第6話




私は六年生へと進級した。


一時期は行方が分からなくなった彼方のことが心配で居ても立ってもいられず、自分だけが普通の生活を送っていることが許せなくて。

ともかく落ち着かない日々を送っていた。


けれど時間が経ってしまえば、それも次第に落ち着いていた。

薄情なものだな、と自分でもそう思った。


彼方への色んな気持ちを誤魔化し誤魔化ししながらまボーッと過ごしていると、気づけばあれから三ヶ月も経ってしまっていたのだ。


未だ治らない右眼のせいか、はたまた心の問題か。色鮮やかなはずの世界が彼方が居なくなったことで灰色に変わってしまったように感じる。

何か面白いことは起きないかな、なんて。淡い期待を抱きながら過ごす日々だった。



六年生になった初日、始業式の朝のこと。


「始業式の前に今日からこの学校の仲間になる転入生を紹介しようと思いまーす」


教室の黒板の前、教卓。

気のいい担任教師が機嫌良さそうにそんなことを言う。


クラスメイトがザワつき始めた。


けれど私にとっては全く関心のないことで、周囲との温度差を感じてしまった。

教室全体が歓迎ムードの中、一人机に顔を突っ伏していた。


「さあ、入っておいで……!」


「し、失礼します!」


律儀に挨拶をして教室へと入ってくる男子。


「──邦枝 吉野と言います。隣の県から引っ越して来ました。趣味は読書で、たまにアニメみたりゲームしたりとか……。残りわずかな小学生生活ですが、仲良くしてくれると嬉しいです!」


「はい、よろしくお願いしますね。席は……。植村さんの後ろが空いているのでそこに。植村さん!手を挙げてあげて」


小学生にしては百点満点に思える自己紹介をした彼を席に案内するため、挙手するように言われた私は突っ伏していた顔を上げてそれに応じようとして──。


壇上の上にいる彼見て、その顔から目が離せなくなった。だって、あの顔は──。


「……彼方?」


思わず席から立ち上がり、初対面の彼にそう問い質すと、いきなり左眼から涙を流して嗚咽を漏らし始めた。


教室中の視線が私へと向くのを感じた。


転入生の彼は私の問いに対してか、行動に関してか。困惑気味に首を傾げていた。


「えっと、『彼方』って言葉の意味は分かんないけど。俺の名前、邦枝 吉野って言います」


(そうだよね。そんなはずないよね……)


