


当時の僕は難しいことは分からないから父親の男性の判断で手術を受けることを決めた。


手術が終わって目を覚ますと胸には大きな手術痕が残っていた。


特に問題も起こらず、健康なまま退院した。退院直前の診察で医師は「こんなに心臓が定着するなんて非常に稀だ」なんて言って驚いていた。


その日から少しずつ色んな事への感じ方が変わったと思う。


暴力を振る男性が嫌いだった。汚い物を見るのが苦手になった。逆に小綺麗な物が大好きになった。

幼馴染みを『カナ』と呼ぶのが何故かとても心地良く感じた。


冬の頃に僕は学校帰りに知らない男性に車に連れ込まれ誘拐された。


車に乗せられる直前、別れ際最後に見た『カナ』の顔が心に残った。


「くそ、こいつ別人じゃねえか。紛らわしい見た目しやがって」


どうやら男性は誰かと勘違いして僕を誘拐したらしい。

それが分かり、用済みとなったのか男性は運転していた車を途中で停めて僕を降ろしてからそのまま去っていった。


放り出されてしまった僕は知らない土地を彷徨った。


たまたま行き着いた場所はとある空手道場だった。


僕は『唯野』と表札が貼られているその家に預けられることになった。


周囲の人から『ウタ』と呼ばれるお兄さんが僕を可愛がってくれた。

時折遊びに来る『あさ』と呼ばれるお姉さんが女性の色々を教えてくれた。女の子の服をくれたりメイクなんかもしてくれた。


それから1年が経ち、『あさ』さんが子供を妊娠した関係で僕はその家で一人で居ることが増えた。


ある日、道場に通う男子の一人に着ている服や仕草なんかについてからかわれて喧嘩になった。

喧嘩の途中、始めたばかりの僕より断然上段者の彼に殴り飛ばされ道場の柱に思い切り頭をぶつけた。


しばらく意識が戻らず、病院で眠ってしまっていた僕は目を覚ますと何も憶えていなかった。


何日かそうして過ごして病院にいることだけは分かった。だけどどうしてここにいるのかについての記憶は無く、その違和感が気持ち悪くて病院から逃げ出した。


逃げて逃げて、けれど何処に向かえばいいのかも分からなくてとにかく走った。


走って走って、挙句の果てに空腹で道端に倒れた。

思えば病院では点滴のみだったし、逃げ出してからは何も食べていなかった。


一週間以上飲まず食わずを続けてきた。そのせいで栄養失調になり、道端でぶっ倒れた。


目を覚ました場所で少女と女性に囲まれて『彼方』という名前をもらった。


それは口にしてみると妙にしっくりくる名前だった。




>


夢を見ていた気がする。


目が覚めて起き上がると足元に陽葵の頭があった。


看病してくれていたのかもしれない。


以前とは立場が正反対だな、と少し可笑しく思えた。


「起きて、ひな」


「……んあ」


よだれを垂らして眠っていた陽葵に声を掛ける。


突然頭が起き上がってきてまたもぶつかりそうになった。すんでのところで躱せたことに安堵する。


「……かな、おはよう。体調はどう?」


「うん、寝る前よりは少し楽かも」


陽葵は寝ぼけ顔のまま目を擦りながら訊いてきた。


僕の額のすっかり温くなった冷えピタを剥がしてから陽葵は自分の額を僕の額に押し当てて熱を測る。


初めて会った日には何も思わなかったその行為が今は胸が苦しくなるくらいドキドキした。


「だいぶ熱は下がったみたいだね」


「……うん、ありがとう」


