第2話 わざとだよ

 付き合っている振りをすると言う約束をしたところで、一週間が経ったとしても丞と咲来の関係に決定的な変化が訪れることはなかった。


 もとより丞は自分から咲来と付き合っているなんて、他の男子から恨みを買うリスクしかない発言をする訳もなく。

 対して咲来の方も、男が寄ってこなければ、この関係を言いふらさないと約束したので、完全に今まで通りの学校生活であった。

 もはや、丞の記憶の片隅から消えかかってしまう程度のものでしかなくなってしまっている。

 だから、今日も丞は何事もなく平穏な学校生活を過ごしていた。


「なあ、丞?」


 つんつん頭の友人、鳥越俊平がお気楽な調子で声を掛けてくる。

 丞は体育の授業の後で、半分グロッキー状態だと言うのに元気な奴である。


「……なんだよ」

「体育の時の龍岡見たか?」

「見ていないがなにかあったのか?」


 興味がなさそうにしていた丞が僅かに興味を示す。咲来には、幼馴染以上の感情は抱いていないが、怪我でもしていたら心配で見舞いに行ってしまうくらいの情はある。


「体育の授業は男子はバレーボール、女子はバスケットボールだっただろ?」

「そうだな……おかげで俺は突き指したけどな」

「保健室行くか?」


 丞は若干赤くなって腫れている左手の人差し指を眺める。

 昔から運動能力自体は平均くらいだったが、ボールとは友達は仲が悪かった。幸いにも多少腫れている程度なので、保健室には行く必要はないだろう。


「いや、大したことはない。それよりも咲来もどっか怪我したのか?」

「そんなに心配すんな。逆だ、逆」

「……」

「男子どころか女子からも黄色い歓声が止まなくなるくらいの大活躍。可愛いし、息切らして走ってる姿も、カッコいいって言うか、色っぽいって言うか。それだけで様になってる感じがした」

「……なるほど」

 

 別に咲来の運動能力を知っている丞にとっては、そんなことはわかりきっている。 

 何か裏があるのかと、俊平の方を向くと、邪なことを企んでいるのが露骨なくらいにニヤついていた。


「いやいや、龍岡が走ったり跳んだりするたびに……ゆごい揺れててな」

「――‼」

 

 俊平が言おうとしていることは丞にもわかった。咲来はすごいものをお持ちなのだから、思わず想像しそうになるが。

 チラッと咲来と友人たちの姿が視界を掠める。

 自分の体のことをこそこそと噂されて喜ぶ人間はいないだろう。挙げ句、最低な会話の内容である。

 咲来なら、丞のことだけは笑って済ましてくれるかもしれないが、周りの友人たちは許してくれるとは思えない。

 俊平には、鬼嫁だと周囲から思われているような恐ろしい彼女がいるのだ。

 あいつにこんなことが知られたらどうなるかと、丞は強引にでも話題を逸らそうとするが、


「――お、お前にはミカいるじゃんか」

「ミカ?」

「誰だそいつみたいな顔しないでくれよ……」


 俊平は誰の名前なのかも、理解していないかのように首を傾げる。だが、ミカこと、青葉三日月あおばみかづきは、俊平の彼女であることに疑いはない。三日月から、丞に定期連絡でもしてるのかと思うほどに、こんなことがあったとか嬉しそうに連絡が来るのだから。

 本気で忘れていたら、俊平を殴ってでも思い出させなければいけなくなる。


「ミカって幼児体型だから、胸がない人が目に入らないのは仕方がないだろ」

「……終わってる。嫌われている人間よりも、自分の彼女の方を見てろよ……」

 

