第4話



彼方が学校でいじめにあった。


登校して黒板を見てみると酷い誹謗中傷が書かれ、昼休み終わりの授業の時間に教室内で服を脱がされ髪をバッサリと切られたらしい。


その日家に帰ってきた私が一番最初に見た物が母が彼方の髪を整髪している姿だった。

これまで長髪の彼方しか見てこなかったからなのか、彼方の顔が信じられないほどに虚ろだったからなのか、真偽は分からないけど、私は彼方のそんな姿を見て気分が悪くなってしまった。

それは昨日までの彼方と比べての強い違和感だったり今の彼受け入れたくない忌避感だったり、それをしたクラスメイト達への怒りを通り越した悲しみだったり憎しみだったり。そんな色んな物が綯い交ぜになった事から来た物だった。


望美さんが迎えに来るまで彼方は保健室のベッドで横になって身動ぎ一つしなかったらしい。

教師に連絡をもらって望美さんが迎えに来た時には彼方は泣いて何度も何度も望美さんに謝っていた。


「──『普通の子供で居られなくてごめんなさい。産まれてきちゃって、ごめんなさい』。彼方にこんな事を言わせたくて、私は彼方を育てたわけじゃないのに」


望美さんが母に寄りかかりながらそう言って泣いていたのを見て私まで辛くなった。


私はまた彼方のために何もしてあげられなかったのだと、無力感に苛まれた。


翌朝、私は自分の教室に向かうより先に彼方が在籍している教室へと向かった。

そこで昨日あった事について女子達から事情を聞いた。




彼方が帰った後に行われた学級会。


『男なのに女みたいで気持ちが悪かった。男だって信じられなかったから嘘つきかどうか調べたくてやっただけ』


『前まで仲良くしてくれていたのに最近になって急に素っ気なくされたのが気に入らなかった』


『今まで女の子だと思って仲良くしてたのにそうじゃないって分かったらどう接していいのか分からなくなった』


『一緒になってからかわないと──くんに嫌われると思ったから。仲間外れにされるのが嫌だったから』


そんな意見が上がり、教師から人権に対する話があってその日は終わったらしい。




話を聞いた私はその場にいたクラスメイト達を糾弾した。主犯だった男子に詰め寄って彼を罵倒した。

反発した彼と喧嘩になり騒ぎを聞きつけ教室へと駆けつけた教師達に取り押さえられ、私は保健室に連行された。

その日私は一日を保健室で過ごし帰宅した。


家に帰ってみると望美さんが玄関先で蹲って泣いてしまっていた。

私は慌てて彼女の元に駆け寄って事情を聞いた。


彼方が自暴自棄になってこれまで大事にしてきた私物全てをゴミ袋に入れて捨てようとしていた所を見て問い詰め止めようとした。


「……もう僕には要らないものだから」


そう言って全てを投げ出してしまいそうな彼方を見て苦しくなった望美さんは彼方に手を上げてしまったらしい。


彼方はそれ以来部屋に引きこもったまま出てこず、望美さんも玄関先から一歩も動けないままでいるそうだ。

それから母が帰宅するまで、望美さんはそのまま蹲っていたし、彼方も部屋からは出てこなかった。


私もその晩は何もする気が起きなくて居間のソファに寝転んでボッーっとしていた。

ただただ時間だけが過ぎていった。


望美さんが過去に母の勤めていた病院へと入院することが決まったのはそれから二週間が経ってからの事だった。





五年生になり、不登校気味だった叶多は保健室登校という形で徐々に小学校に通えるようになっていった。私も一緒に保健室登校をしたかったけど、母にも教師にも認められず新しいクラスでの生活を余儀なくされた。