「うーん、やっぱり声が少し掠れてる。咳は出てないのにね」


「これ、もしかして『声変わり』ってやつなのかな」


「あー、そうかも。今ちょうどそういう時期だもんね」


「これからどんどん声低くなっちゃうんだね。嫌だな」


「……そう、だよね」


陽葵に肩を貸してもらいながらベッドから起き上がって部屋を出た。


椅子に座らせてもらって、ご飯を用意してくれている陽葵の姿を目で追いかけていた。


用意されたのは梅干しの入った雑炊だった。


温かくて美味しかった。


食後は清涼飲料水を飲んで口の中を冷やしつつ喉を潤した。


体温計で測ると37.4度で微熱程度には下がっていた。

それでもまだ頭痛がしていて、目眩もある。

頭がクラクラする感じが残っている。


「まだ体調悪そうだね。薬飲んで寝よっか」


昼間施設長さんが訪ねてきて薬を用意してくれていたらしい。そのくすり袋を開くとそこに入っていたのは全て粉薬だった。

錠剤でもカプセル錠でもなく苦い粉薬っていうのがなんだかとても施設長さんらしいかった。


「……うっ、苦」


「『良薬口に苦し』だからね」


渋い顔をする僕を見て、ひな が慰めにもなっていないようなことを言った。


ベッドで横になると、当然の如く陽葵も隣に入ってきた。

また熱が出そうだった。今度は別の意味で。


身体が無駄に熱い。冷却剤が全然効かない。


熱い。


「ひなは誰か好きな人っている?」


頭が痛いからか、身体が熱を持っているからなのか。

とにかく思考がまともに働かない僕はとんでもないことを口走ってしまった。


「……っ、どうしたの急に」


「ううん、気になって」


あまりに突然訊いてしまったせいで、陽葵は動揺しながらベッドから転げ落ちそうになった。彼女は自分の頭を撫でながら姿勢を整え直した。


「私、いるよ。『好きな人』」


「……そっか」


「うん」


意外にも頷かれてしまって、少しショックだった。


「かなは?」


「いるよ」


「そうなんだ」


「ねえ、ひなは男性とそういう事するのが好きなんだよね」


「そうなのかな。必要だからやってるだけなんだけど、でも嫌いじゃないし好きなのかな。ごめんね、よく分かんないや」


「もし僕がやめろって言ったら、やめる?」


「どうだろう。『その日一日だけ我慢しろ』とかって話なら従うかもしれないけど、これからずっとするなって言われちゃうとそれは無理かも」


「なんで?」


「前にも言ったでしょ、必要な事だからだよ。女の身体を保つ為にも精神面を維持するためにも、ね」


「そっか、やっぱりひなにとってはどうしても譲れない事なんだよね」


「うん、そうだよ。でもどうしてこんな事を訊くの?」


「勝手な話かもしれないけど、僕は正直そんなひなを見るのが辛いんだ。いつもボロボロになって帰ってくるひなを見るのが。今までだってひなにとってそれが大事な事だって、そう思ってたから何も言わなかった」


「うん」


「でもこないだみたいに色々盛られて危ない目に遭って。ひながこれからもそういう目に遭うんだって思ったらすごく嫌で」


「うん」


「なのに最近何でか分かんないけど、そういう目に遭ってるひなを想像してしまって変な事考えちゃう自分がいて、それが堪らなく嫌だった。変な目でひなの事を見ちゃって気まずくて、まともに顔を合わせるのが怖かった」


