第2話 美味しいアップルパイのお店があるんじゃないのですか?



「ほら、美味しいアップルパイのお店があるんでしょう?――責任、取ってくださいね?」


 俺は彼女にそう囁かれた。


「お、おいっ! 待て、なんでそんな陰キャ野郎に――」


「逃げますよ」


 銀髪少女はそう告げて、俺の手を掴み――


「へ?!」


 そのまま走り出した。


「きゃっ!」


「すみませんっ!」


 下校する人々をかき分け、時には人にぶつかりながらも走り続ける。


 そうして人気のない公園のベンチまで来てようやく銀髪少女は止まった。


「ふぅ……逃げてきちゃいましたね」


 銀髪少女は額の汗を手の甲で拭う。

 7月の猛暑に全力疾走して俺も彼女も汗を頬に滴らせていた。


「ぜぇはあ、ぜぇはあ……ど、どうして?」


 俺は顔を上げ、息を切らしながら彼女に問う。

 彼女は顎に手を当てて、考える仕草をし――


「あの人がウザくなったので」


 冷淡にそう言った。

 まるでどうでもよかったかのようだ。


「え? それだけ?」


「そうですよ、どうかしました?」


 彼女はキョトンと首を傾げる。

 いや、どうかしましたって……


「いやいや、不味いでしょ! 君はあの人が好きで付き合ってたんじゃないの? それなのに簡単に別れちゃダメなんじゃないの?」


「――何か勘違いしてません?」


 その言葉はとても冷たかった。


「え?」


「私、別にあの人のこと好きじゃなかったんです。今までは仕方なく付き合ってたけれど1ヶ月前にもう、その理由も無くなりましたし……ただ丁度いいタイミングだったからフっただけです」


「そんな……」


 俺はなんと言っていいのかわからなかった。

 ヤンキー男はクソだが、それでも彼女を好いていたんじゃないのか?

 その想いをそうも簡単に蹴っていいものなのだろうか。


 そう思っていると彼女は俺の考えを読んだかのように口を開いた。


「あの人は私の体にしか興味無いですよ。それに、人に無理矢理私をナンパさせてそれを助けて好感度稼ぎしようだなんて人として最低です。気遣う義理なんてありません」


「き、気づいてたのか?」


「まあ、予想でしたけど……けどその反応だと本当だったんですね。尚更別れて良かったです」


 は、嵌められた……。

 けど、この様子だと彼女はヤンキー男のことを好きどころか、嫌いだったようだ。

 でも、それならなんで付き合っていたのだろうか。


 そう疑問に思ったが、なんだか訊いてはいけないような気がした。


「あの、ここで話すのも暑いからもうちょっと涼める場所に行きませんか?」


 彼女の額には汗が滲んでいた。

 日陰とはいえど7月の昼前はあまりにも暑すぎる。


「確かに……でもどこに行こう」


「あら、美味しいアップルパイのお店があるんじゃないのですか?」


 彼女は小悪魔のような笑みを浮かべて、俺を上目遣いで見てくる。

 なんというか罪悪感が凄い。


「ええっと、それは……」


「冗談ですよ、それに昼前にアップルパイなんて食べたら昼食が食べられなくなってしまいますので」


「それじゃあ……ファミレスとかでもいいか?」


「ええ、それでお願いします」


 そうして、俺たちはヤンキー男たちに見つからないように早足でファミレスに向かう。


「…………」


 俺たちの間を沈黙が支配する。

 少し気まずいかも。


 俺はちらりと横の彼女を見る。

 そういえば俺はこの子の名前すら知らないな。

 あ、いや、確かヤンキーにセナって呼ばれてたっけ。

 でも、面識のないはずの俺に勝手に下の名前を呼ばれるのは気色悪いよな。


 よし、名前を聞こう。


「あのっ!」

「あの」


 ッ……。

 銀髪少女と見事にタイミングが重なってしまった。


「えっと、お先にどうぞ」


「いえ、そちらの方が少し早かったので貴方からでいいですよ」


「いや、そんなことなかった思うよ」


 俺たちの間を沈黙が支配する。

 けれど、その沈黙はさっきまでのものとは少し違った。


「くすっ」

「ぷっ」


 俺たちは揃って笑い始めた。

 別に特別、面白かったわけでもないのに。


「もう一斉に言いましょうか」


「いや、その必要はないと思うよ」


「……?」


「名前、名前じゃないのか? 君が聞こうとしてるのは」


 俺はそんな気がした。

 外れていたらとんでもなく恥ずかしいが。


 彼女は驚いたような様子で口を開く。


「違いますよ?」


 俺氏死亡のお知らせ。

 死因――恥ずか死。

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