第7話




「ねえ、邦枝くんとこのお母さんとお父さんってどんな人?」


遠足で目的地の公園に向かっている途中、唐突にそんなことを聞かれた。


朝から何か悩んでいるかのように顔を顰めていた彼女なので何かあるとは思っていたけど。


「うちは父さんしかいない。母さんは俺が生まれてすぐに死んじゃったらしいし」


「そうなんだ。ごめん、聞いちゃいけない事聞いちゃったかな」


「別にいいさ。ずっといないいんだし、寧ろ今までそれが当たり前だったから」


「そっか……」


うちは父子家庭というやつだった。けれど一般的なものとは違って、うちは母がいなくても給仕さんが居るような家だったから特に問題はなかったと思う。

だから別段困ったこともない。


彼女は俺の答えでは満足出来なかったらしく未だ考え込むような表情を続けていた。


「植村さん、家族関係で悩んでんの?」


「……えっ!ああ、まあそうなんだけど」


単刀直入に聞くと彼女は驚き、そして頷いた。


「私もさ、今までは母子家庭だったんだ。だから邦枝くんと同じようにそれが当たり前だったんだけどね。昨日、初めてお父さんに会ったの」


「へえ。どんな人だった?」


「不潔な感じ?髪の毛は整えられていないままの長髪だし、髭とか伸びっぱなしで何か嫌だった」


「それは、男の俺でもそれは嫌かも」


「だよね!……でもさ、多分なんだけど。お母さんはまだあの人のこと好きなんだと思う。それであの人も多分お母さんのこと好き」


「一度別れたはずなのに互いの再会を喜んでいるってことはそうかもな」


俺はまだ子供だから分からないが、離婚っていうのは大抵は痴情の縺れや互いの関係が上手くいかずにするものだって聞いた。だからそうでないんだとして、お互い想いあっているなら問題ないのでないだろうか。


悩む植村さんにとってだって別に悪いことには思えない。


「でもさ、それって植村さんにとっていい事なんじゃないか?今まで傍に居なかったってだけで実の父親なんだし」


「全然よくないよ。だって、私が今まで十年間生きてきて一度も会ったことも無かった人なんだよ。今更戻ってきても困るっていうか……。どうせ戻ってくるならなんで今まで居てくれなかったのって気持ちもあって……」