「……うん」


「ごめん。ごめんね、ひな。僕はひなをそういう風に扱ってきた男性達が憎いはずなのに、僕自身もそういう事考えちゃった。本当にごめん」


「……謝らないでいいよ。それは多分仕方がないことだと思う。私も色々無神経だったと思うし。年頃の男の子がどんな事考えるのかって知っていたはずなのにね」


僕は話しながら涙を抑えるのに必死だった。しかし、抵抗虚しく涙はとめどなく溢れてくる。

相も変わらず頭が回っていなくて、考えがまとまらない。

思いつきでしか喋れなくなってしまっている。


「ねえ、ひな。僕じゃダメかな」


「……えっ?」


「相手をするの、僕じゃダメかな」


「何言ってるの。そんなのかなにさせられるわけない。だいいち、『好きな人』が居るんでしょ。ならそういうのはその人に……」


「ひな だって、『好きな人』いるのにそういう事してるじゃん。ひな の『好きな人』はそういう事をする相手の中にいるの?」


「……それは、そうじゃないけど。でもだからって私のためにかなが無理するのはなんか嫌だ」


「無理なんてしないよ。だって僕の『好きな人』はひな、だから」


「……えっ」


「僕はひなが好きなんだ。気づいたのは最近だけど、でもずっとそうだったと思う。ここに来てからずっと一緒にいて、一緒に居れない時は辛くて寂しかった。そのひなが知らない男性とそういう事をしているのも、怪我をして帰ってくるのも。ずっと見るのが辛かった。ひなが怪我をして帰ってきた時はそんな目に遭うひなが可哀想で悲しくて、でも何もしてあげられなくて情けない気持ちになった。いつか居なくなっちゃうんじゃないかって、ずっと……怖かった」


「……、そっか。ごめんね、ずっとかなに心配掛けちゃってたんだよね」


ひな はそう言って僕を抱き締めて、頭を撫でながら慰めてくれる。いつもは僕がしてる事だけどされると結構気持ちが良かった。


「『男』としてそういう事をしてしまったら、かなはきっと後悔すると思う。それでもしたいと思う?」


「うんん、それがひなの為になることなら後悔なんてしない……。とか言ってひなとそういう事したいだけかもしれない。ごめん」


「それはいいけど。本当に後悔しない?」


「うん、後悔しない」


「……そう。なら、いっか」


そう言って僕を引き剥がして、陽葵は服を脱ぎ始めた。


今までだって何度も見てきた彼女の裸。あまり凹凸の無いスラッした肢体。

それを眺めながら僕も焦り焦り服を脱いで裸になった。

今からそういう事をするんだって考えて緊張する。身体が強ばってしまって思うように動かせない。


「じゃ、しよっか」


「……はい、よろしくお願いします」


「ふふ、なんで敬語なの。リラックスだよ、リラックス」


「う、うん……」


ぎこちない動作で陽葵の身体に触れる。


彼女は手馴れた手つきで僕の身体に触れて、身体中に唇を這わせた。自分の身体がビクビクと震えながら激しく脈打つのが分かる。


ひと通り巡ってから陽葵は背中に手を回して僕の胸に抱き着いてきた。


鼓動の音を聞いているのだろうか、左胸にピッタリと顔をつけてそのまま動かなくなった。その頭を抱いてしまっていいのかどうかも分からないまま腕が行き場を失っていた。


「かなのこの胸の傷、なかなか消えないね。触っても痛くないの?」


「うん、何で出来たのかよく分からないけど全然痛くは無いから大丈夫だよ」


「そっか」


胸から顔を離した陽葵はそう言って胸の傷をスーッと指で撫でてきた。

なんだか無性にむず痒い。


今度はひなが首に腕を回してきて顔を近づけてきた。

緊張しつつ口を噤んだ僕だったが、しかし口にはなんの感触も届かなかった。


代わりに僕の額に彼女の額が当たった。


「私『好きな人』いるって言ったじゃない?」


「……うん、言ったね」


どうしてこういう時にその話をするのか、少し苛立ちを覚えつつ返答した。


「最近外の男性としててもその人の事ばっかり考えててあんまり行為に集中出来なくてね。その結果暴力を振られたりしてたの」


「そうなんだ、って……。あっ、僕は暴力なんて振るわないからね」


「……もう、何言ってんの。そんなの、分かってるよ」


そう言った陽葵は軽く頭を後ろに引いてから僕の額に頭突きをしてきた。それだけでは済ませず、僕の頬を抓った。


しばらくそうしてその手を離してから今度は頬に優しく手を添えた。


「一時期はせっかく性依存から抜けられそうになってたんだけど、たまたまその人の精液の匂いを嗅いでしまって、その人としたいって欲が止まらなくなった。けれどそんなこと出来ないから紛らわそうとして他の男性としたけど身が入らなくて」


