第8話 新しいお仕事
極度の魔力と集中力を使う作業を終えたあとでテラノヴァは平然と言った。疲労も見えない。普通ならば疲れ果てて会話もやりにくいはずだ。
「すげえ……」
「やるじゃねえか」
「おまえ、どこかの工房のまわしもんか? 俺たちの仕事を監査でもしに来たのか?」
「違います。わたし、仕事がないです」
「それじゃ何しに来たんだよ」
「み、みなれた作業だったから、みてると落ち着いて……私、今日泊まるところも決まってないです」
「おまえ、こんな場所で見物してる場合じゃないだろ」
きわめて正論だった。テラノヴァは何度も頷いた。宿すらとっていない。日が暮れれば路上で眠るしかない。
「にふぅ……」
奇妙な声で嘆息した。追いはぎに転職する時間は近い。
「おまえこれはできるか?」
ポーション工房の一角では、ポーションの梱包材と封蝋、そして羊皮紙がおかれた一角があった。乱雑に置かれ、その席は無人である。
「じつはよ、魔法言語で送り状を書かないといけないんだが、できるやつが今、休んでんだ。その格好だったら文字はかけるだろ。なんとか頼めないか」
「できます」
「やっぱりあんたはやるやつだって思ってたぜ。帳面を持ってくるから待っててくれ」
部外者に、そんな仕事をさせていいのかと唖然とする。
老練っぽい職人も、白いヒゲ面で腕を組んで、うんうんと頷いている。
「文字をかけるやつが、ほとんどいないんだよ」
「ふにぃ……」
魔法の品物を扱う工房でも、魔法言語の識字率は低かった。そのうち男が帳面を持ってきた。
こいつはここだ、と指示されるままに文章を書き写した。
脳死で書き写しながら、テラノヴァは自分に残されたタイムリミットを考えているうちに、工房長が二階から降りてきた。
「おまえが働き口を探しているって魔女だな」
「にゃい」
肯定と否定を織り交ぜた返事をした。
「……変なしゃべり方をする奴だな」
「でもよ、これをみてくれよ。こいつがすぐに砕いちまったんだ。すげえはやい」
「魔法文字も書けるぜ!」
「おまえら勝手に何やらせてんだ。まあいい。腕はあるようだが。おまえ、家で働くか? 家がないなら住み込ませてやってもいいぞ」
「……」
「まさか犯罪者じゃないだろうな」
「違いますに」
平然と言ったが、鞄の奥にある略奪品には、しばらく触らないでおこうと思っていた。
「よし、じゃあ寝床を用意してやる。明日から働け」
「追いはぎをしなくてもいいですかにゃ?」
「はあ? おまえら……こんな変なやつをどこから見つけてきたんだ」
「へえ、俺たちの仕事を覗いているやつがいたんで、声をかけたんです」
「まぁいいか。仕事ができるなら大歓迎だ」
「へっへ、そうですね」
「詰まった仕事もおわりそうだ。ありがてえ」
テラノヴァは流されるままに新しい寝床にありついていた。
案内された2階の部屋で待っていると、遅い夕食に招待された。
工房長の家族を紹介された。
ニコラス38歳、その妻ノエル34歳、息子たちのデニス10歳とウォーレン9歳。
一家全員がテーブルについていた。テラノヴァも勧められるままに座る。
他にも20歳の息子フランシスがいるらしいが、一人前になったので独立したらしい。
テラノヴァは名前を聞かれたので、自己紹介した後、にふふと不気味な笑い声をあげた。
工房長夫妻は顔を見合わせた。
「そのしゃべりかたは?」ノエルは恐る恐る尋ねた。
「魔力を高めた魔導士の言葉遣いを使ってますに」
「そ、そう……もしかして、何かの誓いかしら?」
魔術的なタブーを設定して能力を高める方法があった。
「そんな感じですにゃあ」
「あ、そ、そう……」
あたまのおかしいやつを拾ってくるな。ノエルは視線でニコラスを非難していたが、ニコラスはいまさら言うなと視線でけん制した。
「おねえさんどこから来たの?」
「森からです」
「どこの森? 森で何してたの?」
「魔法の道具を作って、コラリアを一緒に暮らしてたにゃ」
「コラリアってきょうだい?」
「仲間。クラーケンのコラリア」
「海の怪物!? みたい!」
飛び跳ねるウォーレンにテラノヴァは頷いて、椅子の近くに置いていた花瓶を持ち上げた。
一家の視線が集中した。
「おいで」
