第8話
私が小学校を卒業して、中学校への進学が目前と迫った頃。妹が生まれた。
『
その時ばかりは家族で大盛り上がりだった。
私はエスカレーター式で進学する中学校への準備やら卒業後に手をつけず溜めてしまった課題の消化やらで忙しい日々を送っていた私だったが、妹の事が頭から離れずに良い意味で何にも手がつけられなくなっていた。
妹のことを思い出し、その流れでもらったばかりの卒業アルバムを見返して、所々で載っていた彼方の写真を見ては彼の事を思い出していた。
そして吉野からもらった一言を思い出しては自分を見直して考えるようになった。
春休み中、課題が終わらず何度か吉野に手伝ってもらったことがあった。
普段家でアニメ視聴やゲームばかりをして自堕落な生活を送っているらしい彼は何故か勉強が出来る。私の理解が届かない問題は難なくスラスラと解いてしまう。
生まれ持った才能が憎い。
そうそう、そういえば彼について少し不思議な出来事があった。
初めて吉野を家にあげた日の事だった。
私はなんとなく気恥ずかしくて今まで母に『仲良くなったクラスメイト』とは説明しても名前を名乗ったことは無かったのだった。
けれど初めて
私、吉野の事を話した事あったかな。話した覚え無いんだけどな。
あれがなんだったのか。今でも謎だった。
両親と再婚の話をしたあの日に初めて両親の過去に少し触れた。私はそれで両親のことを知れた気になって満足した。
けれど、今思い返すとそれだけだった。私が知っているのは、大事な場面ではあれどそれだけで、とても些細なものだった。明らかに知らないことの方が多いことに気がついてしまった。
年頃というかなんというか、色々とマセている私は現在知りたがりな時期に突入してしまっているのかもしれない。
さて、四月に突入して中学校への進級が迫り、いよいよ課題が危なくなってきた私はいつものように吉野を家に呼んで助けてもらうことにした。
彼はとっくに課題を全て終わらせてしまっていたようで、私は吉野に分からない所を教えてもらいながらゆっくりと課題を片付けていった。
国語は早い段階で終わり、続いて社会、理科と終わらせていった。
そして最後には算数の課題が手元に残った。
もういい時間になってしまって吉野も帰らなければならくなった。片づける順番を間違えた、と後悔した。
帰る間際、「仕方ないな」と言いつつ、吉野は解き終わった自分の数学の課題と丸写しする際のアドバイスみたいなものを書いたメモを渡してくれた。
私は彼に一生分の感謝をした。
「すごく今更ですけど、娘さんのこと。おめでとうございます」
玄関で靴を履いてから、私の父に対してそんなことを言った。
「ああ、ありがとう」
父はそう言うと吉野の頭を撫で回した。
そこで私は思った。本当に今更だったけど、私は彼の誕生日を知らない。けれど多分彼は私の誕生日は知っている。
家を出ようとしていた吉野を引き止めて、唐突に聞いた。
「そういえばだけど、吉野って誕生日はいつなの?」
「俺?俺は3月29日。ついこの間誕生日だったよ」
「えっ、そうだったんだ。おめでとう。知ってたらなにか出来たかもしれないのに」
「おう、ありがとう。誕生日だからって気にしなくていいさ。もう過ぎたんだし。それにもう色々と貰うような歳じゃないしな」
「そう、だけどさ」
「そんなことより、愛梨は課題を何とかしなきゃだろ。俺は誕生日云々よりそっちの方が気掛かりだよ」
「……はい。それは、頑張ります」
「おう、頑張れよ」
そう言って彼は帰っていった。
「じゃあ私、今日は少し夜更かしするから」
「ああ、頑張って課題終わらせてこい」
父に宣言した後、部屋に篭った。
吉野がメモに残してくれた丸写し術。
『
・難しい問題は基本的に無解答でもいいと思う。
・答えだけ書くのは丸写しがバレるから絶対にダメ。
・計算問題は解けそうなものは自分で解く。解けないものは式だけ丸写しして考える。その上で解けなければ答えは書かずに空欄にしておく。
・愛梨はいつもそんな点数取れないんだから、最終的な点数をいつもテストで取るような点数と同じくらいに調節する。だいたい45点前後が無難。
・こういう課題は「解いてみる」「考えてみる」ということ自体が重要だったりするので、そういう風に見える工夫をするとカンニングを疑われないから、工夫してみたらいいと思う。
』
結構細かく書かれていてビックリしたのと私の算数の大体の点数を把握されてしまっていることが恥ずかしかった。
とりあえず指示通りに一度全部の問題を見て分かる範囲で解答を記入した後に分かりそうで分からない問題を写した。
ここまでで30点にいかないくらいだった。
絶対に解けないだろう問題もとりあえず何かを考えた風を装って色々と書き込みをした。
無駄な労力を使って無事に算数の課題を終わらせた頃にはとっくに0時を回っていた。
>
進級式の日。
クラス表を眺め始めてすぐに愛梨が「私、5組だ!」と叫んだ。
愛梨は出席番号が一番上だったためにすぐに見つかったのだろう。