その自己紹介を聞いて落胆した私は遅れて周囲の視線に気づいた。


「どうかしましたか?」と、担任教師に尋ねられ自らの左頬を撫で、頬を伝っていた水滴を慌てて拭った。


「……突然、すみませんでした」


「いえ、何かあれば言ってくれて大丈夫ですからね。あ、邦枝くん、彼女が植村さんですよ。彼女の後ろの席が空いていますのでそこがあなたの席です」


「はい、分かりました」


丁寧に返事をした彼は私の後ろの席に腰掛けると「よろしく」と声を掛けてきた。私も「うん、よろしく」と軽く声を返した。


この後の事はあまり覚えておらず、気づけば始業式を終わり、学校の課程自体も終わって家に帰宅していた。

ベッドにうつ伏せになって、ボーッと時間を過ごしていた。



翌日、昨日の自分の奇行を振り返って羞恥でいっぱいになった私は二人きりで話せるような場所を探した後に邦枝くんに声を掛ける。


そして彼を伴って屋上前の踊り場まで来た。


何か勘違いしたクラスメイトがついてきてしまっていることには気づいていたけれど、放っておいた。


「えっと、それで話って……」


突然呼び出された邦枝くんは終始困惑の様子だった。焦って何の説明もせずにここまで来てもらったのだから当然だ。


「突然、ごめんね。昨日、意味分からないこと言って困らせちゃったと思うし、それを謝ろうと思って呼び出したの。……ごめんなさい!」


「……別に。正直ちょっとビックリしたけど、謝られるようなことじゃないし気にしなくてもよかったのに」


「そういう訳にもいかなくて……。私、色々あって問題児扱いされるし、私の言動のせいで邦枝くんに迷惑掛けちゃ悪いしさ」


「俺は別にそんなことで迷惑なんて思わないけどね」


「そっか、ありがとう」


私が感謝を告げながら笑いかけてみせると彼も笑いかけてきた。やっぱり彼方のあの顔にそっくりだと思った。


気づけば私は彼に彼方とのことを話していた。私の大事な大事な幼馴染みの話を──。


それを機に彼とはよく話すようになった。




私は転入してきたばかりのクラスメイトのお陰で少しずつ笑顔を取り戻していた。


ある日、学校から帰宅してみると母が居なかった。

今日は夜に一緒に遠足の弁当を作るという約束をしていたのだし、買い物に行っているのかもしれない。

そう思って母の帰宅を待った。


空が橙色に染まる頃になって、こんな時間まで帰ってこないのはおかしい、とそう思った私は慌てて携帯電話で清華さんへと連絡を取った。


清華さんは何処かに連絡をした後で車を出してくれて私を連れて母が行きつけのスーパーを何軒か回ってくれた。


結局母は見つからず、しばらくして清華さんの携帯電話に連絡が来た。


「とあるスーパーの傍で女性が男に襲われているところを目撃した人がいた」、と。


話しを聞いて、どうやらその男は『綾辻あやつじ 颯斗はやと』という名前らしいことが分かった。


犯人が分かった事ですぐに住所も分かり、十数人の警察官と共に家を囲んだ。


警察官の一人が窓から中を見て「男が酒を飲ませ淫行に及んでいる」と報告を受けて警察官は数人がかりで家の中へと乗り込んで行った。


家の中から出てきた母が私の顔を見て溜め息を吐いた後で警察官達に何かを話に行って、警察官達は頭を下げて帰って行った。

何がどうなっているのか分からず、私は家から出てきた男を睨みつけた。

母は私は男と共に私の傍に来て言った。


「愛梨、この人はあなたのお父さんよ」と。


言われて驚いてしまった私は父だと紹介された男の方へと向いた。


整えられてもいない長い髪に不細工に髭を生やしていた。昔母に写真を見せてもらいながら「あなたのお父さんは凄くかっこいい人なのよ」と言われたことがあったのだが、本当に同一人物なのだろうかと目を疑った。


なにより、清潔感のないように思えるその見た目が生理的に受け付けなかったのだ。


″男だけど身綺麗な子″ を知っているが故の固定観念から来る物であるとは気づくことは出来なかった。


そんな男に向ける母の幸せそうな表情に苛立ちを覚えてしまって素直に応対が出来ずにいた私は荷物だけ持って帰る事を言い残して清華さんに連れ帰ってもらった。


清華さんに早とちりで迷惑を掛けてしまったお詫びとお礼を述べてから一人で家の中へと上がった。


無性に疲れてしまって何もする気も起きず、ベッドの上へと横になった。


突然現れた実の父親とその男との再会を心から喜んでいるように見えた母。

そんな二人に苛立たしい気持ちを感じながら気づいたら寝てしまっていたらしい。


朝目が覚め居間へ行くとキッチンには弁当を用意されていて、食卓にはその弁当の余り物で作ったであろう朝食が並べられていた。


母はソファの上で横になっていた。

私が約束を反故にしてしまったせいで徹夜までして弁当を作ってくれたのかもしれない。


そう思い押し入れから掛け布団を取り出して眠る彼女に掛けた。


テレビを見ながら朝食を食べる。

食べ終わるとテレビを消して食器の片付けをする。

そうして家を出る準備をしてから再び居間に来て寝ている母に「いってきます」と一声掛けて家を出た。




>


「……颯斗?」


「久しぶりだな、由紀菜」


彼は捕らえた暴漢を近くの交番に連れて行くと言って去っていった。

再会の余韻に浸っていた私は落とした荷物を拾いながら彼が戻ってくるのを待った。


「ずっと会いたかった」


その後戻ってきた家に招待され、辿り着くなり颯斗に抱き締められた。私も彼と同じ気持ちだったからすぐに抱き締め返した。


その後、別れてから今までの話を聞きたいとせがまれた私は彼に用意してもらったお酒を煽りながらポツリポツリ話して聞かせた。


愛梨の事、彼方の事、望美さんの事。


積もり積もった話をしている内、随分と時間が経ってしまっていたようで、いつも間にか日が落ちていた。


「お前さっき愛梨となんか約束してるって話してなかったか?」


そんな彼の言葉で愛梨の事を思い出した私は慌てて帰宅の準備を始めた。

折角会えた元夫との別れに名残惜しい物を感じていた、そんな時だった。


『コン、コン、コン』と扉をノックする音が聞こえた。


「綾辻さん、いらっしゃいますか」


ノックの音に加えそんな声が聞こえてきた。

その声に応えるように颯人が扉を開けた途端、青い防護服に身を包んだ警官達が部屋の中へと踏み込んできた。

それに驚きつつ私は慌てて家の外に出た。外に出てみると何故か颯斗の住むこのアパートは警察関係車輌に包囲されていた。


そして私はそんな包囲網の中に愛梨の姿がある事に気がついた。


私は警察官の一人に話し掛け、愛梨の方に指を指しながら事情を聞いて全てが誤解であると説明した。


娘の早とちりで迷惑を掛けてしまった事を謝ると、「お母さん、娘さんに愛されてますね」と一言を残して撤収していった。


そして件の愛梨は未だ颯斗に向けて警戒心を露わにしていた。颯斗の方は気まずそうに頭を搔きながら立っていた。


「愛梨、この人はあなたのお父さんよ」


そう説明した時、愛梨は心底驚いたような顔をしていた。そして颯斗の方に向き直って今度は娘の紹介をした。


「この子があなたと私の子よ」


「……母の娘の、愛梨です」


愛梨は複雑そうに自己紹介をした。


「私、清華さんと帰るから。買い物袋とか持って帰っとく」


気まずさからか愛梨は私を置いて帰っていった。


今まで何も話さなかった私のせいだろうけど、本音ではもう少しきちんとした親子の再会をして欲しかったな、と思ってしまった。

そんな事を思っていた時だった。


「──なあ、由紀菜」


不意に颯斗が話し掛けてきた。その顔は真面目な表情をしており、その時点で言わんとすることを察してしまった。


だから私は振り向いたものの敢えて返事をせずに言葉の続きを待った。


「お前が大変なのは何となく分かったし、辛い思いしてるのも顔を見れば分かる。だからって訳でもないけどさ、その、やり直さないか?お前の話聞いてるとさ、やっぱりほっとけないっていうか。大事にしたいというか。傍にいて支えてやれたらなって思うんだよ。それに……」


