第5話



彼方がいじめにあったあの日、買い物から帰宅した私は、明らかに様子がおかしい二人に出迎えられ驚いた。


そもそも普段ならこの二人がこの時間に家に居ることは無かったから、まさか帰ってきているなんて思わなかった、というのもあるが、何かあったのかと不安にもなっていた。


落ち込む様子の望美さんから事の顛末を聞いた。

私としては少しデジャヴを感じてしまい、愛梨が何かしでかさないかと別の心配をした。


望美さんに頼まれ、ざんばらになってしまった彼方の髪を整えてあげた。娘に対したくらいにしか整髪の経験は無かったが、それでも軽く整えることくらいは出来た。

すっかり短くなってしまった彼方のその髪を見て、哀しくなった。

泣き続ける彼を抱き締め、慰める事しか出来なかった。


当事者である彼方は言わずもがな。責任を感じているのか、望美さんは暗い顔で頭を抱えたまま蹲ってしまっている。愛梨は悔しさと共に彼方をいじめた彼らへの怒りが治まらない様子でそわそわとしている。

ここしばらく四人で過ごしてきたが、こんな風になってしまうのは初めてで私自身もどう対処していいものかと悩んでいた。


翌日、行きたがらない愛梨をなんとか学校まで送ってあげた。


帰宅すると愛梨が玄関先で蹲った望美さんを介抱していた。愛梨に代わり望美さんを居間まで誘導してから私が帰宅するまでの事を愛梨から聞いた。

望美さんを宥めつつどうしたものかと悩んでいると今度は学校から連絡があった。


愛梨が彼方をいじめたくだんの男子生徒と喧嘩し、怒りのままにクラスメイト達を糾弾して騒ぎ立てた結果、教師に止められ保健室へと連行された、との事だった。


今は愛梨を責める気にもなれず、電話越しに頭を下げ謝罪した。


正直、頭が痛かった。




望美さんが私が以前勤めていた病院に入院したことで私は愛梨と彼方と二人の面倒を見なくてはならなくなって。


けれど二人とも以前とは違うどこか乾いたような笑い方ばかりするようになってしまって、私自身もどう接してあげるべきか戸惑うばかりだった。

ただ、担任の先生から話を聞く限り、愛梨は真面目に授業に取り組んでいるようだし、不登校となった彼方も家で大人しく過ごしていたので、一先ずは安心していた。


自身を失った様に見える彼方のことは少し心配だったけど。




彼方の様子見のためにと清華さんが度々我が家を訪れるようになったのは、冬が近づいてきた頃の事だった。


彼女とはこれまでも何度か顔を合わすことはあったものの、 ″望美さんのお姉さん″ 、 ″彼方の伯母さん″ 。そして ″好実ちゃんのお母さん″ というように間接的にしか関わってこなかった人だった。

いまいち気心の知れないというか、安易に踏み込めない何かが彼女の中にある様に思えて、正直私はこの人の事が少し苦手だった。


そんな私だから、こうしてこの人が我が家を訪れるようになったのも本当に彼方の様子見のためだけなのか、どうしても疑念を抱いてしまっている。


「──ねえ、由紀菜さん」


私が用意したお菓子を食べながら清華さんが唐突に私の名前を呼んだ。


「どうかしましたか?」


「彼方と愛梨ちゃんは相も変わらず、仲が良いの?」


「以前と比べたら少しだけ距離が出来てしまったようには見えますけど、それでも二人は仲良しだと思いますよ」


「そう。それは何よりだわ」


「……あの。二人がどうかしましたか?」


「いえね、少しだけ心配になったのよ。彼方も愛梨ちゃんも、このまま育っちゃったら依存し合う関係になってしまうんじゃないかって」


「確かに二人は幼い頃からずっと一緒に育ってきて、私は愛梨は勿論のこと彼方の事も自分の子供のように思っています。だから言わば二人は姉弟みたいな物で、『依存』については分かりませんけど、私はそれが悪い事だとは思いません」


「本当にそうかしら」


必要以上に愛梨と彼方の関係性について何かを危惧したような発言をする清華さんの意図が掴めず、次第に苛立ってしまった。


「……あの、単刀直入に。何が言いたいんですか」


「彼方の今回の件について、 彼方の ″親族″ として学校の先生から話を聞いたのよ。そしたらね、言われたわ」


お菓子を食べる手を止め、清華さんが真っ直ぐに私の方に向き直った。

私はそんな彼女の顔を見つめながら次の言葉を待った。


「──『彼方くんと愛梨ちゃんが仲が良いのはいい事だと思います。ですが、お互いがお互いを意識しすぎていて、周りに興味を持てずにいるようにも感じます。その事で彼方くんは周りの生徒との亀裂を生んでしまったんじゃないかって思うんです』って」


「先生がそんな事を?」


「ええ。それに愛梨ちゃんだって、今回の彼方の件で周りにたくさん敵を作ってしまって。先生方も、彼女の今後を心配してるそうよ」


「……そう、ですか」


「私だって二人の仲が良好なのはいい事だと思ってる。だからその全てが間違いだとは思わないわ。でもだからといって、それ以外との関係を蔑ろにしてしまうのは違うと思うのよ」