赤裸々エピソードというものだろうか、裸で抱き合いながらする話ではないと思うけど。

いや、だからこそ赤裸々な話が出来ているのかもしれないけど。


「意識しちゃダメだって思ってても自然とその人の事ばかり考えて、その人のことを目で追いかけてた。身体が疼いて、耐えられなくてディルドで一人でしたりもした。その人への気持ちを溜めに溜めて、無理矢理抑え込んで。その結果暴走して酒と媚薬を盛られて好き放題されて、あんな風になっちゃったんだ」


本当にその人の事が好きなんだな、とそう思った。ずっと想い続けて、でも気持ちを打ち明けることが出来なくて悶々とした日々を送っていた。

なんだか最近の僕みたいだ。


──ひながそこまで言う男性って誰だろう。


それがどうしても気になって、醜い嫉妬心が芽生えてしまう。


「かな、だよ」


僕が頭の中で考えていた疑問に答えるかのように陽葵がそう言った。

そう言って僕の名前を言った。


「……えっ?」


「私はずっとかなが好きだった。私と一緒に居てくれて気遣ってくれて受け入れてくれたかなが大好きだった。

だからさっきかなが話してくれた時、互いに想い合ってたんだって気づけて嬉しかった。本当は、ずっとこうしたかった」


そう言って陽葵は僕の唇にキスをした。


初めてのキスはとても気持ちが良かった。十秒近くも息を忘れて唇を重ねていた。

流石に苦しくなってどちらからともなく顔を離して、自分の顔の熱を感じながら彼女と顔を見つめ合った。


目の前の彼女も顔を真っ赤に染めていて、僕は気持ちが通じていることを感じて悦んだ。


「なんかこういうの恥ずかしいね」


「いつもしてるんじゃないの?」


「流石にこんなに気持ちが良いキスは初めてだよ。かなが相手だからかな」


そんな彼女の一言に情欲を煽られて、彼女を抱き締めた。

そして貪るように何度も何度もキスをして、そのまま彼女に押し倒された。




そこからのことはよく覚えていない。


気づいたら全てが終わっていて、目の前で陽葵がぐったりしていた。

声を掛けると息も絶え絶えなままに陽葵が抱き着いてきてもう一度キスをした。


「かな、ありがとう。大好き」


唇を離してそれだけを言って陽葵は僕の胸の中で眠った。


僕は陽葵を抱いたまま悶々として、結局眠れずに時間を過ごした。




「……ひな、もう朝だよ」


窓の外を見て朝日が昇ったのが分かると、気持ち良さそうに眠っていた陽葵に声を掛けた。


目を覚ました陽葵は裸な自分と僕の姿を見て顔を赤くした。慌てて僕を突き放してから着替え始めた。

少し名残惜しさを感じつつ僕も同様に着替えをした。


「……おはよう」


陽葵は佇まいを正してから改めて挨拶をしてきた。

やっぱりまだ顔は赤いままだった。

昨夜の事を思い出しているのかもしれない。


まあそれに関しては僕も人のことは言えないけど。


着替え終わった彼女は体温を測るためだと言って僕の額に自身の額を当ててきた。

陽葵は動揺する様子も見せずそれを行い、結果を伝えてくれた。

特に熱くはないらしい。

その後、改めて体温計で熱を測ると36.7度だった。

昨夜たくさん汗をかいたおかげか、熱は平熱まで下がっていた。


一緒に朝食を摂って、いつものように勉強の時間になった。

横並びに座って教えてもらいながら問題を解く。自然と互いの距離が近づいて、触れて反射で身体を離してしまった。


「あっ、ごめんね」


「ううん。気にしないで」


そう言って陽葵は少し椅子をずらして座り直した。


昨日あんな事があったにも関わらず、彼女はいつも通りに思えた。

一人で緊張してしまってるのが恥ずかしい。


昼前になり、陽葵は保育園へと向かうために準備を始めた。


「ねえ、かな。身体拭いてくれない?昨日お風呂入れてなくて気持ち悪くて……」


「そっか。昨日はずっと看病してくれていたもんね」


「まあ、それだけが理由ってわけじゃないけどね」


彼女はいつも通りな様子で当たり前のように僕の前で服を脱いで裸になった。