「それに?」


「……実の娘にあんな態度取られたのも、正直ショックだったしな」


真面目な表情で告白をしていた彼は最後の最後におどけて笑いながら話した。

最後の一言でせっかくの告白が台無しになってしまっていた。


「ふふっ……、あははは……!」


「何がおかしいんだよ!」


私は思わずお腹の底から込み上げてくるものがあってつい笑ってしまった。


彼は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。


「いや、違うの。その、嬉しくて……、嬉しくてね。ずっと待ってたから」


「……、待たせて悪かったな」


私は待ち望んでいたこの瞬間に笑いながらも歓喜していた。


「それで、返事は……?」


「馬鹿。もう分かりきってるくせに」


そう言って誤魔化した後で一つ深呼吸をして気持ちを落ち着けた。

相手が真面目な顔で告白してくれたのだから、私も真面目に返答しなければ。そう思ったからだ。


「──はい、愛娘共々私を支えてください。私は今でも貴方の事が大好きです……」


私は久しぶりに見せる本物の笑顔で愛を伝えた。


こうして私は颯斗と依りを戻すこととなった。




颯斗に手を振って別れてから遅れて帰ってきた頃には愛梨はベッドで眉間に皺を寄せながら眠っていた。

私と彼の事で思うことでもあったのだろう。愛梨は先に帰る事を私に告げた時、難しい顔をしていた。

何から何まで説明が不足していた事を今更ながらに反省する。


約束通り一緒に弁当作りをしようにも起こしてしまっては可哀想だと思い、徹夜してでも一人で作ることを決めた。


遅れて帰ってきたのは私の方で、しかも予定を忘れて颯斗との話に花を咲かせてしまっていたのも私だった。そもそもあの時お酒なんか飲まなければこんなことにはならなかったのに。


「……ごめんね」


謝りながら娘の眉間を軽く撫でてあげると鬱陶しそうに手を払い除けられてしまった。

ならせめてもと剥がれていた布団を掛け直してあげて小声で「おやすみ」と告げてから愛梨の部屋を後にした。


まず軽くシャワーを浴びてから水を飲んで酔いを覚ました。その後、どうしても時間の掛かるおかずの下拵えから弁当作りに取り掛かる。


せっかく買った具材の何割かは暴漢に絡まれてしまった際に落としてダメになってしまっていた。


結局冷凍食品の割合が多くなってしまいそうで納得出来ずに冷蔵庫の中にあったあり物から一品用意することにした。


随分時間が掛かってしまったらしい。


気づけば朝の4時を回ってしまっていた。


弁当は完成して、その余り物で朝食を作った。早めに寝ただろう愛梨がそろそろ起きるだろうと思って、いつでも朝食を食べれるようにとラップをして、机の上に並べて置いた。


それからソファの上に座りテレビを見つつ考える。


今まで何も話してこなかった愛梨に謝らなければならないこと。

今日だって初めて会った男を突然自分の父親だと紹介されて戸惑っただろうし、もっときちんと颯斗の事を話して聞かせてあげられていたらもっと違うものになったかもしれない。


改めて父親になる颯斗を紹介しなければならないこと。また、どういった形で紹介するかということ。

あの時、少し気持ちが高揚してしまっていた私は愛梨に対しておざなりな紹介をし、颯斗に対しても娘である愛梨を紹介した。

けれどよくよく思い直すと、そこはもっときちんと考えて話すべきだったと思うし、本当なら颯斗にだって愛梨にだって心の準備をする時間くらい与えてあげなきゃダメだったのではないかと思った。


依りを戻すことも、私達で勝手に決めていい事じゃない。娘の気持ちだって考えてあげるべきだと思った。


「とりあえず愛梨と一言話さなきゃね」


まずは起きてきた愛梨に一言謝ろう。そしてとりあえずは笑顔で送り出そう。

せっかくの遠足の思い出が両親のいざこざで悩んで終わっては可哀想だし、その事を話すのは明日にでもしよう。


まずは朝の挨拶をして、謝って。それで──。




考え事をしながら、どうやら眠ってしまっていたらしい。私は目が覚めると慌てて身体を起こして辺りを見渡した。


テレビは消えていて机の上も綺麗になっていた。キッチンに行くと流しの中に溜めていた食器も使い終わったであろう食器も洗い終わっていたし、置いておいた弁当も無くなっていた。


失敗した、と思った。




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