第2話

 息子との暮らしは静かなものだった。

 誰に似たのか寡黙な奴で、物音もあまり立てない。たまに、まだ一人で暮らしているような感覚になり、トイレや風呂で鉢合わせるとえらく驚いた。


「す、すみません、辰雄たつおさん」


 息子は俺を父と呼ばず、俺の下の名前で呼んでくる。頼んだ覚えはない。最初からこうだった。叔母が生前に何か言ったのだろうか。


「いや、気付かなかった俺が悪い」

「そんなこと……いっそ、鈴でも付けるべきでしょうか」

「猫じゃないんだ、そんな必要はないだろう。気になるならもう少し音を立てればいい。近所迷惑にならない程度にな」

「は、い」


 俺と会話する時、息子は敬語だ。俺をじっと見上げながら、話をする。

 否定はしたが、息子と話しているといつも、猫と相対しているような気分になった。

 昔、路地裏で煙草を吸っていると、静かに近寄ってきて、立ち止まり、じっと見てくる猫がいた。三毛だった。手や足で追い払っても退かないから、無視して煙草を吸った。確か、妻と出会う前のことだ。

 その内路地裏に近寄らなくなって、妻の身体の為に禁煙をして、猫のことなど今の今まで思い出さなかったのに。猫は首輪をしていなかった。時間も経っているし、とっくに死んでいると思うが……まさか息子は、あの猫の生まれ変わりだったりするのだろうか。


「なあ」

「はい」


 夕飯時、いつもならテレビから流れる音声だけが食卓に響くせいか、驚いたのだろう、俺が話し掛けると、息子は小さく肩を跳ねさせていた。


「猫、好きか」

「……猫、ですか」


 前世が猫かどうか訊くのに、どんな質問が適しているだろう。

 口に任せれば、そんな風に問い掛けていた。

 息子は茶碗を置いて考え込む。訊いておいてなんだが、そこまで考えることだろうか。


「……好き、でした」


 少し待ってみて、返ってきたのは、過去形の好き。

 いつも通りの無表情には心なしか、陰りがある。


「今は好きじゃないのか」

「……可愛いとは、思うんですけど……その……」


 別に急かすようなことではないからと、言葉の続きを待ちながら飯を掻き込む。その内、息子は俯き、肩が見るからに強張っていた。

 そろそろ俺は食べ終わる。そこまでして知りたいことでもない。もういいから食べろと言って、食器を流しに持っていく。洗い終わって居間に戻れば驚いた。息子は静かに涙を流していた。


「お、おい」


 駆け寄ったものの、何て言葉を掛ければいいのか分からなかった。

 父はこういう時に、どうしていたか。

 思い出そうとすると吐き気を覚えた。

 何が、父か。

 手近にあった箱ティッシュを渡し、好きに使えと言えば、息子は涙に濡れた目で俺を見つめる。猫だ。やはり猫みを感じる。──妻にはちっとも似ていない。妻はもう少し、感情豊かな女だった。

 泣いて泣いて泣き喚いて物を投げつけてくる、そんな女で、腕力がないから全然痛くなくて、それがおかしくて……可愛かったんだよな。


「……飯は、食えそうか?」


 訊ねれば、息子は首を横に振る。それに合わせて涙が溢れるが、息子は何故かそれを拭おうとしない。

 少し迷って、ティッシュを一枚取り、息子の顔を拭う。盛大に肩を跳ねさせていたから、気持ち力を抜いて拭き続けた。そうすると、徐々に息子の身体が強張りを解いていく。

 それなりに綺麗になった息子の顔。達成感からか、俺の口からは自然と吐息が溢れていき、次いで、風呂には入れよと息子に告げていた。頷いた息子は軽く一礼して、足早に居間から出ていく。


「……誰に、似たんだろうな」


 返ってくる声はない。

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