第9話 ならず者がやってきた
家から持ち出した巻物には、望みの外見と体形になれる
それを応用して、変装対象を自分一人に固定化すれば、すくない労力でスクロールを作れる予感がする。テラノヴァは術式を考えこみ、白紙のスクロールに試し書きした。
1枚目は構築に失敗。
2枚目は非効率すぎて文字が収まらなかった。
闇の寝室に、ペンの走る音が響く。
3枚、6枚、9枚──夜はますます深くなり、失敗作の数も増えた。
長時間書き続けていると、指先と手首、そして肩の筋肉がおかしくなった。テラノヴァはポーションを飲んで無理やりつづけた。
昔のようにひとりの時間を注ぎ込んで、完成を目指す。
178枚目にして、術式は完成した。すでに朝日が昇っていた。
「できた……!」
効率化された文字列と、注ぎ込まれた魔力の輝き。満足のゆくできだった。
あとは
5分の仮眠は、50分に匹敵する休憩効果を得られる。
仮眠して元気になったテラノヴァは職場に向かった。
テラノヴァが仕事を始めると、工房のなかではざわざわと話し声が続いていた。
書類机に向かうテラノヴァがふたりに増えている。ひとりはいつもの黒いフード付きのマントを来たテラノヴァ。
もうひとりは白いローブを着たテラノヴァ。服装は違うが、外見は全く同じだった。
「なんでおまえは増えているんだ?」
職人たちのひとりが尋ねた。白いローブのテラノヴァが顔をあげた。
「こちらは私の仲間のコラリアです……魔法ですがたを変えています。受け答えは、できません」
「すまんが何を言ってるのかわからん」
「一緒にお仕事をします」
職人たちが視線をやるなかで、テラノヴァともうひとりは仕事を始めた。
テラノヴァのすがたになったコラリアは、クラーケン特有の触手さばきで、両手にペンを持って文字を書いていた。隣に置いた文章を書き写す。
コラリアが書き写した項目を、テラノヴァが埋める。
「……!」
コラリアは人間離れした、すばらしい手さばきで文字が書かれてゆく。職人たちはふたりのテラノヴァをみて、残業続きだった最近の仕事が、早く終わる可能性を感じた。
「すげぇ、こんな魔法みたことないぜ」
「いい人が来てくれたなぁ」
彼らは希望が見えて、口々に感謝を送っていた。
その日の午後から出納関係の整理に入った。
売掛金や買掛金の書かれた帳簿を表にまとめてゆく。
そのなかで売掛金が一度も回収がされていない人物があった。
「ニコラスさん。これ、お金が払われていないです」
「……グレゴールのやつばらか。あいつらは貴族だからな。製品の質が悪いとか、期日を守れなかったとか、難癖をつけてカネを払わないんだよ」
ニコラスは何かを思い出したのか、怒りの顔つきになった。
「くそどもが。指定された数を納品したのに、数が不足しているだと? 向こうが勝手に数え間違えたんだろうが。無茶苦茶いいやがる」
「ひ、ひどいひとです」
「始末に悪いのが、グレゴールは本物の貴族だ。領主の親戚だってんだ。都合が悪くなったら本家の名前を出して、逆らうのかと脅してきやがる。おかげでおれはカネのとりっぱぐれだよ」
テラノヴァは証文を思い出した。
グレゴールという名前も載っており、一度も支払いもしていなかった。フダつきの特権債務者なのだろう。
ニコラスはさらに詳しく話した。
グレゴールは支配階級に近い事実をかさに着て、カネをほとんど払わない生活をしている。ものを食べても、品物をとっても、その代金はツケにして暮らしていた。
寄生虫並みの生き方だが、貴族の類縁に口出しする住人はいなかったので、宿主を害する寄生虫となっている。
「悪い意味で、すごいです」
「とんでもないゴミクズだよ」
つまり、お金は回収不能だった。
テラノヴァがその人物を見たのは数日後だった。
在庫管理と出荷記録を付けているとき、工房の入り口で騒ぎが起こった。
従者をつれた身なりのいい男が、大声でニコラスを呼んでいた。かなり殺気立っているのか、ものが壊れる音が部屋にまで響いた。
