第19話 祭の終わりと暗殺者


 祭りの3日目。

 テラノヴァのポーションは品評会の特別賞をもらった。

 金貨500枚が商品として贈られ、ニコラスは舞台で感謝の言葉を述べた。


「私の工房には素晴らしい職人がおります。その中でも特に秀でた能力を持ったものが、私をこの舞台に立たせてくれました。彼女の努力と情熱に敬意を表します。そして職人の本分を改めて考えさせられました」


 ここからニコラスはちくちくと本業以外に精を出す同業者を暗に非難し、謝辞を終えた。 

 彼を妨害していたハーウィンは顔を真っ青にして、絶望の表情でうつむいていた。


「以上です。重ねて感謝をいたします」


 拍手の中ニコラスは舞台を降りた。

 審査に加わった参事会員のひとりは、舞台を見て苦々しい表情をした。

 彼はいとこのハーウィンが作ったポーションに賞を取らせたかった。最優秀賞ならともかく、特別賞ならばねじ込めるはずだった。

 ハクが付けば売り上げも上がり、おいしい依頼も受けられる。

 彼には感謝と金貨がもどってきただろう。 


 しかし彼の一票では、他の参事会員を上回れなかった。

 病気の家族がいる参事会員が『予言の予感の病気治療ポーション』の有用性を力説し、作品自体もいとこが作ったポーションを上回っていたため説得力で負けた。


 これで今年も、ニコラスの工房が上だと示されてしまった。

 ならず者どもにまで手回した結果がこれだ。無駄なカネと労力をかけた怒りの先に、ふがいないいとこの姿があった。


 その日の夜、ハーウィン一家は家財を詰めて馬車に乗った。


 5日間続いた祭りは、イドリーブ市の代官クルトの言葉で幕を閉じた。

 いろいろトラブルがあったと彼は演説した。


 闘技大会ではエントリーしていた選手が10人以上も辞退したため、かなりの混乱が起こった。控えの選手を全員だして体裁は保ったが、一歩間違えば試合数の少ない、味気ない大会になっただろう。


 貴族を名乗った不逞の輩が店を襲った事件も話された。

 盗賊たちは殲滅されて、治安は回復したとアピールした。代官である自分の名に懸けて、市民の安全は守るといった。

 市民たちは演説に拍手をして、本祭が終わった。


 テラノヴァが回収したカネは、盗まれた店に戻った。

 ならず者に破壊された器具は元に戻らないが、現金が戻ったので、少なくとも生活に困るレベルの困窮はなくなった。

 テラノヴァは外に出たくなかったので、ニコラスがかわりに各店を回った。

 全て配り終わったとに鞄を見ると、余分な金貨が200枚ほど余った。


「これぁどこかで盗んできたカネの余りだな。官憲に届けてもいいが……使い込まれるだけだな」

「今回の襲撃で、怪我をした人に渡すのはどうですか? 治療を受けられない人も、それで治ります」

「いい考えだな」


 被害者は何人もいた。ひどく殴られ、立てなくなったものもいる。彼らを救うために使われるなら、有意義な使い道だろう。

 

 祭りの後夜祭、大通りでは最後の非日常をおこなう歓声が、あちこちから聞こえていた。

 ニコラス一家は家族で付き合いにでかけた。

 テラノヴァも誘われたがすでに一度外出したため、気力が尽きていたので固辞した。


 暗い部屋の中、浅く呼吸して瞑想する。

 対人で疲れた心が落ち着き、しだいに窓から聞こえる賑わいも遠くなった。

 体内を流れる魔力の音に集中する。


 頭のなかで、たくさん殺した罪悪感が、悲しみを圧倒している。当分殺さなくてもいいくらいの罪の意識だ。

 それが精神の傷口を覆う薬布となっていた。

 罪悪感を固定化し、自虐的な憐憫を取り除き、冷静な思考部分を増やす。


「すぅぅぅー……」


 1分かけて息を吸い、1分呼吸を止め、1分かけて吐き出す。

 この呼吸法は脳に負担をかけるが、感情を整理するときに役にたった。


 悲しみは時間によって縮小し続けているが、まだ油断するとあふれ出しそうになる。耐えられる大きさになるまで味わいたくはない。

 20回呼吸法を繰り返した後、次は2分に増やした。


 記憶のなかでポーションがほめられた場面が明確に再現された。客たちは感心していた。

 不思議な人の死にざまも思い出した。どうして最期まで幻覚と言ったのだろう。夢のなかで死ぬとは、ああいうことなのか。ある意味幸せな死にかたに思える。


 思考が連鎖する。

 人形たちの制御も楽しかった。精神がバラバラに分割されて、人形たちとリンクした知覚能力だけが拡大された。魔物図鑑に載っていた火山の中にいる頭多炎龍は、視覚情報を共有し、別々にある脳をひとつの思考として処理できるという。