 俊平は自分から墓穴を掘りにいっているとしか思えない時がある。

 先ほどから冷や汗が全身から噴き出してきて止まらない。

 なんで、他人である自分の方が俊平の心配をしなければならないのか。

 もし、この会話を咲来や三日月に聞かれたら――


「――あっ」

「ミカはなあ、幼児体型じゃねければね。言うことないんだがなあ」

「悪かったね。幼児体型でね……」


 俊平の背後からひょこっと頭をだした三日月。能面を貼ってつけたような笑みを浮かべていて、瞳の奥がまったく笑っていない。

 俊平は何事もなかったかのように三日月にヘラヘラと笑いかける。

 

「ミカじゃないか」

「……ん。とりあえず死ね」


 俊平の腹に全力のグーパンを入れてから、三日月は人気のなさそうな廊下の端まで引きずっていく。


「こいつ、しめてくるから」

「……あ……いってらっしゃい」


 俊平の断末魔が聞こえてきてる気もするが、丞は背を向けて聞こえない振りを貫く。


 (あれは、完全にあいつの自業自得だから)


 愚かな友人のことから切り替えて、次の授業のことに思考を移す。 

 

「ねえ、次の授業なんだっけ?」

「現代文だったはずだけど」

 

 教室に戻る途中、いつの間にか咲来が隣で歩調を合わせていた。三日月がいなくなってしまったので、単に誰も相手がいないのであろう。

 丞は、先ほどの卑俗な会話を聞かれていないか、内心びくびくしているが。


「えーめんどいなー寝ちゃおうかなー」 

「寝るなよ」

「だいじょうぶ。私、真面目だから眠気とは戦う」 

「だめじゃねえか」 

「で、あいつの声が聞こえてくるけど、またミカになんかしたの?」

 

 どうやら、俊平との会話は咲来には届いていなかったらしい。


「……いつものやつだよ」 


 機嫌は悪くなさそうだった咲来が大きな溜息をつく。声のする方へ、睨むように瞳を動かす。

  

「あれ、鳥越のやつ、わざとミカに対してやってるからね」

「……え⁉」

「胸が小さいだとか、暴力女だとか言ってるのは、ミカの気を引きたくてわざとやってるだけだから。まったく、好きな女の子を揶揄うのは、小学生までにしてほしいっての」

「そうだったの……知りたくなかった」

 

 思い返せば、俊平の三日月を揶揄うような行動は、聞こえるような範囲でしかやっていなかった。咲来の言う通り、俊平は敢えて三日月に対して、あえてあのような言動を取っているのかもしれない。


「しかも、いっつも私をダシにして、ミカも取られるし」

「……あ、うん」


 咲来が怒りを滲ませていても、微妙に反応に困る。

 咲来と俊平が険悪になったのも、三日月と付き合いだしてから。俊平の言動に問題があるのは承知しているが、親友が取られてしまったと言う咲来の嫉妬心も少なからずあるのは知っているから。


「わかってるなら、ミカの方にも言ってやった方がいいんじゃ……」

「いやあ、ミカもわかってて喜んでやってるから、ドSだし、鳥越はドMだからね。」

「は……?」 


 耳を塞ぎたくなった。

 そして、世の中には理解できないこともあると悟った。二人がこれで上手くいってるのであれば問題ない。そう思い込むことにしよう。


「ま、ミカからしたら私みたいに、好きでもない男に彼氏役やって貰おうとしてる人間の方が理解できないと思うけど」

「でも、咲来は変な奴に付きまとわれてたりして、大変な目に遭ってるから、俺に彼氏の振りなんて頼んできたんだろ。モテる女も大変だな」

「まあねー。私、かわいいから」

「うぜえ」


 かわいこぶって頬に手を当てる咲来を、疲れた目で見つめる。見た目だけは本当に、可愛いと心底思うが、丞にはそれ以上の感想は出てこない。


「それじゃ頼んだよ。私のために働いてよ彼氏君‼」

「完全に道具扱いじゃねえかよ……」


 ポンと肩を叩かれた丞は、ボソッと独り呟いた。

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幼馴染の恋人役になったら、タイプじゃないのに胸がキュンキュンしちゃうんだが? 犬の話 @inunoie

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