「親方……おもてにお貴族様が来てますぜ」
「くそっ、これだよ。グレゴールがきやがった」
ニコラスが立ち上がったので、テラノヴァも興味を引かれて後をついて行った。
柱に隠れて、そっと入り口を見た。
「はようポーションを出せ。無礼うちにされたいのか」
中年に近い貴族が、職人の一人につめよっていた。年寄りの従者がふたり、つき従っている。
「どうかおまちください。すぐに親方がきますから」
「はようせい」
職人が杖で殴られた。ゴツンと骨を打つ硬い音がひびいた。
「ひぃ……」
テラノヴァは身体を縮めた。
「このおれを待たせおって」
グレゴールはなんども職人をぶった。生意気な犬を躾ける時でも、あれほど殴らないだろう。そのうえ、グレゴールが片手をのばすと、革袋を持った従者が酒を注いで渡した。
「うぅーいー! はやくせい!」
あきらかに重度の酔っ払いだ。本人自体からも強烈なアルコール臭がする。
「異常回復ポーションだ。このおれを二日酔いにさせる気か!」
打ち据えられてうずくまった職人を、ふたたびグレゴールが蹴った。後ろにいる従者たちが、申し訳なさそうに頭を下げている。
「おまちくださいグレゴールさま」
「おおニコラス。おれのポーションの納品が、遅れているのはどういうわけだ。忠義をなくしたか?」
「そんなつもりはありません。しかし素材を集めるカネにも苦労している状況です」
お前に代金をいただいていないので。ニコラスは言えるならばそう続けたかっただろう。
「そんなことは知らん! 貴族に奉仕するのが平民の役目だ。無理なら他から工面すればいいだけだろう。そんなことも思いつかんのか」
「へぇ……おっしゃるとおりです」
「いいからはやく用意しろ。このおれがここまで足を運んだんだ。誠意を見せんか」
「あと2,3日はみてもらわないと、すぐにできません」
「愚図が。だったらポーションの代金をおれに払え。その程度の気遣いはできるであろう」
おおよそむちゃな要求だった。
グレゴールは気分だけで無からカネを錬金していた。テラノヴァはその飛躍した論理に、逆に関心を覚えた。
「まったく下民どもが」
工房内をイライラと歩き回るグレゴールは、書架のかげで書類を書いているコラリアに気づいた。
グレゴールは杖をつかってコラリアの顎を上向けた。
「ほう、なかなか見れる娘がいるではないか。おいニコラス、カネのかわりにこの娘でもよいぞ」
「そ、それは、やめたほうがよろしいんじゃないかと存じます」
「ふん。このおれが使ってやると言っているのだ。おい、名前をいえ」
「……」
テラノヴァのすがたをしたコラリアは無表情でいた。グレゴールを見もしない。
「なんだ。唖か? 唖では楽しめんかもなぁ」
グレゴールは杖でコラリアの胸を何度か付いた。コラリアは鬱陶しく思ったのか、杖をはらった。
「おっ? なんだその態度は。おもしろい。生意気な女を組み伏せるのも一興だ。ははは軽い身体だな」
「……」
腕を捕まれ、引き寄せられてもコラリアは無反応。しかしテラノヴァは必死に念じていた。
(コラリア。ここでやっちゃだめ。魔法もだめ)
クラーケン形態の触手パンチはそれほど強くないが、巻き取って締め上げる力は、厚いガラス瓶程度なら粉砕する。
「はははよし今日はこれで勘弁してやる。次はポーションを用意しておけよ」
グレゴールは笑いながらコラリアをつれて出ていった。従者たちもすまなさそうな表情で頭を下げて後に続いた。
「おい、あれどうすんだ」
「……私、連れ戻してきます」
「やめておけ。何とか逃げ出すように命令できないのか」
「私がそばに居ないとできません。コラリアは私の仲間です。何かあったら私が責任を取ります」
「わかった……気をつけろよ。あんたは魔法を使えるが、あいては貴族だからな」
「はい」
職人たちの何人かが、ついて来ようとしたがテラノヴァは断った。
他人が近くにいて集中できないし、コラリアとのリンクが維持できない可能性があった。
