第3話



私達はあの日以来、二人きりで過ごす事が増えた。

女の子達は勿論、男の子達のグループまで私達を遠巻きにするようになったからだった。

小耳に挟んだ様子では男の子のグループの中には私の事を怖がって近寄ってこない子達と私に変な情を抱いてる子達とで派閥?みたいな物が出来あがっているらしい。

私は彼方以外の子に興味が無いので私にとってはどちらでもいいのだけど。


避けられる理由がなんにせよ私にとってはその方が都合が良い訳で、だから今私は彼方と二人だけの時間を十全に謳歌している。


それにいつの間に仲良くなったのか、私の母と彼方の母の方も私達について情報交換をするためとよく外で会っているらしい。




ある日、彼方と彼方の母が私の家に泊まりに来た。


私が憶えている限りではこの家に人を泊めるなんて事は初めてで少し緊張した。

母もやはり家に他人ひとを上げることには慣れていないようで、事前の部屋掃除や片付けなどはいつも以上に力を入れて行っていた。


彼方が入園した日、それから保育園から抜け出した日とたった二回だけ顔を見た彼方のお母さん──、望美のぞみさんは黒くて長い髪が似合うスラッとした美人さんだった。


「愛梨ちゃん、いつも彼方と仲良くしてくれてありがとうね」


母とは違う手つきで私の頭を撫でながら望美さんは私に微笑んでくれた。

私はそれが気恥ずかしくて、すぐに母の後ろに隠れてしまった。


そんな私の言動も最初だけで、しばらくしたら無遠慮に望美さんと話していた。


「かなたのおかあさん。最近ね、保育園でかなたと鉄棒で遊んでるの」


「へえ、そうなんだ〜!」


「それでね、わたし逆上がりが出来なかったんだけどね、かなたに手伝ってもらって逆上がりできるようになったの!」


「ええ、凄い!」


「うん!かなたのおかげ!」


望美さんは私の話を聞いて彼方の頭を撫でていた。彼方は照れくさそうに撫でられていた。


少しして、眠気に誘われた私はソファの上でうとうとしていた。

そんな私に気づいてか彼方は私の隣に座り肩を貸してくれて、私は彼の肩に寄りかかる形で眠りに落ちた。




「──私がしっかりしていないばかりに彼方には辛い思いばかりさせてしまって」


「いえ、望美さんは立派だと思います。そんな人と暮らしていながらしっかり子育てまでして」


「私はそのくらいしかしてあげられませんから。本当はもっとずっと一緒にいてあげたいくらいなんです。仕事から帰ってきてあの子を見る度に傷ができているのなんてもう見たくないんです」


「……さっき服を着替えさせてあげた時に見ました。あれは酷い物ですよ」


母達が話している声がして、私がゆっくりと目を開けると目の前には気持ちよさそうに眠る彼方の顔があった。

少しドキッとしてしまった。


恥ずかしくなって彼の顔を見ないようにと目を瞑る。そうすると再び母達の話が耳に入ってきた。


「望美さん、何か私に手伝えることはありませんか」


そう言った母の声はいつものように優しさを含み、けれど怒りを感じさせる。そんな声だった。


「────」


望美さんはしばらく何も言わなかった。

私はこの行動に既視感があった。それの正体が何か思い出そうとして隣で眠る彼方の顔を見てすぐに分かってしまった。


――もし頼ってしまえば家族の事情に母や私を巻き込んでしまうから。

だから何も言わないままなんだ。


私は笑ってしまいそうになるのを必死でこらえていた。

なぜなら望美さんが彼方にそっくりだとそう思ったからだ。

いや、彼方は望美さんのそういうところを見て育ったんだろうから、彼方が彼女にそっくりなのだと言うべきかもしれないが。


「ふふっ」


自分で考えてて自分で可笑しくなって、堪えきれなくなった私はつい笑い声を零してしまった。


「あら、起きてたのね」


母そう言って私の傍に寄ると私の頭を撫でてくれた。母に頭を撫でられながら二人の座る食卓に私も腰掛けた。

食卓に着いた私は目の前に座る望美さんの方を見て微笑んだ。


「あのね、かなたのおかあさんってかなたとそっくりだなって思ったの。かなたもよく同じ顔して、それでだんまりするの。きっとそれは誰かのためにって話したい事を話してくれない時だから」