今までも何度かこうして身体を拭いてあげる事はあったけど今はほら、色々と心境の変化もあったんだし、もう今まで通りの関係とはいかないわけで……。


それとも普段通りでいた方がいいのだろうか。

互いを受け入れ合ってした事なのだから、変に意識する方がおかしいのだろうか。

それなら今まで通りに過ごした方がいいのだろうか。


結局考えても埒が明かず、今まで当たり前のようにしてきた事だからと無理矢理に頭を切り替えた。

というかそうでもしないとやっていられないと思った。


ぬるま湯に浸したタオルで身体を拭いてあげる。当然僕が拭くのは背中側だけ。前側は後で自分で拭いてもらう。

じゃないと色々と耐えられないと思うし。


「……んんっ」


身体を拭こうとして腰に触れた時に陽葵が艶めかしい声を出した。


「ご、ごめん。変なとこ触っちゃった?」


「……ううん、そういうわけじゃないから。私の方こそごめん」


陽葵の顔は見えないけど髪の間から覗く耳が真っ赤になっていて赤面しているのが分かる。


変に刺激を与えないように気をつけながら優しく丁寧にタオルで身体を拭いてあげた。


「ひな、背中は拭き終わったよ」


「うん。ありがとう」


タオルをお湯に浸して絞り直してから陽葵に渡した。陽葵はそのまま前側を拭き始めてしまった。


僕は慌てて目を逸らし新しいタオルを用意してから自分の身体を拭き始めた。流石に陽葵みたいにリビングで裸になる気にはなれないので服を着たまま拭いた。


陽葵は濡れたタオルと脱いだ衣服を洗濯カゴに入れてから部屋に入っていった。


そこでようやく緊張が解けて椅子にへたり込んでしまった。

赤裸々にお互いの気持ちを打ち明けて少し楽になると思った。


けれど、陽葵が普段と何も変わらない様子で過ごしていることに少し不満というか寂寥を感じるというか。

それはそれで一人で舞い上がっているみたいで、馬鹿みたいに思えてしまった。


そんな僕の気持ちは露知らず、陽葵はいつもよりオシャレな服に身を包んで部屋から出てきた。


「どう?この服可愛い?」


「うん、可愛いし似合ってるよ。そういう可愛い感じの服も持ってたんだね」


「今までは年齢偽って相手に会ってたんだし、それ相応の服を着なきゃダメだと思って仕舞っていたの。だけどもうその必要も無いからね。思い切って引っ張り出して着てみた」


「そうなんだ」


「……それにほら、ちゃんとかなの『彼女』っぽくしなきゃいけないと思って」


「ひな、それって──。」


「お互いに好意を伝え合って、そういう事だってして。私はもうそのつもりだったんだけど、かなは違うの?」


「いや、僕もそうなるものだと思ってたけど……。っていうかそういう訊き方って何かずるくない?僕の気持ちなんてとっくに分かってる癖に」


「分かってるけど、ちゃんとかなの言葉で聞きたいんだよ。じゃないと私が一人でその気になってるみたいで恥ずかしいじゃん」


「……はあ、人の気も知らないでさ。

でもそうだよね。ちゃんと僕の言葉で伝えないとダメだよね」


外の世界で生きている人達は告白ってどんな風にするんだろう。僕は記憶も無くて施設の外へ出ることもほとんどないからそういう事に関してはひどく無知だ。


だからこそ考えても仕方がない。何も考える必要が無いのなら、僕のありのままの気持ちを伝えればいい。


「僕はひなが大好きだし、ずっと一緒にいれたらなって思ってる。『彼氏』って感じにはなれないかもしれないけどそれでも良ければ僕とずっと一緒にいてください」


「……ふふふ、もちろんだよ」


そうして僕らは『兄妹』のまま『恋人』になった。




夕方帰ってきた陽葵と今日もまた二人で房事に耽った。二度目ということもあって僕はすんなり臨めていたと思う。


「僕はもしかしたら、他の人にひなを取られたくなかったのかもしれない。もちろん危ない目に遭って欲しくない気持ちもあるけどそれだけじゃなくて、ひなが相手をしてきた他の男性達にひなを取られたくなかっただけかもしれない」


