第2話 もやしと記憶の消費期限

 その日の午後は大忙しだった。

 もやしの精霊の自己紹介を聞いたのはお昼休憩終了10分前で、私は三宅さんの好意で彼を店に待たせてもらい、職場で仕事を無理やり終わらせ早退。店まで走る。

 昼営業が終わって準備中の店内に入れてもらえば、彼は奥さんに「精霊さんがいるとやっぱり助かるわねえ」と褒められていた。


「おかえりなさい、わが主」


 彼は厨房で働いていた。袋からざるにあけられたもやしが、見る間にしゃっきりしていくのを見ると、ああ本当に彼は人間ではないのだなと腑に落ちる。


「最近送られてくるもやしが萎れてて困ってたから、助かるわ」

「もしお望みでしたら、ご希望のもやしを生み出しますよ。大豆が一番得意ですが、緑豆、黒豆、小豆……」


 手のひらを上に向けると、ぽぽぽんと色とりどりの豆粒が生み出されては消えていく。まるで魔法……いや、精霊の力そのものか。


 しかし二人が仲良く話している様子にほっとしたのと同時に、暢気だなと呆れる気持ちも出てくる。

 さっきは助けてくださいって言ってなかったっけ?

 しかも魔法を使えるようになったこと自体、私には全く嬉しくない出来事だというのに。


「ソーヤ君、ここはいいから佐々木さんと話してらっしゃい」

「ではまた後程、奥様」


 彼は丁寧に礼をすると歩み寄ってくる。

 数歩挟んだ距離で、私は慌ただしい出会いから改めて挨拶しようと背筋を伸ばした。


「ご挨拶が遅れました、佐々木柚子と申します。日本の事情にはお詳しいですか?」

「魔法使いまわりについては」

「では申し上げますと、まず私は魔法とは無縁でしたので、大変驚いています」


 小学校入学時に全員受ける魔力適性検査では、ほぼないという評価が出ていたはずだ。


「また魔法に目覚めた人間は、速やかに魔法使い登録をする義務があり、適性に合った職業を勧められるそうです。ですが私、今になって転職は正直困ります」


 もやしが生かせる仕事……ぱっと思いつくのはもやし工場しかない。もし大豆なら色々就職先もあるとは思うのだが。

 しかし就活してやっと得た職場はそれなりに平穏だったのに、急に天職を勝手に決められて転職させられるのは、もやしでなくても嫌だ。

 きっと引っ越しにもなるだろう。


「ですので、こんな私が召喚できた原因はそちらにある可能性を考えました。

 先ほど助けてくださいと仰ってましたよね。自ら助けを求めるほどの何かがあったのでは?

 ご事情があるならこれも縁ですのでお手伝いします。用事が済み次第可及的速やかにお帰りいただけば、おそらくもうほぼ無能力、転職は避けられると思うのです」


 偶然なら、今回を最後に帰ってもらえばいい話。後はむやみに喚び出さないようにすれば済む話。

 役所には全力で無能アピールして逃げ切りたい。


「それがですね、困ったことに……」

 

 彼は首をかしげると、ワンピース風のだぼっとした服のポケットから一枚のメモを取り出し、広げて見せた。そこには……いや、読めない。見たことのない文字だ。


「手がかりはこれだけです。確かに僕の字で『もやしを 助けて』と書いてあるのですが、記憶がないのです」

「……記憶が?」

「もやしの精霊というのは豆の下位精霊で、かつ人工の精霊に近いのです。植物は育つのが普通で、もやしとは芽を出して成長する子供のを指すのですから。もやしは人生の大部分を工場内で過ごし、出荷されて数日で寿命を迎えるのが特殊です」


 確かにもやしは腐りやすい。

 こう考えるとセミ――最近は地上でも一週間以上生きるとか言われているんだっけ?――のようだとも思う。


「そして、そこでもやしせいが終わる、長期記憶に向かない種族なのです。僕には毎日繰り返される記憶は積もりますが、直近の体験は……」

「何を助けてほしいか忘れてしまった?」

「焦燥感だけはあって、工場で何かあったのかも。といっても燃料の高騰と値上がり、経営が苦しかったことくらいしか覚えてなくて」


 実際、もやしは安いからと嵩増しや付け合わせに使われることが多いが、メイン料理を張ることはほぼない。主食になるジャガイモにサツマイモや食卓常連の人参玉ねぎとは違う。……味噌ラーメンには必要だけど。