 そのような怪物的な視野を体験できた気がした。


 愉快な記憶が反芻されているあいだに、迷妄の杖を頭に振った。

 さらに思考が支離滅裂になった。


 テラノヴァは部屋でひとり目を閉じていたが、まぶたの裏は七色に輝く映像を見ていた。

 杖を振るたび、新しい幻想が連鎖してやってくる。


「あぁ……」


 その状態で目を開くと、殺風景な寝所の中にある毛布は、幻覚によって鮮やかな羽毛のごとく起毛し、まるで生きている生物の背中に乗っているように脈動している。なめらかな触り心地が、美しい匂いとなって感じられた。

 感覚が広がり、余計な感情が消えてゆく。

 自分は独りだ。独りだから楽しい。

 孤独こそがすくいなのだ。


 テラノヴァの部屋の扉が動いた。その動きは天井に映り、黒い雨漏りが天井から降りてきた。

 黒い人影がふたり、武器を抜いて前に立ち、手足が伸び縮みしている。

 未知の幻覚が目の前に現れた。


「こいつですか?」

「あぁ、やるぞ」


 声が物質化して、色がついている。

 手には異様なほどきらめくナイフを持っている。あれで斬られたら、空間、いや時間でさえも切り開かれて、古代や未来へ続く回廊に落ちてしまう。

 テラノヴァは過去が見たいと思った。昔の神が闊歩していたという時代を見たかった。その世界はきっと、悲しみもない。


「きまった目をしてますね……」

「これが魔法使いだ。薬で忘我の世界を覗く、おぞましいやつばらよ」


(ああ夜の神が私の命を取りに来た。ほんとうに? 何が来たのかわたしにはわからない)


 影は両手を広げて抱きしめるように向かってきた。テラノヴァの目には黒いフクロウが翼を広げ、テラノヴァを獲物として、黄金に輝くルビーの眼で心臓という宝石を抉り出して、高次元に届けてくれるのだと思った。

 もっと高次元の存在になってほしくて杖を振った。


 現実の世界にいる暗殺者は、迷妄の波動をもろに受けた。


「あが……ぐっ……なんだ!? 指が溶ける。おれの指がなくなった!?」


 短剣を取り落とし、細い枝のように伸縮する指先を見つめている。


「師匠!? こいつ! どこに消えた! ここはどこだ」 


 もうひとりも視界には何も映らなくなっていた。彼は穏やかなくらい路地裏を見ていた。


 テラノヴァの視界にいたフクロウは人間に戻った。ナイフを周囲に振り回し始めた。それが美しい吹雪のように、輝きの欠片をまき散らしていた。

 ダイヤモンドの軌跡が室内を照らす。


「ああが、あがっ、おれが、おれじゃない。お前は誰だ。俺の中からでていけ!」

「どこにいる。どこだ! 閉じ込めたのか!」


 人間は何度も自分に向けてナイフを突き刺した。透明な柘榴のひかりがしわぶきとなって飛び散った。


「どうだ! やった! 悪鬼を倒してやったぞ!」

「おれじゃないはずがない。おれはむてきなんだから。溶けた指はどこだ」

「くたばれ!」

「とったのか、おまえが! げえっ!」


 ひとりは自分をたくさん突き刺して、もうひとりはコラリアのはなった水弾に頭を貫かれた。

 暗闇のなかで暗殺者が折り重なって倒れた。

 