私がそう言った後、望美さんは驚いたような表情で私のことを見つめ返してきた。

そして今度は私の母がクスクスと笑い声を零していた。


「ふふっ、だそうですよ望美さん。やっぱり彼方くんはあなたの子供なんですね」


小気味よさそうにそう言った母の顔は先ほどの怒りなど感じさせない優しい顔に戻っていた。少し楽しそうにも見えてしまう。


観念したのか、一つ溜め息をして笑顔を作った望美さん。

そうしてその笑顔を崩さぬままに、しかし真剣なまなざしで言う。


「しばらくの間で構いません。私が家に居ない時には彼方を預かって面倒を見てあげて欲しいんです。あの男と彼方を一緒に居させたくないんです」


あの男とは彼方に聞いた彼の父親のことだろう。私自身も彼方が更に傷だらけになってくのなんて絶対に見たくはない。


「はい分かりました、承ります。愛梨もそれでいい?」


私に確認を執る母。答えはもう分かりきっているはずなのにどうしてこんな事を聞くのだろうか。


「もちろん!わたし、かなたのためならなんだってするって決めたから!」


そう言った私を嬉しいような泣きそうな目で見つめた望美さんは感極まってか私を抱き締めてくれた。

何だか照れくさい。

冷やかすように母が「いつの間にか頼もしくなっちゃって」なんて言って私の頭を撫でてくれた。


「望美さん、愛梨もこう言ってくれていますし、いつでも頼ってくれて構いません」


母は私の頭から手を離すと望美の方に向き直り、そう宣言した。


「ありがとうございます。本当に助かります」


望美さんは涙を流しながら、私達母娘に頭を下げた。




「それで望美さんはどうしますか?」


「私は仕事があるので元々あの家にはほとんど帰っていませんでした。だからこそ彼方を傷つけてしまう結果になっていたんですけど」


「そうなんですね。そういう事ならば良かったら望美さんも我が家にいらっしゃってください」


「……良いんですか?」


「ええ、元々部屋は空いているので」


「ではお言葉に甘えさせていただきますね」


こうして、私達は同じ家で暮らすこととなった。


そして翌日のこと。望美さんは夫との離婚を決意した。


彼方の気持ちを考えて今まで踏み切れなかったが、彼に自分以外にも支えとなってくれる人が出来たという事で決心出来たのだそうだ。


翌々日には離婚が成立し、望美さんと彼方の親子は『大原』という苗字に戻り、望美さん自身も私達が住む植村家で生活するようになった。




突然に始まった同棲生活は以前とは比べ物にならない程に幸せなものだった。

彼方も戸惑いつつも自分本位に振るまえているようで今では笑顔が絶えなくなっていた。

やっぱり彼方は笑顔でいる方がいい。


この生活が始まるきっかけでもある保育園の遠足については私と彼方の強い希望で男女同じ場所に行くことになった。

今まで経験がない試みにヒヤヒヤしつつもなんだかんだ楽しそうだった保育士。それを取り囲む男女混合の園児の姿。

この日の出来事をきっかけに保育園児の中にあった男女の壁は少しずつ薄れ始めたのだった。


男子の中にも絵本を読む子が増えてきた。女子の中にも元気に外で遊ぶ子が出てきた。

そして互いの性別を気にせず仲良く遊ぶ男女が増えた。


功労者であるところの彼方と私は前と変わらずに二人で居ることの方が多かったが、彼方を通して私を遊びに誘ってくる子も増えた。

仕様がないとでも言うように私もその誘いを受けていた。




数年が経ち、私と彼方は通っていた保育園を卒園して小学生となった。


ちょうどその頃に望美さんのお姉さん──、清華せいかさんとその旦那さんの康隆やすたかさん、その娘さんの好実このみさんが近場に引っ越してきた。

今回の引越しは康隆さんの仕事の関係での引越しらしい。

なんにせよ、彼方が嬉しそうにしていたのが私も嬉しかった。


そして清華さんから好実さんが通うから丁度いいのでは、と近くにある小学校と中学校、高等学校を併設している大きな学園へ私達を通わせるのがいいのではと提案を受け、母も望美さんもその提案に納得し、了承した。


入学からしばらく経って、併設されている中学校に好実さんが通っていたり、同じ学年同じクラスに私が一緒にいるからか、彼方は通学に対して不安自体はあまり感じていないようだった。


男子なのに髪は長く伸ばし、女の子が着るような格好で毎日当たり前ように通学する彼方を見てクラスメイトの男子達は最初こそそんな彼に不審感を覚えていたが、いざ接してみると気が合い、すぐに仲良くなっていた。

流石は彼方だと、私はそう思って見守っていた。


私の方は相も変わらず彼方以外の子に興味を持てなくて友達作りに失敗していた。女子達とも話が合わず、男子には何故か毛嫌いされているような有様だ。


そんな私も三年生になると友達を作らざるを得ない状態になった。

彼方とクラスが離れてしまったからだ。


毎日行き帰りは一緒に帰るものの学校にいる時には別々の生活を送っていた。

そうしてそれぞれの時間を過ごす内、彼方は好実姉さんと帰ることが増え、私はクラスの友達と帰るようになって、三年生が終わる頃には私達は家以外では関わり合う事も無くなっていた。


四年生になった頃、彼方は率先して女子のグループとばかりつるむようになっていた。

理由は単純だった。思春期の男子達の話についていけなくなったからだ。

趣味や価値観の違いからこれまでも何度か衝突を繰り返してきたようで、彼方がというよりは男子達が彼方の事を受け入れられなくなっていたようだった。

当然女子達だって全員が全員、彼方を受けて入れていた訳ではないが。



そんな学校生活を送る中で、私が異変に気づいたのは夏休みが終わり二学期が始まったばかりのことだった。

なんとなくだが、彼方が家でボーッと過ごす事が増えた気がした。普段から独りで考え込んでいる姿はよく見ていたけど、それとは違いただ呆然としていることが多くなったように思えた。


「彼方、最近学校で困ったこととか無い?」


「……ん?どうしたの急に」


「ううん、少し気になっただけ」


「そっか。特に何も無いから大丈夫だよ」


私の質問の意図が分からないようなキョトンとした不思議そうな顔で彼方はそう返答をした。


彼方は昔から自然体を装う事が上手いから、だから心配だったけどそれが私の杞憂であったのなら良かった。


──杞憂で、終わってくれたなら良かったのに。


それからひと月も経たない頃にそれは起きた。


私は何も知らず授業を受け、帰宅してから全てを知ったから、ただただ悔しさだけが私の中に刻まれた。

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