俺は多少時間が掛かったものの3組の中に自分の名前を見つけた。
「……クラス別々だな」
「そうだね。別々だね」
俺は少し残念だったが、彼女はそうでもないらしくサラッと返答した。
少しげんなりして見せた俺だったが、彼女に肩を叩かれ振り返るとドキッとしてしまった。
動けば触れてしまいそうな位置にまで彼女が迫ってきていたからだった。
「吉野、またしばらくの間よろしくね!」
彼女はそう言って笑っていた。
「ああ、よろしくな」
だから俺も笑顔で返答した。
廊下の前で分かれ、それぞれの教室へと向かった。
1-3の教室に入る。みんな緊張した面持ちでそわそわとしていた。
中には終わっていない課題を一生懸命終わらせようと別の意味でそわそわしている人もいたが。
始業の時間が迫ると教室の席が一つまた一つと埋まっていき、時間ギリギリで教室に入ってきた生徒を最後に全席が埋まった。
そして時間になり、一人の教師が壇上に立った。
「小学校から進級してきた生徒も。新たにこの学園に入学した生徒も。おめでとうございます」
その一言から始まって、担任教師の自己紹介が終わった。
出席番号順に廊下に並び体育館へと向かう。
「本校は質実剛健をモットーとして生徒一人一人のの自主性を重んじる学校を目指しております。従って──」
もはや定番ともなっている校長先生の長い話を聞いて、生徒代表の挨拶を訊いて、校歌を聴いて。
長い時間を掛け、進級式兼入学式は終わった。
そして戻った教室の後ろの方には各生徒達の親御さん達が来ていた。
そんな親御さん達の中に
ホームルームが終わるとそこでその日の課程は終了。担任の挨拶で解散となった。
ざわざわと騒がしい教室の中で侍女に父の伝言と共に祝辞を伝えられ、その事に感謝を述べてから侍女には家に戻るように言った。
俺は教室を出たあとで愛梨とその家族の姿を探し、そしてすぐに見つけた。
「あ、吉野だ!」
向こうも俺に気づいたらしく手を振ってくれた。
愛梨のお父さんに一言挨拶をして桜が舞う校門の傍で『入学式』のプレートを背景に愛梨と二人一緒の写真を撮ってもらった。
男子も女子もブレザーの制服に身を包んで生活をするこの学校は比較的校則が緩く不良が多い学校だった。
愛梨曰く、件の彼方の従姉である
中には入学式の翌日から髪を染めて登校して来た生徒もいるらしい。
そういう噂を耳にしてしまったからか、クラスメイトを疑心暗鬼の目で見るようになってしまったがためにクラスの誰にも声を掛けることが出来ずにいた。
三日目に登校した際には真後ろの席の男子が金髪に染めた髪で登校してきていた。
本当なら関わりたくないけど、どうしても関わらなければならない瞬間というのは必ずある。何かにつけて気を遣って接していた結果、彼が特に不良というわけではないことが分かった。
「趣味でブリーチししただけなんだ」と優しい声で教えてくれたのだった。
それから、部活動も盛んなこの学校は生徒達に部活への入部を強制していた。
『自主性を重んじる学校を目指す』との校長の言葉はなんだったのかと思ってしまうような校則だが、校則である以上は仕方がなかった。
帰宅途中、愛梨とその日の事を軽く話してから部活の話をした。
愛梨は身体を動かすことは得意なようでスポーツ系の部活を考えているらしい。
あわよくば愛梨と同じ部活に入ることを考えていたのだが、俺は運動は得意ではない。
なので彼女がそういう方向性を選ぶならばそれはとても難しいだろうなと思った。
「だったら俺は、文芸部にでも入ろうかな」
「まあ無理して運動するより吉野にはそっちの方があってるんじゃないかな」
「やっぱそうだよな……。愛梨はどうするんだ?」
「うーん、今のところはバレーとかバスケとかかなって思うけどさ。私右眼がこんなだし、それが影響しない部活がいいな」
「そういうことだったら陸上とかいいんじゃないか?陸上部って基本は走るだけだろ?それだったら問題なさそうじゃね?」
「……あー、なるほどねえ。ちょっと考えてみる」
そんな話をしている内にいつもの分かれ道に辿り着いた。
「じゃあ、また明日な」
「うん、また明日」
そう言って手を振り合って別れた。
帰宅すると侍女に出迎えられた。
定時になると侍女が食事を運んできて一緒に食事を摂る。
そして食事が終わると侍女と共に入浴をする。
今まで十年近く続けてきた習慣だった。
家族同然の侍女に一日の出来事を話しつつ、食事や入浴をした後は再び自分の自由な時間を過ごした。
>
後日、母と妹の退院に付き添うために私と父は病院を訪れた。落ち着かずに居ても立っても居られない私は緊張しながら母のいる病室へと向かった。
「愛梨も来てくれたのね。ありがとう」
「うん。久しぶりにお母さんに会いたかったし、舞菜にも挨拶したかったから」
妹を抱く母は私の知っている綺麗な女性のままだったけど、その上でそれを際立たせるような色っぽい雰囲気を纏っていた。
こういうのを ″大人の色気″ と言うんだろうか。
