第1話:きっかけ

「アキ、暇なら美術部に入ってみない? また、一緒に絵を描こうよ」


 高校に入学してから約一ヶ月、家と学校を往復するだけのアキこと、幼馴染のアキヒコを見かねて美術部に誘ったのは私である。


「絵ぇ? これからはAIの時代だぜ、手描きの時代は終わりだよ」


 ちょうど昼食の弁当を食べ終わったところで、つまらなさそうにそう言った。


「私は違うと思う。AIだって元になる絵がなければ進歩しないんだから、人の絵がいらなくなるってことはないんじゃないかな。それに、AIアートを使いこなすには下絵や配色とかの構成センスが求められるみたいよ」


 人間が何日もかかって仕上げるようなイラストを一瞬で描き上げるAIを見て複雑な気分にならないかといえばもちろん嘘である。だが絵の分野に限らず、これからは人間とAIが二人三脚で歩む時代だという意見に私は賛成である。


「ふーん、そういうもんかな」


 アキは、もともと絵を描くのが好きだった。幼稚園の頃からよく一緒にお絵かきしてたし、小学生になってもコンクールに何度か入選したりした。上手く描けた絵を本当に嬉しそうに見せてくれる。私はそんなアキを見るのが好きだった。


 風向きが変わったのは中学に入ってからだ。美術教師との反りが合わず、今まであれだけ独創的に楽しく描いていた絵を、言われたとおりに事務的にお題を描くだけになってしまったのだ。私は悲しかった。


 高校の選択肢が少ない田舎で良かったのは、自然に彼と同じ高校に進学できたことだ。高校なら美術は選択教科だし、中学の頃と違ってのびのびと、昔に戻ったように絵が描けるかも知れない。そう思って誘ってみたというわけだ。


「ま、どうせ帰ってもヒマだし、気が向いたら行ってみるか」


 アキは右手で箸をもてあそびながらそう言った。私にはそれが絵筆のように見えた。


 そっけない返事をした彼だったが、意外にもその日の午後練には来てくれた。その場で仮入部し、すぐに正式に入部してくれたのだ。


 部活に入ってから、アキの笑顔を見ることが増えた気がした。絵を1枚仕上げるたびに、昔のアキが少しずつ戻ってくるみたいで本当に嬉しかった。たぶん、この頃にはとっくに恋に落ちていたんだと思う。はっきり自覚したのは2年生になってからだったけれど。


 ***


「今だから言うけど、美術部に入ったらヌードデッサンができるかもって期待してたんだよね」

「は、はぁ?!」


 部活中、二人で一緒に《ミロのヴィーナス》の石膏模型をデッサンしている時、突然そんなことを言ったので私は驚いた。他の部員は別のことをしているので、聞こえているのは私だけだろう。


「だってさ、ヌードといえば芸術の基本じゃん」


 ちょうど今スケッチしている最中のヴィーナスを私に見せながらそう言う。彼のスケッチブックの中のヴィーナスには両手があった。


「俺って中学の頃、絵を描くのが嫌いになってたの覚えてる?」

「うん」

「先生と合わなかったってのもあるけど、美術を突き詰めるとヌード、特に女性のヌードという存在は無視できなくなるというのが、なんだか恥ずかしかったというか。思春期特有の抵抗みたいなのもあったんだよね」


 絵画にせよ彫刻にせよ、世の中には芸術の名目で女性のヌードがあふれている。ちょっと意識すれば、公共の施設で堂々と展示されているのを見つけることも容易だ。これが例えば漫画やアニメであれば、乳首が出ただけでR18のレッテルを貼られかねないので、なんだか不思議である。


「でもさ、一周回ったっていうのかな。今では堂々と女性の裸は美しいって思えるようになった。既存の芸術作品や写真もいいけど、一度は実物を見て描いてみたいなって」

「ふ、ふぅん」


 私は改めて、彼が大人になったということを意識した。いつの間にか私よりも背が高くなり、肩幅も広くなって喉仏も出てきた。きっと、とっくに精通もしているのだろう。


「仮にヌードデッサンやるとして、誰がモデルするのよ」

「そりゃ、部員同士とか?」

「バカ! エロ漫画の読みすぎ!」


 まったく、冗談じゃない! 私の裸を他の部員に見せるなんて、乙女の体を何だと思っているのだろう。


 *


「ねえ、さっきの話の続きだけどさ」


 先ほどの発言で怒った私はしばらく口を利かなかったのだが、無言の帰り道が寂しくなったのでとうとう話しかけた。


「もし部員同士でモデルをやるとしたら、あんたの体も見られちゃうけど、それでいいの?」

「あー、確かに。他の奴らの前で裸になるのはちょっと抵抗あるなぁ」


 そう言って笑い合う。私と同じ結論になったのが妙に嬉しかった。しかし、ここで改めて言葉を振り返る。もしかしたら「他の奴ら」以外ならばいいのか?


「ふふ、私も同じ。プロのモデルさんじゃないし、まだ未成年なんだから体は大切にしたい。他の人には見せられないわ」

「他の人、ってことは例外があるのかよ」

「ま、まあね。アキくらいになら見せてもいいかなって」


 勢いで口にしてしまったが、私は何を言っているんだろう。


「……ん、今なんつった?」

「だから、アキの前でなら、ヌ、ヌードになっても、い、いいかな、って……」

「マ、マジで……?!」

「ア、アキが興味あるなら。これは芸術、芸術のためなんだから!」


 芸術という言葉で取り繕ったが、下心が無いわけがない。思春期の男子の前で女子が裸になるということの意味を、お互いにわからないわけはないだろう。私は鈍感なアキに気づいてほしい。臆病な私としても一歩前に進みたい。


「今すぐってのは無理だけど、きっといつか。近いうちに、ね。約束だから」


 言ってしまった。私とアキの間では「約束」は今までに一度も破られたことがない、絶対の言葉なのだ。


*


「あ~っ……」


 自宅に帰ってベッドに寝転び、枕に突っ伏しながら私は言葉の重さを噛み締めた。ヌードになるということより、そんな約束を一方的にしてしまった私のことをアキはどう思うんだろう。


「お前なんかモデルにならない、とか言われたら一生ものの恥だよね……」


 ベッドの上で脚をバタバタさせながら後悔するのであった。

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