白磁の花瓶のなかから触手が数本まろびでて、ひらひらと動いた。そのままゆっくりと貝殻が上がってきた。
「……ちいさいね」
「うん。子供ですに」
テラノヴァの腕をつたって、食卓の上にクラーケンの幼生が座った。
殻から出た姿は、まるい貝をかぶったイカに似ていた。
「おぉ、生きてるクラーケンははじめてだ。思ったよりも小さいんだな」
「よわそう」
「これが育つと、船を沈める怪物になるのかしら」
ノエルは吟遊詩人の歌で、クラーケンと戦った船乗りの物語を知っていた。
雄大な歌に出てきた姿と比べて、食卓の上にいる生き物は、珍しい巻き貝くらいにしか見えなかった。
「水の魔法とか使えます」
「みたいです」
デニスが目を輝かせた。
「コラリア、
コラリアが二本の長い触手を掲げると、空中に丸い水滴がいくつも浮かび始めた。コポコポと音をたて、水の球が大きくなってゆく。
窓の外の闇に向かって、水弾が発射された。キラキラとひかる霧を残して闇に吸い込まれていった。
「すごいすごい! つよそう!」
「へぇーすごいじゃないか」
「まぁ……」
「かっこいい……!」
コラリアを褒められるとうれしかった。テラノヴァが照れていたとき、窓の外から声が響いた。
「ピギィィィ!」
叫び声と、バサバサと何かが羽ばたく音がして、食卓に沈黙が訪れた。
一秒も絶たないうちに、バンッと地面に何かが激しくぶつかる音がした。
ニコラスが窓に駆け寄った。家族も後に続く。
窓から外を覗いた一家の目には、路地裏に墜落した小さな羽の生えた
「小さい悪魔だ。なんでこんなところにいるんだ」
「まあ、怖いわ。どこかの家を襲おうとしてたのかしら」
「魔法に当たったみたいだな。あんたやるじゃないか」
テラノヴァはウォーレンのあたまに手を置いて、身を乗り出した。
路地裏で体にいくつも穴が開いた悪魔が息絶えていた。頭髪のないあたまに、鉤鼻の老人に似た顔つきをしていた。
羽がまだ、ぴくぴくと動いている。
テラノヴァはこのインプが人を襲う野生の悪魔であってほしいとおもった。
「し、死んでいるか見てきます……」
「ああ、おれもいこう」
テラノヴァとニコラスは裏口から出て、路地裏で倒れている
2歳児くらいの体格で、全体的に細く縮まった身体をしている。羽は身体の半分くらいの大きさがあった。
テラノヴァは首をつかんで持ち上げた。体を眺めまわして、紋章や焼き印を探す。
「あっ……」
足の裏にどこかの家の紋章があった。みみずばれのように肉が盛り上がり、人為的に模様が刻まれていた。
これは野生の小悪魔ではなく、誰かの従魔もしくはペットだろう。
「あ、あの……インプの翼膜は浮遊ポーションのエキスが取れます」
「そうだな。せっかく倒したんだ。ありがたく素材は使わせてもらおう」
「私がやっておきます」
テラノヴァはさりげなく仕事を引き受け、身体をバラバラにした。消してしまえば、なかったことになる。
必要部位を取り終えて、死体を処分し、ダイニングに戻る。
入り口で子供たちが待っていた。コラリアの入った花瓶をウォーレンが手渡し、目を輝かせていた。
「すごいね! おねえちゃん!」
テラノヴァは目をそらしてぎこちなく笑った。
割り当てられた一室は、ほとんど倉庫になっていたが、寝るだけのスペースはあった。
元は長男が浸かっていた部屋だとニコラスは言っていた。
棚にはポーションの素材が置かれている。テラノヴァには慣れ親しんだ材料ばかりだった。
ベッドのそばにローブ付きのマントをかける。内側にきた白いローブのひもを緩めて、ベルトを外す。
腰の圧迫感が減ると、かなり自由になった。
薄い革の手甲をはずしたとき扉がノックされた。
「はい」
「布団、もってきました」
テラノヴァはラフな格好だったが、子供ならばいいだろうと扉を開けた。布団を受け取ると、後ろに居て見えなかったデニスの顔が見えた。
肌面積の多いテラノヴァをみて、デニスは赤面した。
「あっ、あのこれ……これ、つかってください。明日は弟が起こしにいきます!」
「ありがとうございます」
「それじゃ!」
急ぎ足の音が去ってゆく。テラノヴァははしたない恰好だったと後悔した。
翌日からテラノヴァは仕事に出た。