母や教師は私が問題を起こさないかどうか肝を冷やしていたらしい。彼ら彼女らの監視の目は私とって鬱陶しい以外の何ものでもなかった。

なら尚更私も叶多と一緒に保健室登校させてくれればいいのに──。


あの一件以来、彼方は短髪のままを保ち続け、特別洒落てもいない質素な服を着るようになってしまっていた。

大好きだったぬいぐるみの類も全て廃棄してしまい、すっかりと飾りっ気のないものへと変わってしまっていた彼の部屋。

家にいる時には部屋に篭もり一人で読書をするか、そうでないときには茫然として過ごしていた。

学校でも家でも、あまり彼の傍にいられなくなってしまった気がする。

もしかしたら保護者達は私と彼方を引き離そうとしているのかもしれない、とまで思った。


そんな彼方は時折、学校を休んでは入院している彼のお母さん──望美さんのお見舞いに病院へと行っていた。


当初今の彼方の姿を見て希望さんの病状を悪化させてしまってはいけないからと清華さんあたりは反対していたらしい。

「会わせないのは可哀想だから」、という私の母の一言もあり、清華さんが折れる形でお見舞いに行くことは認められたという話だった。


母の言うことも分かるが、私は清華さんが言ったことに賛成だった。


私だって今の彼方の姿は見ているのが辛くなる時がある。自分のありのままを心の中に閉じ込めてしまっている彼のその姿なんか見たくなかった。


望美さんは入院してからというもの寝ていることが増え、彼方が見舞いに行った時には必ずと言っていいほど気持ち良さそうに眠っていたらしい。


今まであまり休養を摂る暇が無かったというのも原因の一つだったらしく、今は睡眠負債を返済しているところだそうだ。

仕事に忙殺される日々の中、仕事も禄にしない虐待夫からストレス発散のためにと暴力を振るわれ、そんな夫から子供を守るために必死で生活をしてきたのだ。

元々いつ精神的に参ってしまってもおかしくない状態だったのだろう。


彼方はそんな望美さんの手を握って、ひと月の間であった事なんかを話して聞かせていたそうだ。

定期的に望美さん宛ての手紙を書いていたので、本当ならばわざわざする必要もないことだっただろうに、それでも彼方は自分の口から伝えたくて、話していた。

これが今出来る唯一の親子のコミュニケーションだから、と。


学校でのこと。読んだ本の話。自分の思った事考えた事。いざ親元を離れて気づけた気持ちなど。

そして面会の最後には必ず泣きながら謝った。


「僕が居たからお母さんは苦しんでたんだよね。ごめんね」、と。


そうして面会時間ギリギリまで過ごして、看護師に頭を下げたあとで帰路に就く。

彼方は毎月毎月、こうした日を繰り返していたらしい。


私も一緒に行ってあげたかったけど、何故だかそれは許してもらえなかった。




その年の12月24日。


クリスマスイブでもあるその日は二学期最後の日。

修了式が行われ、学校が早めに終わった。


帰り道、私は通知表を見て満足そうに頷いていた。成績の欄は5段階評価の中の「3」ばかりで唯一得意としていた体育では「5」を取っていた。


結局一年を通して保健室登校をしていた彼方は一般科目だけで見たら「5」しかなくて成績優秀だった。

音楽や美術などの芸術科目と体育はそもそも参加していなかったため評価がついていなかったみたいだけど。



「彼方は流石だよね。めっちゃ成績いいじゃん」


「そんなことないよ。家にいる時も読書か勉強しかしてなかったから」



私が通知表の成績について褒めても彼方はなんのことはないとでも言うように謙遜した。確かに最近は家に居ても勉強ばかりしていたし、空いた時間には読書をしてる姿ばかり見てたけど、それでもこういった成績が取れていても凄い事だと私は思う。


その後も私達は成績や冬休みの過ごし方など話しながら家への帰路を歩いていた。


そんな時だった。


狭い道を二人で手を繋ぎ歩いていると一台の車が僕ら目掛けて突っ込んできた。


避けようと考えるもなにぶん狭い道路だったのもあって逃げ場が見つからず、焦った私は咄嗟に轢かれそうになった彼方を突き飛ばした。

自分の事よりも、彼方に助かって欲しくて。


そして私は真正面から車に轢かれた──。




車に轢かれ跳ね飛ばされた私は朦朧とする意識の中で運転席から降りてきた男が怪我をした彼方を車の中に載せる瞬間を見てしまった。


身体を動かす事さえ出来なかった私は何も出来ないまま彼方を載せた車が走り去っていくところを眺めていた。


「待って、行かないで。彼方……」


力の入らない手を伸ばし、呟いた。


そして、腕から力が抜け、意識が途絶えた。




暗闇の中に一筋の光が差し込んできた。光の差し方に違和感を覚えるも私は特に気にすることも無く、重くなっていた瞼を持ち上げた。


目を覚ました私が最初に見たのは真っ白な天井だった。

何故かいつもの3分の2ほどしか見えない視界で辺りを見渡すとまるで私を囲むようにして天井に付けられているレールとそのレールに引っ掛けられた白いカーテンがあった。


それだけ見てもここが病院のベッドの上だと分かる。


目に入ったのは安心したような母の顔だった。


「愛梨、目覚めた?」


「……お母さん」


目を覚ました私に手を伸ばし、頭を撫でてくれた。そして本来目があるはずの場所に手を当てた。

包帯の上から右を撫でてくれた。


「大丈夫?」


「右側が見えないのがなんか気持ち悪いけど大丈夫だよ」


「そう、良かった」


私はお母さんの首に腕を回して抱きついた。


「ここは?」


「病院よ。愛梨、救急車で病院に緊急搬送されたのよ」


「そうなんだ。私、どのくらい寝てたの?」


「そうね、3時間くらいじゃないかしら」


「そう、そんなに寝てたんだ」


「うん」


抱きつきながら母に話しを聞いた。どうやら治療が行われてから比較的時間が経たずに目を覚ましたらしく、母はとても安心したと教えてくれた。


「私、ナースステーションに行って看護師さんに話をしてくるわ。あなたはもう少し休んでなさい」


「分かった」


そう言って母は私の体を剥がすとベッドに寝かしつけてくれた。

一度手を握ったあとでベッドから立ち上がりカーテンを締める。


少し話をしただけだったけど思った以上に身体が疲れてしまったらしく身体が気怠く感じた。その勢いのまま寝ようとして目を閉じたところで、立ち去る車に対し必死で手を伸ばす光景が頭の中に思い起こされた。


そして連れ去られる叶多のことを思い出して──。


慌ててベッドから起き上がり、ベッドを降りようとして床に落ちてしまった。そんな様子の私を廊下を通り掛かったナースさんが慌てて駆けつけてきて介抱した。


「愛梨ちゃん、まだ動いちゃ危ないわよ!」


「お母さんに伝えなきゃ……」


ナースさんにナースステーションにいるはずの母を呼んでもらうよう伝えるとすぐに母が部屋に戻ってきた。


「愛梨、大人しくしてなきゃダメでしょ」


「お母さん!あのね、彼方が……、彼方が連れて行かれちゃったの!」


「それ、どういうこと?」


私は事故に遭った時の状況を説明した。手を繋ぎ歩いていた帰宅途中に突然車が突っ込んできたこと。轢かれてしまいそうになった時、咄嗟に彼方を庇ったこと。意識が朦朧とする中で彼方が連れて行かれる光景を見て何も出来なかったこと。

話しながら悔しい気持ちを思い出し、泣きながらゆっくりと母に伝える。


「……そう。話してくれてありがとう。本当にあなたが無事で良かったわ」


母はそう言って涙を流す私を抱き締めてくれた。その後私は母にあやしてもらいながら静かに眠りに就いた。

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