第9話:ヒップライン

「ふーん、意外とおとなしい姿でモデルしたのね」


 俺が描いた《着衣のサクラ》を見て、アオイはそう言った。今日は日曜日で、彼女のところに遊びに来ている。


「いや、このポーズの元ネタわかるだろ」

「……あ、ゴヤの《着衣のマハ》かぁ」


 《着衣のマハ》は、同じモデルと構図を用いた《裸のマハ》と対になっている絵である。美術を知っている者であれば、着衣版を見た時点でヌードを連想するはずだ。


「ねえ、裸も描いたの?」

「いや、さすがにこれ1枚描くので時間いっぱいだったからなぁ」

「脱いで構図チェックとかは?」

「それもない。だからサクラの裸はまだ見てないんだ」


 いくらなんでも、初めて家に上げた男の前で裸になるほど尻軽ではないだろうと思っているのだが。


「それじゃ、ヌードモデルになったのはまだ私だけってことね」


 得意げにそう言う。口では俺が他の子を裸にすることを肯定していても、やはり抵抗感があるのだろう。なお今日は家に親がいるので、さすがにヌードデッサンは無しである。


「そういえば、次はアオイを呼んでもいいとか言ってたんだけど、どうする?」

「うーん、興味はあるけど、まずは二人でお楽しみしたほうがいいんじゃない?」

「そうだな。さすがに3人でのプレイはまだ早いか」


 俺は冗談っぽく流したのだが、仮に3人でデッサン会を開いて、誰か(もちろん俺も含まれる)がヌードモデルになったらどうなってしまうのだろうか。その時にならないとわからない。


「それで、次回はいつなの?」

「何もなければ次の土曜日になると思う」

「そっか」


 それだけ言うと、アオイはシャツのボタンを外して、スカートもめくり上げて下着を見せた。


「おい、今日はそういうの無理だろ」

「わかってる。私も焦らしてるだけだもん……続きはサクラちゃんとね」


 そして、情熱的に俺の唇を奪った。サクラのことを小悪魔呼ばわりするが、アオイも大概だと思う。


 ***


「アキヒコ君、最近は裸婦画をよく描いているわね」


 部活動中、3年生であり、この美術部の部長であるツバキ先輩に声をかけられた。今日の俺が模写しているのはベラスケスの《鏡のヴィーナス》だ。ベッドに横たわる女性という意味では《裸のマハ》に似たポーズだが、こちらは背中を向けてヒップラインを見せている。


「ええ、ここの曲線美が本当に美しいと思います」

「真面目に芸術としてみているのね」

「とはいっても俺も男ですし、下心がないというわけでもありませんから」


 西洋においても、裸婦画や裸婦像は宗教的に弾圧されていた時代があったようだ。ゴヤやベラスケスのいたスペインでも同様で、同時代の裸婦画はカトリックの異端審問の対象ですらあったという。裸婦のモチーフにはしばしば女神が用いられるが、これは神話という題材を使うことで、下心ありきのヌードを堂々と描くという意図もあったのだろうと思う。


「こういう絵を見て……その、妄想とかしたりするの?」

「さすがにこの絵を使う、ってのは無理ですかね。でもエロスは感じますよ」


 部長は曖昧な表現を使ったが、要はオナニーの「おかず」にできるかどうかという意味だろう。もっともこれは画風に対する慣れの問題であり、当時の人であれば性的に鑑賞したのかも知れないと思う。逆に、現代の萌え系のエロイラストを昔の人に見せても興奮はしないのではないか。


「部長の前でこういうこと言うのちょっと恥ずかしいんですけど、エロスと芸術って切り離せないものだと思うんですよね」

「私もそう思います! 先輩、熟女もありですか?」


 サクラが会話に割り込んできた。


「まあ、芸術の解釈は人それぞれでしょうけど、品のない言葉は使わないようにね」


 サクラの言う「熟女」という表現に眉をひそめたのか、部長は立ち去ってしまった。


「熟女、ねぇ……」


 《鏡のヴィーナス》のタイトル通り、天使のようなキューピッドが持っている鏡にヴィーナスの顔が映っているのだが、このキューピッドはヴィーナスの息子でもあることを踏まえると、母親としての熟れた女体美を強調する効果もあるだろう。このモチーフから即座に「熟女」という単語を出したのは、彼女の教養を示している。


「このお尻、憧れます。こればっかりは歳を重ねないと肉が付かないみたいですから」


 あくまでも俺の持論だが、バストとヒップは同じくらいのボリュームが最もバランスが良いと思う。アオイは控えめな胸なので薄めのヒップと釣り合いが取れていたが、背が低くて華奢な割に胸の大きいサクラの場合、大きなお尻に憧れるのかも知れない。


 サクラの制服の下の裸体、ぜひ見てみたい。そのすべてを描き残して、味わい尽くしてやる!

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