「お父さんってどんな人だったの?」


「それ、さっきも──」


「そうじゃなくてさ。何してる人とかどんな感じの人だとか、そういう事。植村さんは知ってる?」


「……知らないかも」


彼女は本当に何も知らなそうな顔でそう言った。複雑な事情でもあったんだろうか。


そういえば俺も母親の事何も知らないな。

思えば今の今まで知ろうとも思わなかった。

彼女の家庭のことも含め、親はもっと子供に色々話してくれればいいのにって思う。


「そっか。親子って難しいな」


「うん、ほんと。すごく難しいよ」


植村さん家の複雑な家族関係について話を聞いている内に目的地に到着したらしい。


教師から注意事項等を述べられ、俺達生徒はすぐに散開となった。


自由行動中、一人ブランコに乗って時間を潰す植村さんを見つけた。


俺はその時には声は掛けず、クラスメイトの男子達と遊んだ。

遊びにキリがつき昼の時間になった頃、植村さんを探していると彼女は未だブランコに揺られていた。


「ずっとブランコに居たの?」


「……えっ?」


「もうお昼だ。みんな弁当食べてる」


「もうそんなに時間経ってたんだ。ずっとボーッとしてた」


「それ、大丈夫か?」


「うん、大丈夫だよ。私、こうやってボーッと過ごすことよくあるから」


そういう彼女とブランコの後ろにある小さい丘に登ると、俺は腰掛ける場所を作るため、シートを広げた。


「あ」


「……ん?どうかしたか?」


「私、シート持ってくるの忘れたみたい」


「あー、マジか。良かったら俺のシート一緒に使うか?」


「いいよいいよ、どうせ遠足なんだし。多少お尻が汚れても気にしないって」


そう言いつつも彼女はお尻を付けないように座り、カバンを地面に置いた。カバンの中から水筒と弁当を取りだして、落ち込みながらこちらに向き直った。


「あー、でも弁当の置き場が無いのは困るかも……。やっぱりお邪魔してもいいかな?」


「ああ。ここ使って大丈夫だから」


「助かる。ありがとね」


そうして昼の弁当の時間を一緒に過ごした。


その後、俺はクラスの男子に呼ばれてお菓子交換に付き合った。


戻ってきた時には植村さんは荷物をまとめていてシートに座ったまま何処か遠くを見ながらボーッとしていた。


そんな彼女の横顔を眺めてなんとなく自分の中で気持ちが高揚したのが分かった。

なんだか無性に身体が熱くなり、そんな自分を誤魔化したくて、植村さんに一声掛けて一緒にブランコに乗った。


思った通り揺られている間に少しずつ頭が冷えていくのを感じる。


「ブランコって案外楽しいんだな!」


「そうでしょ。いつまでだって乗ってられそうだよね」


「ああ!」


初めて乗ったブランコだったけど、漕ぐ度訪れる向かい風がとても気持ちよく感じた。


最初は大きく漕いで激しく揺られ、大きく振られ始めてからは力を緩めてゆっくりと揺られた。そして揺れが小さくなるとまた大きく漕いで激しく揺られて──。


そんな繰り返しでブランコを漕ぎ続けていた。

途中、植村さんがこちらを見て感心していた。その視線が気になり、揺れが小さくなったタイミングで一度ブランコを止めて隣に振り向いた。



「どうかしたか?」


「いや、ブランコでそんな楽しめるんだなって少し意外で……」


「俺も最初こんなに楽しめるなんて思わなかった!植村さんももっとちゃんと漕いでみなよ。絶対楽しいから」


「うん、分かった。やってるね」


そうして今度は立場が逆で植村さんが漕いでいるのを俺が見守る番になった。


ただ、ブランコを漕ぐ彼女を見ているだけなのにやっぱりなんだか変な気持ちになる。


植村さんの振りが激しくなってから「その辺で一旦緩めて!」と声を掛ける。

そしてまた弱くなった時には「もう一回漕いで!」と声を掛けた。


そしてコツを掴んだのか、彼女はそこからしばらく漕ぎ続けていた。

見守る必要が無くなり俺も隣で一緒に漕ぎ始めた。

そして二人で笑いながらブランコを漕いだ。


「すごい楽しかった。ありがとう!」


お互い疲れてブランコを降りた後、植村さんからお礼を言われた。

ただ、なんとなく気づいた漕ぎ方を教えただけだったので特にお礼を言われるようなことではなかったけど、俺はそのお礼を素直に受け取った。


「ブランコもさ、ただ漕いでいるだけより遊ぼうと思って漕げば楽しいのかもな」


調子に乗ってしまった俺はそんな一言を零した。


「そっか。ただ漕ぐだけじゃダメなんだ。漕ごうと思って漕がなきゃダメなんだ」


植村さんは何かに合点がいったような顔をした。


それから少し話をしてくれた。


例の幼馴染みの話だ。

彼と一緒にいることが少なくなって、そしてついには自分の傍からいなくなって。それ以降、何をしても上手く身が入らず楽しめなかった。何をしても上手くいく気がしなかったのだ、と。


けれどさっきこうして楽しめたこと、そして俺の一言がきっかけで何らかの気づきを得たのだと話してくれた。


「今日は色々話に付き合わせてばっかりでごめん……!それと大切なことに気づかせてくれてありがとう!」


ここに来るまで──、いや、出会ってから今まで見た事も無いような晴れやかな顔をして、お礼を言われた。


そしてそんな彼女の顔を「可愛い」と思ってしまった。

不覚にも自分が彼女に何らかの気持ちを抱いて始めてしまっていることに気づいてしまった。




>


「ただいま」


遠足が終わり、私は自分の家へと帰ってきた。母は家にいないようで返答はなかった。

家に上がるとまずキッチンに行き弁当箱と水筒を流しに置いて水に浸けた。


自分の部屋へ行き、荷物の整理をする。ゴミなんかはゴミ箱に捨てて、カバンはクローゼットに仕舞った。


その後私はベッドに腰掛けて改めて色々を考え直した。


彼方と過ごせない時間が増えてからというもの気が乗らないことや上手く笑えないこと、明るく振る舞えないことや勉強に身が入らないこと、そして家族と上手くいかないこと、などそれら全部をそれのせいにしてきた。


