丼の上で会いましょう
有沢楓
第1話 発芽とレベルアップは下積みの結果
その立場になってみて初めて解ることがあるなら、この場合、白雪姫を救うのは王子様で、だから王子様を救うのもお姫様でなければということだった。
いきなりキスする無謀は何かに裏打ちされた自信がなければできるもんじゃない。
富や権力は勿論、腕力も美貌もない20代の一会社員にそんな思い切りは持てなかった。
透き通るような白い肌にサラサラの金色がかったベージュの髪。伏せられた同色のまつげは私よりずっと長くて、純日本人の平凡顔の自分と比べるのも恥ずかしい。
それを昨日会ったばかりの私に、キスして――彼の生き死にを決めろだなんて、無謀以外の何物でもない。
それなのに、
「ささどうぞ、一気に口づけを」
地元名物を勧めるようなノリで、王子様の自称保護者が圧をかけてくるものだから、私は唇をかんだ。
薄ベージュの作業着に後退しつつあるボサボサの髪で決断を迫る男は突然「彼が目覚めるには口づけが必要」とかなんとか荒唐無稽なことを言った。
まるで彼が初めて現れた時みたいに。
***
もし天啓などというものが存在するのなら、それは私、
頭の右上の方で、ゲームで経験値がたまった時のような軽やかな音が鳴ったのだ。聞いたのは私だけだったから単なる聞き間違いだったのかもしれない。
しかしこの時実際に呪文を唱えてしまっていて、効果が表れたのは現実の話だった。
「ニンニクアブラナシヤサイモヤシマシマシ!」
呪文とは、ラーメン屋やお洒落なカフェなんかで使われる言葉、大抵はメニューのカスタム注文が門外漢には呪文に聞こえるという比喩である。
あくまで、比喩である。この魔法が現実に存在する日本という国においても。
魔法と同じくある程度体系化はされているが、この場合、ラーメン店の店員と客の間で交わされる
ところでコールには召喚という意味もあったりするらしい。
私は魔法など使えない一般人でこの時そんなことは知らなかったのだが、とにかく私はソレを召喚してしまったのだった。
違和感に気が付いたのは呪文を唱えて一分ほどしてからのことだ。
何しろ、カウンターの向こうで店主の三宅さんが湯切りを済ませたちぢれたまご麺と豆腐を丼に入れて、野菜を盛り付ける様子をじっと見ていたから。
丼がカウンターに置かれた時、伸ばした私の手を、横から掴んだ人物がいた。
白くほっそりとした手はきめ細かで水仕事などしたことのないような、少し節のある男性の手だった。王子様もかくやという程だが、さてそうであったとしても不審人物を兼ねることはできる。
「こ、この味噌ラーメンは私のですが」
握って離さないその手を、白い服に包まれた細い腕と白い首筋を視線で追ってかろうじて視界の端に顔を映す。
できれば目も合わせずに、あくまでラーメンの取り違いということにしたかったのだが、それを彼は許してくれなかった。
まさに外国の王子様といった容姿の彼は目を潤ませて、こう言った。
「はじめまして助けてください、わが主」
私は三回ゆっくり瞬きした後、現実逃避しようとして失敗した。
何せだんだん握力が現実を主張してくるのだ。
綺麗な顔の横では、天井付近の備え付けテレビが政府のコマーシャルを映していて、有名な魔法使いタレントが「適職探しなら役所の魔法課か、お近くの魔法職業安定所へ! あなたの適性を生かしましょう!」とやけに明るい声で笑顔を振りまいていた。
***
「……佐々木さん、お連れさま?」
テーブルを拭いて回っていた店主の三宅さんの奥さんが、不審者なのかと言葉をかけてくれる。
「い、いえ」
現実逃避は結局できなかった。
とりあえず麺が伸びるので、と甘い味噌ラーメンを食べきってから――ワンチャン消えていてくれないかなぁと隣の椅子を見たが、彼は相変わらずそこにいた。
「なら今が初めてか。しかし佐々木さんが召喚魔法を使うなんてなぁ」
昼休みの客が他にいなくなったのを見計らって、三宅さんの旦那さんが手を止めてくれる。
血糖値高め仲間の彼は、健康的なラーメン及びサイドメニューを用意してくれる、知る人ぞ知る料理人である。
「魔法なんでしょうか」
「間違いないな。俺は15かそこらで召喚魔法に目覚めて、それでラーメン屋はじめたから」
50歳程に見える三宅さんは大きな手を布巾で拭いながら頷いた。年季が入った魔法使いが言うなら間違いないのだろう。
そもそもこの世界の魔法というのは、地水火風の四元素を操るものから召喚魔法までバラエティに富んでいるが、魔法が使えるのは一部の人間。
そして適性があるのは一種類で、更にたったひとつの魔法であることが殆どだ。
それでも有用だと政府は魔法を生かした職業に就くようにと減税に就職斡旋、勧誘――まあ強制とは言わずともそんな大推奨な雰囲気を醸し出していた。
目覚めるのも十代のうちが多いため、学生のうちに進路を考えるのが教育のスタンダード。
一方で公共の場で使うには免許制でもあり、魔法コントロールやマナーを覚えるための車の教習所のような学校を運営していたりもする。
しかし私は魔法とは無縁で育ってきた。
小中高校と公立を卒業し、まあまあ名の知られた私立文系大学をそこそこの成績で卒業。
その後は中小企業に就職し、朝から晩までパソコンの前で座り仕事をしている。職場でも魔法使いは見たことがないし、三宅さんが使えるというのも初耳である。
「……注文のカスタムって呪文に入るんでしょうか?」
「入らないとは言い切れないなぁ」
三宅さんはちょっと困ったような顔になる。
そして熊のような体格の三宅さんとの間に、白魚のような男性が視界に割り込んできた。
「あれだけカスタムされていたということは、もやしと豆腐はお好きですね?」
「ええと、それは必要に迫られてですね」
私は疲れるとなぜか無性にラーメンが食べたくなる。
そしてここは会社の側、裏道にあるちょっと穴場の、カスタム対応が神な健康志向の店なのだ。
以前健康診断の結果が芳しくなかった時から通って何年かになる。
食べるのは金曜日の昼間と決めていて、麺三分の一にして残りは豆腐カスタム、もやしとキャベツたっぷり乗せにして罪悪感を減らしていた。
「それで精霊というのは? どういう存在なんでしょう?」
「俺はたまたま似たような能力だからわかるんだが……」
三宅さんがフォローしてくれた。とても助かる。
同じように助かるのか、目の前の美形も頼りにならない主とやらよりも、三宅さんを尊敬のまなざしで見つめた。
「そいつはしゃべれるし人間型も取れる、上位の精霊だな」
「ご紹介いただき光栄です。僕はソーヤ・マックス・ビーン・スプラウト。もやしの精霊です」
今同類を食べたばっかりなのに、それはいいのか。
白魚――改めもやしの精霊の王子様、ソーヤは、人には非ざる金色の、もやしのひげ色の瞳で私を見つめてきたのだった。
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