第3話

 変わってしまった日常。

 そして、それはついに僕の身近な存在にまで及んでしまった。


 朝、目が覚めた。

 珍しく、一人で起きれたことに驚きを抱きつつ、時計を見ると、いつもよりも20分は遅い時間だった。


「あれ?」


 学級閉鎖になっても、母さんには同じ時間に起こされていた。

 今日は休みじゃないし、母さんはどうしたんだろう?


 不思議に思いつつ、カーテンを開けるけど、そこには灯里の姿はなかった。

 まあ、そうだよな。

 着替えて、リビングへ向かう。


 母さんはいつものようにキッチンで朝食を作っていた。


「おはよう」


 その後姿に挨拶をする。


「…………」


 しかし、反応はなかった。


「……母さん?」


 不思議に思って、もう一度話しかけると。

 母さんは、と振り返った。


「お は よ う 遥 人」


 母さんは、と言葉を発した。

 時間が止まったような感覚に襲われる。


 母さんは、僕の顔を見ると、またと振り返ってキッチンで朝食作りに戻った。

 しかし、よくよく見てみると、その朝食作りをする手の動きが非常に遅い。

 まるで、スローモーションのように……


「母さん!?」


 呼びかけたけれども、母さんの反応は鈍いままだった。



 急いで父さんに連絡を取って帰ってきてもらった。


「これは……」


 すぐさま父さんは母さんの状態を確認し始めた。


「……父さん、母さんは……」


「ああ……例のバグが発生しているみたいだな」


 その言葉に目の前が真っ暗になったような感覚がした。


「なに、大丈夫さ。父さんに任せておけ」


 そう言うと、父さんは母さんの状態を確認しに戻る。

 父さんの額には汗が滲み出ていた。

 僕は何もできずに、ただ部屋に戻ることしかできなかった。



「……遥人?」


 ベッドの上で横になっていると、誰かが部屋の中へ入ってきた。

 今の僕にはそちらを向く元気すらない。


「遥人、大丈夫?」


 声の主は、灯里だった。

 心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。


「……灯里」


 声を絞り出す。


「おばさんの様子は聞いたよ……」


 どうやら、灯里も母さんのことを聞いたようだ。


「で、でも大丈夫だよ! きっとおじさんが直してくれるって!」


 灯里はそう言って、僕を元気づけようとしてくれる。

 きっと、母さんにバグが発生したから、僕が落ち込んだと思っているんだろう。

 でも……違うんだよ。


「……母さんのバグ……僕は見たことあったんだよ」


「えっ?」


 あの極端にゆっくりな動き、ゆっくりな喋り方。

 僕は、それをもっと前に見たことある。


「……コンビニの店員が、そんな感じで動いてたんだ」


 ノートを忘れてコンビニに寄ったことを思い出す。

 今思うと、あの時の店員は、母さんと同じ状態だったんだ。


「……でも、それがどうしたの?」


 灯里は不思議そうな顔をしている。


「……もう……一ヶ月近く前のことなんだ……」


 このバグが広まるもっと前の事になる。


「前に父さんが言っていたんだ……もっと早く対処をしていたらここまで広がらなかったって」


 もしも、あの時に違和感を放置せずに父さんに話していたら……

 太一の母親も、クラスメイトも、母さんだってバグが発生しなかったかもしれないのに……


「遥人……」


 僕の言葉を聞いた灯里は、言葉も出ないという様子だった。


「……僕が悪いんだ」


 灯里の顔なんて見れなくて、思わずうずくまってしまった。

 そんな僕の頭に、灯里はそっと手をおいた。


「……遥人は悪くないよ」


 大丈夫、大丈夫と何度も言ってくれる。

 その優しさに、思わず涙がこぼれてしまった。

 しばらくそうして甘えていただろうか。


「ありがとう……灯里」


 溢れる涙を拭いながら顔をあげる。

 そうだよな、後悔なんてするよりももっと何かできることがあるはず……

 さしあたっては、疲れている父さんにご飯でも作ってあげようか。


「灯里、ちょっと父さんにご飯でも作ってあげようと思うんだ、手伝ってくれないか?」


 僕一人だとろくに作れないから、灯里にも手伝ってもらおうと……お願いをしつつベッドから降りて、


「う ん 手 伝 う よ」


 部屋を出ようとして……思わず振り返った。


「……灯里?」


 灯里は未だにベッドの方を見ていた。

 まるで、僕がベッドにいた時のままで……


「ま か せ て 料 理 は 得 意 だ か ら」


 灯里の動きと言葉は酷くだった。


「灯里!?」


 近寄って灯里の方を揺する、しかし、灯里からの反応は酷く遅い。


 気がついた時には、僕は灯里を置いて、部屋を飛び出していた。


「父さん! 灯里が!」


 リビングで母さんの様子を見ている父さんに駆け寄る。


「灯里にもバグが!」


 叫び、助けを求めて叫ぶ、きっと僕の顔からは生気を感じられなかっただろう。


 しかし、父さんは僕の言葉に反応しなかった。

 と、母さんの状態を確認し続けている。


「……父さん?」


 僕の言葉に、父さんはと振り返った。


「遥 人 任 せ て お け 母 さ ん は 父 さ ん が 必 ず」


 僕は父さんの言葉を最後まで聞くことなく、外へと飛び出していた。


 僕の幸せな日常は完全に崩壊した。

 それに耐えきれなくて、僕は振り返ることなく走り続けた。

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