「そっか。かながそんな風に思ってくれてたんだとしたら素直に嬉しいな。私もね、今まで色んな人としてきたけど、こういう事してこんなに温かい気持ちになったのはかなが初めてなんだよ。やっぱり『愛』って大事なんだって思うし、かなで良かったなって思うよ」


事後、陽葵はそういう風に話してくれた。




ある日の事だった。


いつものように夕方に差し掛かる頃に帰ってきた陽葵を出迎えて、彼女に求められるままにキスをした。十数秒ほど唇を重ねて互いに我慢が出来なくなってそのままリビングで行為に及んだ。


「私子供達の面倒を見ていると、昔を思い出すの。そして本当の家族の事を思い出して、人肌が恋しくなる。私の勝手な事情に付き合わせて、ごめんね」


事が終わり二人して寝そべったままの状態で僕の胸の傷を撫でていた陽葵がそんな風に謝ってきた。


「ううん、それで陽葵の気持ちが楽になるなら何度だって相手になるよ」


「そっか、ありがとう」


そう言って唇を重ねて、二度目に入ろうとした時だった。


ガチャと音を立てて玄関のドアが開いた。


「ただいま……、って貴方達何して……!」


仕事から帰ってきた真利愛さんが裸で抱き合う僕らの姿を見て驚愕に顔を染めていた。


「えっと、これは……」


「はあ……、説明はいいからまずは二人とも着替えなさい」


「「……はい」」


二人同時に返事をして着替え始めた。

その間、真利愛さんは頭を抱えながら購入してきた物なんかを片付けていた。




少し前から真利愛さんが度々家に帰ってくるようになっていた。


例の世話係の件で、結局誰も担当を引き受けてくれる人が見つからなかったらしく、施設長さんが来てくれることになったいたけれど、彼女がどうしても来ることが出来ない日は真利愛さんが来てくれた。


そこは真利愛さんと施設長さんの間で何か話し合ったのだろう。

最近は施設長さんの『どうしても来ることが出来ない日』が増えてきて、真利愛さんが帰ってきてくれる日が増えた気がする。


今日がその日だとは思わなかったけど。




僕達は彼女に何から何まで全てを話した。


互いの気持ちを確かめ合って、一線を越えて『恋人』って関係になった事。

陽葵のダイレーションも兼ねて毎日毎日身体を重ねていること。


今までどういう思いで二人で生活してきて、そういう結果になったのかという事まで全て話した。


「……事情は分かったわ。まあずっと一緒に暮らしてたんだし、陽葵の事もあるし、いつそうなってもおかしくはないとは思っていた。だからもしそうなった時には祝福してあげようってずっと思ってきたんだけど、いざそういう所を目撃してしまうとやっぱり動揺しちゃうわね」


「それってつまり……?」


「別にどんな関係でいたって二人が私の子供だって事実は変わらないんだし、それが互いを想い合う関係だって言うなら、尚のこと私から言う事は無いわ」


以前から予感があったらしい彼女はそう言って悲しむでも怒るでもなく、僕達の仲を認めてくれた。


「ただ節度は大事だから、そういう事をするんなら部屋でなさい。見たのが私だったから良かったけど、それが『施設長』さんだったら猛反対したと思うし、きっと大変な事になってたわ」


「……はい、気をつけます」


「話はここまで。お腹空いたでしょ、ご飯にしましょう」


そう言って三人で夕食を食べて、一緒の時間を過ごしてリビングに布団を敷いて三人で眠る。


最近はこうした親子水入らずな時間が増えていて、少し嬉しく思う。




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