愛梨が彼方の事を大事に想ってる事は知っていた。それがどんな形の好意であれ私はそれでいいと思っていた。

だって、それで愛梨も彼方も幸せそうだったから。


清華さんの言うことが理解出来ないわけじゃない。

色々な人と色々な物に触れて、その中でたくさんの事を学んで。そうする事で子供は成長していくものだと私もそう思っている。


だけど──。


「二人の関係性について、清華さんはこれからどうすべきだと考えているんですか?」


「……そうね。一定の距離は取った方がいいとは思っているわ。もし必要なら彼方を私のうちで引き取る事も考えている」


「それは──」


「分かってるわ。これはあくまで最終手段。このままの二人の関係性が続いてしまった場合にはって話よ」


「……ですが、もし最終的にそういう形を取るのだとしても、それは彼方の意見を聞いてからです。どういう理由であれ、彼方が望まない事を無理矢理押し付けるのは間違っていると思いますから」


「ええ、それは勿論」


清華さんの言うことが間違っているとは思わない。

けれど、だからといって姉弟のように育ってきた二人を引き離すような事をしなければならないのだろうか。

それからしばらく私はその答えが出せないままの日々を過ごした。


年度が変わり新しい担任の先生と連絡を取り合って愛梨の学校生活についてや保健室登校という形ではあれど学校に通うようになった彼方の近況についてを聞いて、今後どうするべきか頭を悩ませるばかりの日々だった。




世間がクリスマスイブで賑わう日。

愛梨が事故に遭ったとの連絡を受けて慌てて病院に駆けつけた。

手術中のランプが消えるのを待合室で祈るようにして待ち続けた。


気が気でなかった。

想像したくもない『もしも』を何度も想像して、その度に涙して。


何度目かそれを繰り返して、ようやくランプが消灯した。


そして手術室から出てきた医師に無事を知らされあまりの安堵感に腰が抜けてしまいそうになった。


本当に、良かった。


幸いにも ″一部を除いて″ 重症には至っておらず、数日の入院で済むだろう、との事だった。


手術から3時間後、愛梨は目を覚ました。




愛梨が目を覚ましたと喜んでいたら彼女の口から彼方が拉致に遭ったと耳にした。


一緒に暮らすようになって、そしてあの一件以来面倒を見ることが出来なくなってしまった望美さんの代わりに彼方の保護者となってからは久しい。

だから彼方が居なくなってしまったことは悲しかったし、彼方を連れて行ったという男に対してははらわたが煮えくり返る思いだった。


下唇を噛み締め涙を流す愛梨を宥めると聞こえてきた寝息に安心しつつ、眠る愛梨に一言告げて病室を後にした。

途中ナースステーションの看護師達にも挨拶をする。


病院から出て急いで清華に連絡を入れ事故のことを説明した。

二人一緒に事故に遭いそうになり庇った愛梨は無事だということ。愛梨に庇われた彼方は拉致されてしまったこと。


「……そう、分かったわ。こちらでも動いてみるわね。あなたは愛梨ちゃんの傍にいてあげなさい」


「でも、彼方の事はどうしますか。私もあの子のことを一緒に──」


「いえ、あの子は私達が探すわ。確かに彼方は貴方の保護下にあったけど、私はあの子の伯母で望美の姉だから。それにあなたにはまだ幼い娘がいて、その子が入院中なんだもの。あなたはそっちを大事にしてあげなさい」


「……でもッ!」


「いいから。私達に任せて」


「──、分かりました。彼方のこと、お願いします」



何を言っても無駄だと思い、彼方の事は清華達に託すことにした。

まるで自分は部外者なのだと言われているようで悔しかったし、多少苛立ちを覚えてしまった。

納得は出来なかったものの間違ったことは何も言っていないのは分かっている。それでもやはり納得は出来なかった。


無理矢理話を終えて通話を切ると、私は携帯電話を地面に向けて思い切り叩きつけた。


「はあ」


溜め息を吐いて膝を抱えて蹲る。


「……はあ」


もう一度溜め息を吐いてから重い足取りで家へと帰った。


それから一週間が経っても彼方は見つからなかった。


愛梨の方は右眼こそ治らなかったがその他は元気そのものだったので五日ほどで退院した。

しかし、退院こそしたものの傍に彼方がいないということを実感した愛梨は段々と覇気を失っていった。

家の中での会話もほとんど無く、必要最低限の生活だけをしているような感じだった。


そんな娘の姿を見て私自身も落ち込むばかりだった。


こんなことになるのならあの時、彼方と愛梨に距離を置かせる措置なんか取るべきでは無かったと後悔した。




春になり、愛梨が六年生へと進級した頃。


愛梨は転入してきたクラスメイトと仲が良くなり、徐々にではあるが生気を取り戻していった。私はそんな彼女を見て「あの子が頑張っているのに私がこんな状態じゃ不味いわよね」と自分を叱咤しながら日々を送るようになっていた。


ある日私は愛梨の遠足のためにと朝から買い物に出掛けていた。スーパーで最低限の冷凍食品とその他具材を買い揃えてから帰路に着いた。そんな買い物の帰宅途中の事だった。


暴漢に絡まれた。

手首を捕まれ、抵抗も出来ずに弄ばれそうになっていた時だった。

そこへ一人の男性が現れ、助けてくれた。


「……颯斗?」


「久しぶりだな、由紀菜」


──綾辻あやつじ 颯斗はやと


私の夫になるはずだった人で、愛梨の父親でもある男だった。


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