母は私に見えるようにと少し屈んでくれて、妹を見せてくれた。
小さい頭に小さい身体。試しに妹の手のひらに私の指を乗せてみると彼女は指を力いっぱい握ってくれた。
それがまるで「よろしくね」と言われてるようで私は嬉しくてドキドキした。
母は妹の特徴を見て「ここがあなたと違う」と一つ一つ挙げていっては私の顔に触れて笑っていた。
妹の頭に薄らと生える恐らく父譲りだろう紫色にも見える茶色の髪。
クリクリとした目とその目の奥にある赤色に近い茶色の瞳。
私とは違い顎の辺りにある点を打ったような特徴的なホクロ。
母は妹を抱くのとは逆の手で私の髪を軽く梳き、顔を右側につけている眼帯の上から軽く目を撫でて今はその眼帯で隠れてしまっているであろう位置にあるホクロにも触れた。
「妹が出来るってこんな感じなんだ……」
私は母に触れられながら左目から涙を流した。
妹は突然泣き始めた私を見て不安そうな顔をした。そして小さな手を必死で伸ばして頬に触れてくれた。
慰めてくれているんだろうと勝手な推察をし、笑顔を作りながら軽く妹の頭を撫でてあげた。
そんな私を肌で感じてかキャッキャと喜ぶ妹はとても可愛かった。
父は私達姉妹を微笑ましそうに見ていた。
退院してから母は久しぶりに、妹は初めて我が家に帰ってきた。
予め買っておいたご飯や飲み物などで軽くパーティをした。
母にはソファの上でじっとしてもらい妹の世話に専念してもらう。私と父とで準備をして始まったそれはそれなりに騒がしく盛り上がった。
小一時間騒いだ後で体力的な問題もあり母は少し疲れた様子。父はソファに座る母の隣に座り彼女の身体を支えてあげた。
私が反対側に座り、妹の相手をしてあげた。
これからずっとこの四人で幸せに過ごせたら良いなと、願い半分の希望を抱いて、私達は妹の誕生を喜んだ。
中学校生活が始まってから早くも一年が経った。
結局私は吉野のアドバイスを参考に陸上部に入部していた。
彼の言ったように基本的には走ることがメインの部活ではあったが、身体を動かすことなのでどうしても何処かで右側が見えないということが支障をきたした。
先輩達は優しい人ばかりだったし、時にそんな私のサポートもしてくれた。
ひたすら走り、そしてどうすればタイムが伸びるかを考えて、何度も何度も走る。
元々身体を動かすことが好きだった私にはこの部活がピッタリだったように思う。
同級生で私と同じように体育以外が不得手なタイプの生徒が一人同じ陸上部に入部していた。
彼女の名前は、
最初こそお互い関わることもほとんど無かったが、ちょっとした事で彼女と仲良くなった。
勉強が苦手ながらも彼女は彼女の父と同じ検事という仕事を目指しているらしい。
ただ何となく生きている私と違って、きちんと目標を持って生きている彼女のことを凄いなと感心してしまった。
「ただいま」
部活で疲れて帰宅した時には大抵母も妹も眠っていた。
母も妹の生活サイクルに合わせて寝起きをしているため、夕方から夜にかけてのこの時間に母が起きている事はそう多くない。
再婚してからというもの、父は警察官として仕事をしていた。ブランクこそあれど何とか復職することが出来たのだ。
家に居ることは少なくなってしまったものの、その分たまの休みには必ず私達家族との時間を作ってくれていた。
私はシャワーを浴びるとキッチンに立ち軽く料理をした。
簡単に作れるものしか作れないので最近の夕食は三品くらいの料理をローテーションしながら食べている。
ご飯を食べ終わると自室へ行き、その日の課題に着手するも途中でめげてしまって投げ出す。
そしてベッドに横になり、大して時間を掛けずに眠ってしまう。
いつも通りの時間に起きて自分で用意した朝食を食べてから学校に行く準備をする。
母の部屋を覗いて母と妹の二人が気持ちよさそうに眠るのを確認して「いってきます」と小さく声を掛けて、私は家を出た。
これが最近の私の生活リズムだった。
入学してすぐの頃は私はこの学校を良い学校だと思っていた。
生徒主体の生徒のための学校。
比較的校則が緩く、授業にさえ出ていれば何をしても許される。
だからこそ生徒の中にはガラの悪い連中だっている。
彼らが校内で何をしようと ″自主性″ の名の元に黙認されてしまっている。
教師は滅多なことが無い限りは生徒に干渉しない。
関わる事なんて授業や授業に関する質問に答えるくらいだ。授業をすることだけが彼らの仕事だった。
全ては生徒同士で解決するべきで、自分らは関係ない。
それがこの学校教師達だ。
私達はそんな教師の給料を稼ぐための道具。道具である私達を育てるのが彼らの仕事。
道具が不良品ならば放置してしまうか叩いて治すだけ。
私はたった何ヶ月かの中学校生活でこの学校のそんな現状を知った。
守ってくれる人がいない学校という檻の中で自分自身の力で生きていかなければいけないのだと、私は心に誓った。
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