もちろん私の中の彼方への想いが変わるわけじゃないけれど、それを理由に何も努力しようとしないのは違うと気づいた。


「彼方が居ないから出来ない」わけでも「彼方が居なかったから上手くいかなかった」わけじゃなかった。


私が考えようとしなかっただけ。私が変わろうとしなかっただけ、だった。


私の感じる寂しさは全部私のせいだった。


そう気づいた頃だった。

丁度母が一人の男を連れて帰ってきた。

その男は私の父だという『綾辻 颯斗』だった。髪を切り、髭も綺麗に剃っていた。


私と向き合う形で母と父が食卓に座った。二人とも気まずそうに私を見る。


だからこそと思い、私から話し掛けた。


「お母さん、何か話があるんでしょ。聞かせてくれない?」


「……うん」


「じゃあ聞かせて。どんな話でも私はちゃんと聞くから」


「うん、ありがとう」


歯切れの悪いスタートで話が始まった。


まず、母は私に謝ってきた。

今まできちんと父親の事を話してあげられていなかった、昨日だってちゃんと紹介をしてあげられなかったと。


昨日の事に関しては私の方こそ父を受け入れる気が無かったのだから私の方こそよくなかったと話すと互いに「いやいや」「いやいや」と押し問答が始まってしまい、父が仲裁に入った。


「じゃあ、お互い悪かったってことで、喧嘩両成敗ね」


「うん、それでいいよ」


と、互いに納得してこの話は終了した。


「それで次は……?まだ終わりじゃないんでしょ?」


私がそう言って催促をすると、二人は分かりやすく息を飲んだ。


緊張を隠せない二人はお互いの顔を見合わせて頷き合い、その後母がカバンから一枚の紙を取り出して机の上に置いた。


『婚姻届』と書かれたその紙はほとんど全ての欄が埋まっており、残るは届出日当日に記入するであろう箇所だけだった。


「あのね、私達結婚しようと思ったの。でもよくよく考えて、愛梨の気持ちも聞いておくべきかなって」


「私は別にいいと思うよ。ずっとお父さん居なかった事にこれまで何も思わなかったわけじゃないし。お父さんが居てお母さんが楽になるなら、私は居てくれた方がいいかなって思うし」


「でもほら。いくら実の父親とはいえ、あなたにとっては昨日、初めて会った人だったわけじゃない?」


「……うん、そうだね」


「だからいきなり過ぎたかなってのも考えて。なんだったら一から関係をやり直してもいいかなって考えたのよ」


「そんなことしても意味無いんじゃない?それにもう二人の気持ちは固まってるんだし、私の事は置いておいて結婚しちゃえばいいと思うよ」


少しキツイ言い方をしてしまっただろうか。今まで互いの目を突き合わせて話をしていた母が俯いてしまった。


「さっきも言ったけど、私は二人の結婚は悪いことじゃないと思ってるんだよ。昨日は初めてだったから嫌な態度取っちゃったかもしれないけど、両親がいることに私が慣れていけば問題ないわけだしね」


「でも私はやっぱり──」


「俺はずっとお前に会いたかった。会って抱き締めてあげたいと何度も思ってきた。だけど色々事情が重なって。そう出来ないままに今まで生きてきたんだ」


まだ何か言いたそうな母を遮って父が私に告げた。


言い訳じみた父の話を聞く。『言い訳じみた』なんて言ったけど、彼の話からはきちんと私への愛情が伝わってきた。今まで私へ愛情を届けてあげることが出来なかった苦しみも一緒に。