最初の難関は起床時間だった。
朝、決まった時間に起きる必要がある。だらしない生活を送っていたテラノヴァにはつらい。しかも他人の家で緊張からか、よく寝れていない。
まずそこで挫折しそうになったが、9歳のウォーレンが起こしてくれた。
「おはようお姉ちゃん! 朝だよ! 起きて起きて」
「ううぅー、うー」
「ゾンビのまね? 朝ごはんできてるよ!」
「コラリア……ここのひとたちは……通していい、から……」
ドアが開いて、ウォーレンが入ってきた。入り口の近くにいたコラリアをつかみ上げ、テラノヴァのベッドにもってくる。
それを受け取り、花瓶に入れて、日光のあたらない部屋のすみに置いた。
「逃げないの?」
「コラリアは大人しいです」
「賢いんだね。僕も触っていい?」
「えさをやるくらいなら。でも気を付けてください。怒ると墨を吐かれます」
「当たるとどうなるの?」
「目が見えなくなります……」
「ずっと?」
「私は1日でした」
「うわぁー」
テラノヴァは墨が目に入ったとき、少なくとも1日は盲目になった。
好奇心から目に塗りつけたら、片目が完全に見えなくなった。目を開けているのに視界が暗かった。
驚いたテラノヴァはついうっかり、無事なほうの目にも墨のついた手で触れてしまった。そして両目が見えなくなった。
あのときはコラリアに先導してもらわないと、寝室に戻れなかった。
指に触手を巻き付かれつつ、四つん這いで歩いたので、ローブがほこりまみれになって大変だった。
「脚に触ってみてもいい?」
「はい。コラリア」
呼びかけると花瓶の淵から触手だけ出てきた。
ウォーレンはそれに触れると、目を輝かせていた。昨日の魔法を見てから、好きになったのかもしれない。
「すべすべしてる。うしろはくっついてくる」
「嫌がることをしなければ安全です。触手で叩かれたら嫌がっている合図ですから、やめてください」
「うん」
ウォーレンは触手と握手すると、テラノヴァをみた。
「また触らせてね」
「ええ」
ウォーレンは末っ子なので、自分より幼い存在がほしいのかもしれないと、テラノヴァは思った。
初日は書類仕事だった。
特注品の調合を行った日や効果について、魔法文字で書いて品質を保証する。
半分は顧客から依頼されたときの文章で、もう半分は工房でポーションを作った際の文章。
基本的なフォーマットはできているが、全て手書きのために時間がかかる。
また顧客が書いた下手な文字の判読が難しかった。長い付き合いがあれば癖がわかるのだろうが、単語の綴りが間違っていたり、文字がくずれて読みにくかったりする部分がある。
読解に悩んでいるだけで時間が過ぎてゆく。
テラノヴァは夕方ごろに、分からない部分をまとめてニコラスに尋ねた。教えられてようやく文章のつながりが理解できた。
初日はほとんど仕事が進まなかった。
完成したのは1枚だけだった。
「上出来だ」
ニコラスは褒めてくれたが、テラノヴァは納得しなかった。能力を疑われた。そんな気がした。
部屋に戻ると魔石ランプを灯して、寸暇を惜しんで文章の癖と文字の特徴を覚えた。
素材名と効能は知っているのだ。
あとはそれをこの工房で使われている読み方に直し、ふさわしい書類の形にするだけ。
次に手書きの効率化だった。印刷技術などは発展していないため、文字はすべてペンで書く必要がある。同じ文章や単語が必要な部分は、誰が書いても同じである。ただ識字率が低いので、文字を大量に素早く書けるだけで特殊技能に分類されていた。
「これだったら……」
何も自分一人でする必要はないのだ。
テラノヴァは部屋の中に貯蔵されている素材を確認した。
ホウ砂は樽一杯にあった。しかし他の素材がたりなかった。隕鉄の粉末と、世界樹の根と、ロック鳥の羽が足りなかった。どれもレアで高価で、この店の倉庫では見れない品物だった。
「むぅ……」
テラノヴァは考えた。彼女は分身を作り出すポーションを作ろうとしていたが、材料が足りなかった。
さらに考え込んだ。
分身が駄目なら、別の対象を自分に変えられないだろうか、と。
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