テラノヴァはフードを目深にかぶって、グレゴール一行のあとをつけた。
コラリアを組み伏せるならば、どこかの建物を使うだろうと予想していたが、路地や連れ込み宿に入らずに歩き続けている。
そのまま市壁の近くにある、ややさびれた一角に入ると、低い壁で囲まれた2階建ての建物に入っていった。
飾り気のない四角い建物は集合住宅を思わせた。
「はははさあこい! つまらなかったら死ぬまでいたぶってやるからな。唖女めが! 覚悟しろ」
外にまで声が聞こえてきた。
どたんばたんと粗雑な音が聞こえる。テラノヴァは焦った。はやく助け出さないと、命令を守ったコラリアがひどい目に合うか、我慢できなくなったコラリアが凄惨な現場を作り出す。
窓から中を覗いてみると、ベッドにコラリアが押し倒されていた。
のしかかろうとしているグレゴールを足でけって距離を離している。
「おとなしくしろ!」
「……」
(あわわ)
のっぴきならない事態に発展していた。自分の外見をした仲間が組み伏せられようとしている光景は、おぞましさを感じた。
「コラリア、コラリア……隙を作るから抜け出して」
テラノヴァは瀬間に庭に落ちていた石をつかむと、ガラスの入った窓に打ち付けた。
「なんだ!? だれか──がぴっ」
押さえつける力が緩んだ瞬間、コラリアの膝が、グレゴールの下腹部に入った。
急所を狙ったローブローである。グレゴールは白目をむいた。コラリアはグレゴールを押しのけて、窓に歩いた。
「お、おかえり……」
「……」
コラリアは平然と立っている。ローブ裾がまくりあがっていたのでテラノヴァは直してやった。
「よし、かえろう」
テラノヴァの似姿はこくりと頷いた。
「うぬれぇぇぇ……」
グレゴールが濁った呻きを上げながら、ベッドから起き上がってきた。ベッドヘッドに置かれたポーションを煽って、一気に復活した。
「貴様ら、同じ顔がなぜ二人いる……そうか! 魔法を使って偽装をして、家に押し込む物盗りだなぁ……! おのれニコラスめ。目をかけてやった恩を仇で返しおって……」
グレゴールのなかで独自の解釈が行われ、テラノヴァはいつの間にか窃盗犯の疑いをかけられていた。そして世話になっている店まで、盗賊の元締め扱いをされていた。
「フォーキン、ゴダート、こっちに来い! おれの部屋に強盗が入ってきおった!」
すぐに足音がして、グレゴールの部屋にふたりの従者がやってきた。主人の叫びと、窓越しにいるテラノヴァたちをみて、主人の言葉の真実性を確信して、腰の小剣を抜いた。
「ふざけたやつらだ」
「不意打ちで不覚を取ったが、もう許さぬからな! 八つ裂きにしてくれる!」
「あわわ……コ、コラリア、はやくこっちに」
窓からコラリアを引っ張り出そうとしたが、機敏とは程遠い。肩越しに突進してくる従者が見えた。
「死ねェ!」
瞬間、テラノヴァは叫んだ。
「
コラリアはわずかな時間で魔法を発動した。
未完成の術式は、コラリアとグレゴールたちのあいだに水球を作り出した。
それが命を救った。
突き出された小剣が、発射ベクトルのかかった水球にぶつかり、反発しあった。
「なにっ!?」
グレゴールの従者たちは全身に細かい水滴を浴びた。魔法の失敗による衝撃波で、壁まで弾き飛ばされた。
硬い壁でしたたかに背中を打ち、崩れ落ちて動かなくなった。グレゴールはふたりの従者の後ろにいたので、怪我はしなかった。
彼らが弾き飛ばされたのを見て、大ぶりな剣を持ったまま急停止。間合いを取っている。
「おのれえ」
「コラリア、えらい」
コラリアも同じだけの衝撃と水の破片を浴びたのだが、種族特性で水に対する抵抗がつよく、また衝撃は黒いマントの防御効果で消されていた。
テラノヴァを守るために付与されていた術式が、コラリアを守っていた。
黒いマントは魔法力でゆらゆらと舞い上がり、水属性特有の細長い水が、螺旋を描いてコラリアの周りを旋回していた。
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