話を聞いて、別れた理由も知って、今まで『父親』に対して否定的だった自分を恥じた。

傍にいることだけが全てじゃないと知った。


彼は涙を流しながら私の元に近寄った。そして「抱き締めさせて欲しい」と確認を取ってきた。

今更拒否なんかする訳ない。

そう思って私の方から父を抱き締めた。父は嬉しそうに抱き返してくれた。


「今まで一緒に居てやれなくて、ごめん。ほんとに、ごめんな……」


「私の方こそごめん。今までお父さんのこと何も知らなかったから、ずっと誤解してた。お父さんはちゃんと私のお父さんなんだって分かって、気づけたことが私は嬉しい」


二人で抱き合う横から母も一緒になって抱き着いてきて。

私達は嬉しさに嗚咽を漏らして泣き、けれどすぐにお互いの顔を見合って笑った。


二人とも酷い顔をしていた。



落ち着いた母はその晩私に寝物語として改めて父との馴れ初めを話してくれた。


父と母の出会いと別れの話を。




>


私がまだ大学に通っている頃だった。

コンビニでアルバイトをしていた私はある日バイト中に強盗に遭った。


男にナイフを突きつけられ金品を要求された私はなるべく時間稼ぎをしようとゆっくりめにレジからお金を取り出した。

店の外を警戒しながら焦る男は何度か「急げ!殺されたいのか!」とナイフを突きつけてきた。

相手も焦りから来るものなのか上手く腕の制御ができておらず何度か私にナイフを当ててしまっていた。

ナイフで切られた場所が痛かった。

けれど来ない助けを待ちながら男の相手をしなければいけない。

ここに男を留めておかなければなければいけない。


そんな時だった。

一人の若い警官がコンビニに乗り込んできて私を助けてくれた。


その時の若い警官こそ、颯斗だった。


助けられて油断した私は何か棒状の物を持って背後から迫る男に気づかなかった。

電灯交換した直後で置かれたままになっていた寿命の尽きた蛍光灯。それは後で捨てようとしてレジのそばに置いたままにしていた物だった。


男は蛍光灯を振り上げて私の頭を殴ろうとして、慌てて私を庇ってくれた颯斗の頭を殴った。

殴られた彼は反射的に銃を手に取り目の前の男に重篤な怪我を負わせてしまった。


颯斗は病院に搬送され私は事情聴取のため警察署へ行った。

彼が完治して退院するとすぐに裁判が行われ、正当防衛が認められたもののお咎めなしとはいかずに停職処分を食らってしまった。

後日、警察署を訪ねて彼が停職処分を受けたことを知った私はそこで働く警官に勢いで連絡先を聞いた。「命を助けてくれた彼にどうしてもお礼を言いたいんです!」と。

連絡先を知った私はすぐに連絡を取り、彼に会いに行った。颯斗は一言「貴方が無事で良かった」と、そう言ってくれた。

それからは連絡を取り合うようになり、互いに深い関係になっていった。


大学を卒業してすぐに子供を妊娠してからというもの、自分と颯斗が子供と一緒に幸せに暮らす未来を想像して悶えていたりした。


けれど私の想像通りには行かなかった。


妊娠して半年も経たないうちに颯斗の許嫁を自称するどこぞのお嬢様が現れた。

彼女の名前は寺脇 美奈。

颯斗も実は寺脇家と繋がりがある家柄のお坊ちゃんだったみたいで私の立ち入る隙は無かった。


それからしばらくして私は産気づき、夏の頃に愛梨を出産した。

美奈の監視を掻い潜ってまで慌てて駆けつけてきた颯斗と二人で大喜びしたのを覚えている。


私の出産を機に改めて私への想いを再実感したらしい颯斗は美奈に離縁届を渡した。しかし、彼女はそれを認めず即座にシュレッダーにかけた。

颯斗は諦めずに何度も何度も離縁届けを彼女に向けた。けれど何度やっても結果は同じだった。


ついには彼女は颯斗の生活に制限を掛けるようになった。

警察官を辞めさせられ、外出を禁止し、自分の世話係となるように命令した。


従うしかなかった颯斗は以降、私ともましてや愛梨にすら会うことを許されなかった。


そして私と颯斗が出会ったあの日から丁度十五年が経ったある日、病気により寺脇 美奈が死去した。


束縛の無くなった颯斗は寺脇の家から逃亡を図った。役所で『綾辻』姓へと戻すために復氏届を提出し、急ぎ私との思い出の場所へと足を伸ばしたらしい。


けれど、既に私は引っ越した後だったそうで、以降連絡も取れぬまま茫然と日々を過ごしたらしい。



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