「工場を助けたかったんでしょうか?」


 私の言葉にソーヤ・マックス――精霊の名前の法則は知らないが、ソーヤは考え込むようなそぶりをした。



 そんな時、突然店の電話が鳴った。

 三宅さんの奥さんがすかさず受話器を手に取り、耳に当てる。


「はい、ラーメン菜豆サイトウ……午後は16時から……少々お待ちください」


 奥さんはちらりと私に目くばせをしつつ、電話の保留ボタンを押した。


「ここに外国人風の若い男が来てないかって」


 ソーヤに目をやると、白い顔が蒼白になっていた。もやしとしても不健康だ。

 私が首を振れば奥さんは再び電話を通話状態に戻して、お客様が多かったので覚えていません、と返して電話を置いた。


「名乗りもしないで、なんだかひどく焦っていたみたいだったわ」

「……工場の人かもしれない」


 声がひどく震えていた。


 ……私は腹をくくった。

 助ける程の力もないし面倒ごとには巻き込まれたくないが、これは事情で家を飛び出した迷い犬を一時保護するようなものだろう。


「追われているんですか?」

「分からないけど……怖い。多分、逃げてきたんだ。今まで工場の外に出るのを許されたことはないから」

「居場所ってすぐわかるもの?」


 答えたのはソーヤでなく、厨房で仕込みをしていた三宅さんだった。


「召喚魔法使いは精霊の力を感じることができる。いつも一緒だったら猶更だろうな」


 それなら召喚したばっかりの私には分が悪い。事情の輪郭だけでも……情報が、時間が欲しい。


「そいつは気にせずここにおいて置け。注文しただけで現れたんだ、助ける理由がある。うちに来たもやしだ」


 ……うちに来たもやし。


「どこのもやしかわかりますか?」

「栃木県の白日下シロヒゲ食品だよ」


 私は急いでスマホを取り出して、会社名を検索エンジンに打ち込んだ。

 何回かスマホの画面をタップすると幸い、手作り感のあるページが表示された。ほぼトップ画面だけの簡素なもので、所在地や取引先、工場の外観など何枚かの写真が掲載されている。


「見せていい? ……ここ?」

 

 確認を取ってからソーヤに見せると、彼はぱっと顔を上げて頷いた。

 相変わらず顔色は悪いが、反応があったことに安堵する。

 ページから得られる情報を総合するに、地元で地道にやってきた半家族経営の工場という感じで、特段変わったところはない。

 

「工場の人ならここの電話番号を知るのって難しくないかも。住所もすぐに分かるだろうし、やっぱり一度離れて――」


 私が言いかけた時、突然店の扉が軽く叩かれて私の肩が跳ねた。

 店内は見通しが良いように通りに面した壁の上半分と扉がガラス張りになっている。ただ開店準備中のおかげですだれを全部下げているから丸見えではない。

 ソーヤに急いで隠れるように促す間もなく、彼の姿はかき消えていた。と同時に、ポケットの中に違和感を感じて指先で触れる。


「まだ準備中ですよ」


 三宅さんは私に安心させるように頷くと、率先して扉のすだれを上げて軽く開く。

 それが一秒も経たないうちに、よれたスーツを着た年配の男性が滑り込んできた。


「すみません、ここに外国人風の若い男が来てませんか!?」

 

 薄い髪を急いで撫でつけたような格好に、ちょっとまがったネクタイは急いで準備してきたのだろうと思わせる。

 男性は息を切らしながら店内を見回すと、私の顔の上で視線を止めた。

 ……私、店員には見えそうにない。


「さっきまで試食をお願いしてた常連さんです」


 奥さんがすかさずフォローしてくれる。が、


「ふうん」


 さりげない一言だったが、ざらりとしたものが私の胸の底を撫でた。

 とはいえ男性は私の反応など気にするはずもなく、笑顔を作って名刺を旦那さんに差し出した。


「準備中失礼しました。実はわたし白日下食品の営業でして、今後もやしの納入が遅れる件について……」

「そのためにわざわざ?」


 訝し気な三宅さん。確かにまず電話で一報入れる話で、人探ししてる場合ではない。……勿論、その人がもやしの精霊であれば話は別なのだろうが。

 ともあれ三宅さんに目くばせをされて、私はこれ幸いと、


「失礼します」


 横をすり抜けて扉から出ると、店を足早に離れる。

 ポケットに手を突っ込むと、覚えのない紙片の感触とコロコロした豆とそこから生えているもやしの弾力が指先に触れた。

 念のため電車で迂回しつつアパートに帰り着いた私は、そこでようやく紙片ともやしを引っ張り出した。

 紙は例のメモで、もうひとつはしなしなになった一本の大豆もやしだった。


「とりあえず、水?」


 スプラウトの種まきなら経験がある。同じ要領で小皿に水を張って調理台に置くと、ぐんぐん水を吸ったもやしがピンと張りを取り戻し、そして、ちょこん。と、上にぼんやりと小さな精霊が――小さなソーヤが現れた。体を丸めて眠っているが、顔色はとてもいいとは言えない。

 水をピッチャーから追加していくと、一粒の豆と根とは思えないほどの量の水を吸ったソーヤはその恰好のまま大きくなり、私は急いでたいして広くもないリビングのど真ん中に小皿を移動させた。

 彼は出会ったときと同じ大きさ――大よそ180センチほどのサイズになったところで成長を止めると、目を開いた。


「気が付いた?」


 彼は長いまつげを何度か瞬いた後、真顔で私を見ていった。


「はじめまして、助けてくださいわが主」

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