 金貨がはじけるような音が、金色の視覚情報となって見えた。

 それは朝の始まりを告げる太陽であり、予言された数時間後の夜明けをしめす予知だった。

 テラノヴァは安心して眠った。今日は良い一日だったと思いながら。


 翌日、テラノヴァを起こしに来たウォーレンは、血だまりと死体と、すやすやと眠っているテラノヴァを見て悲鳴を上げた。

 家族が駆けつけてくると、顔を黒塗りにしたいかにも暗殺者であるといった男が、自分の腹にナイフを刺して死んでいた。もうひとりは頭が割れて、床に這いつくばっている。


「何が起こったんだ……」

「怖いわ。きっと盗賊の生き残りよ。あの子をつけて殺しに来たのよ」

「くそっ」


 夜遅くまで呑んでいたニコラスは、すっかり酔いが醒めた。転がっている死体をみて、まだ酔っていたかったと思った。


「おいあんた、無事か! 起きろ!」

「んん……おはようございます」

「怪我はないか! 何があったんだ!」

「何……? こ、これ……!? ニ、ニコラスさん、ふたりも殺したのですか?」

「おれじゃない! あんたがやったんだろう!」

「え……調べてみます……」


 強制的に目覚めた頭で死体を調べた。調べているうちに混乱も落ち着いてきた。

 ひとりは自分を短剣で刺している。

 無関係な人のまえで自殺を披露するファンキーな人間に見えた。


 もうひとりは頭に刺創がある。西瓜を割ったときのように、頭の1/4がぱっくりと割れていた。

 これは近くに転がっている短剣では無理だろう。

 傷口はきれいで、かなりの力で貫かれている。天井に近い壁にも穴が開いていた。この穴のかたちには見覚えがあった。


「わかりました。ひとりはここで自殺して、もうひとりはコラリアが魔法で倒しました」

「こいつらは何なんだ。いかにも暗殺者って恰好をしているが、やはり盗賊の生き残りか?」

「わかりません……自殺を見てもらいたかったのかもしれません」

「そんなやつが2階から入ってくるかよ」


 確かにそうだとテラノヴァは納得した。高い場所から飛び降りたほうが、よっぽど衆目を集められる。

 死体の懐を探ったが、財布すらでてこない。

 黒ずくめの衣装と、短剣。それだけが所持品だった。


「ただの物盗りか……まあいい、ひとまず衛兵を呼んで、死体を引き取ってもらう。あとの判断は衛兵にまかせる」


 官憲に死体を引き渡した後、簡単な事情聴取をされた。全員が寝ているうちに起こった出来事だと話すと、衛兵たちはそれで納得した。

 いかにも盗賊をやりそうな二人組が、押し込んだ先で死んだ。彼らにとって解決したならそれでいいのだ。

 死体の処理費金貨2枚をニコラスが払わなければいけなかった。


 処理が終わった後、家族会議が開かれた。


「心当たりはあるか?」

「ないです」

「そうか……しかし、たぶんうちにきた強盗の生き残りだろう。あんたの部屋で死んでいたからな。カネを返したときに、見られたのだろう」

「まだ残党はいると思いますか?」

「わからん。あんた、カネを取り返しに行ったとき、盗賊たちは死んでいたといったが、助かりそうなやつをみたか?」

「いえ。みんな亡くなっていました。でも、そのときに隠れていた人が、私の姿を見たのかもしれません」


 テラノヴァは死体から財布を取ったので、犯人に思われたのは間違いない。


「あなた、また来るかしら」とノエル。

「わからん。しかしもう多くは残ってはいないと思うが……」

「そうだといいけど……子供たちが心配だから何とかならないかしら」

「衛兵は頼りにならんしな……うちで防犯用の魔獣を──無理だな。魔獣使いを雇うカネもない」

「コラリアが守ってくれるよ!」


 ウォーレンは元気よく言った。


「そうなのか? ひとりはこのクラーケンが倒したと聞いたが」

「そうだよ! ね?」

「はい。コラリアは、普段は扉を守っていますけど、私が寝る場所を変えれば、コラリアもついてきます。玄関で寝ましょうか?」

「それよりも全員が同じ部屋で寝れば安全なのだが……あんた、できるか?」

「……」


 テラノヴァは大勢で寝るなら、ひとりで不寝番をしたいタイプだった。ニコラスもそれをわかっているので、無理に進めようとはしない。


「わかった。ひとまずおれの知り合いに警護を頼んでみる。1ヶ月ほど待ってみて、襲ってこなかったら大丈夫だろう」


 テラノヴァ頷いた。他の家族も同意している。結局あるかもわからない相手を待つのだから、受け身の姿勢しか取れなかった。


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