エピローグ

最終話:船出

 アトリエにかけられた絵を見る。まじまじと見るのは久しぶりだ。船に乗った3人の裸婦。正面を向いている一人は妻のアオイで、その左右で背中を向けているのが後輩のサクラと、ツバキ先輩だ。もう、8年も前になるのか。


「あー、久しぶりに見入っちゃってる。サクラちゃんやツバキ先輩の裸を思い出してるんでしょ」

「まあな」


 あの頃、高校生の俺たちはヌードデッサンに明け暮れていた。裸を描くだけでは飽き足りずにセックスもした。アオイとは交際していながらも、他の二人と肉体関係を結ぶという、ただれた関係であった。もちろん、絵も本気で描いていたのだが。


 当初はデッサンだけだったが、ツバキ先輩が卒業する前に水彩画も残しておこうという話になった。その時にモチーフにしたのが、フィンランドの画家、アクセリ・ガッレン=カッレラの《ワイナミョイネンの航海/Väinämöinen's Voyage》である。裸の乙女たちが漕ぐボートに、白い服を着た老人(ワイナミョイネンという伝説上の英雄)が乗っているというものである。


 しかし、俺の絵にはワイナミョイネンはいない。絵は船尾に座って前を見ている彼の視点というわけだ。正面を向いたアオイの後ろに、背中を向けて漕いでいるサクラとツバキ先輩という構図になっている。


 アオイ以外の二人について、顔を見せない構図で描くことにしたのは相談の結果である。これは二人からアオイに対する遠慮であり、他の人が見ることも想定した将来のためでもあったのだろう。実際、親や知人には交際相手のアオイがモデルであるとしか説明していない。当時、部内の先輩と後輩をも裸にしていたというのは、さすがに大っぴらには言えない。


 一度に三人が揃ってモデルをすることは困難だったので、大抵は一人ずつ描いた。そしてほとんどの場合、その前後に彼女らを抱いていた。求めるのは俺からの場合もあれば彼女たちからの場合もあり、全身で触れ合うことでより体を理解できる、という理屈を展開することもあった。


 絵の完成後は、アオイ以外との関係は自然に消滅した。卒業したツバキ先輩とは会う機会もなくなり、サクラとは良い部活仲間ではあったものの裸でモデルをすることすらなくなった。これは彼女らなりのけじめの付け方であり、絵の題材通りに「船出」したのだろう。俺としても、いつまでもただれた関係が続くのは不健全だと思っていた。若い日の気の迷いだったのである。


「本当に、これが完成してから私一筋になったよね」

「そうだな。そもそも、それまではよく許してくれてたなって」

「そのほうがアキのためになると思ったから。だいたい他の子と付き合うのを許さなければ、この絵も完成しなかったよね」


 この絵で権威のある賞を取り、兼業ではあるものの絵を仕事にすることができるようになった。まさに俺にとっても航海の始まりとなる絵だった。そしてアオイは今でもヌードを含めてモデルになってくれている。当時「現役高校生が同級生女子をモデルにしたヌード絵画」ということが話題性になったので、アオイが脱いでくれたことは感謝しかない。現在も、俺とともに個展に顔を出す彼女の存在が、絵の売れ行きに繋がっていないかと言えば嘘になるだろう。


「さっき、ツバキ先輩とサクラちゃんから連絡があって、久しぶりにみんなで会おうかって話をしてたの」

「そうなのか!」

「モデルになってもいいって話だけど、どうする?」


 今の彼女たちをモデルにした絵、ぜひとも描いてみたい。さすがにヌードは無理だろうか。特にツバキ先輩は家庭持ちの身であるし……。


「今のアキは、さすがにプロの画家先生だから間違いは犯さないとは思うけれど。お互いが同意したのなら、ちょっとくらいハメを外しても許してあげる」

「おい、本気で言ってるのか?」

「8年間、ずっと頑張ってきたんだもの。たまには……ね」


 耳元でそう色っぽく囁いた彼女は、着ていた服を脱いでいった。


「ねえ、今日はモデルが先? それとも……」


 最後の下着を脱ぐと、彼女はそう言ってアトリエのベッドに横たわるのであった。


 *****


美術部に入ればヌードデッサンできるなんて本気で思ってたの?



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