第7話 理由を知る

 半日が経った。

 職人通りにエアリーヴァヴン橋はあった。

 石造アーチ型の橋で、欄干から下を覗くと、茶色く濁った水がゆったりと流れていた。

 橋の周りには職人たちが店を開いている。


 武器砥ぎ師、鎧職人、鍛冶、彫金、叩きつける音や研磨音で賑やかだった。

 テラノヴァは勇気を出して近くの店に入り、シレンの居場所を尋ねた。


「橋の下だよ」

「下?」


 店員は地面の下を指さした。

 水路は数メートル下を流れている。

 水面近くにゆく階段をおりた。橋の真下、竪壁たてへきのちかくに奥まったくぼみがあり、不気味な怪物のオブジェが壁にかけてあった。

 壁の中に入っていく扉がある。


「ここ……?」


 テラノヴァは鉄輪のドアノブを引っ張った。重い扉が開いた。

 内部はモグラの巣のように、レンガで組まれた横穴が続いていた。

 奥に進むと魔導ランプの光のなかで、エプロンをつけた男が、台に置かれた剣に向かっていた。


 なにやら赤く輝く液体を刃に塗り付けている。来客を感じて、男は顔を上げた。


「いらっしゃい……なんのようだ?」

「あの……はじめまして。し、師匠のフーミューから話を聞いてきました。あの、シレンさんですよね」

「ああ」

「私はテラノヴァです。師匠の弟子です。あの、お話を聞きたくてきました」

「それで? 何を聞きたいんだ」

「師匠が、し、死んだ理由を知りたいです……」

「いいだろう。これを仕上げてしまうからちょっと待ってろ」


 テラノヴァは立ったまま、周りを眺めていた。

 棚の上に並べられた容器に、師匠の紋章を見つけた。


「あ……」


 あの陶器の容器は覚えがある。師匠を手伝って作った銀糸鱗粉蝶モネファレナの対吸収付与ジェルだ。

 まだ品物が残っていたのが嬉しくて、テラノヴァは花瓶を抱いてしばらく思い出に浸った。


 ふと、台に置かれた金床の向こうから、視線を感じた。小柄な人影が、じっとテラノヴァを見ていた。ふたりきりだと思っていたため驚いて身をすくめ、主人の感情を察知したコラリアが花瓶からはい出した。


「……」

「……」


 家を奪った小人族かと思い、かばんから短剣を取り出そうとしたが、よく見るとあいてはただの子供だった。白い髪に褐色の肌。怯えたような青いひとみ。よくみるとシレンの面影を感じる顔つきをしていた。


「こ、こんにちは……」

「うん……ん、んー?」


 唸っていた。


「おいリード、おとなしくしてろ」


 シレンが振り返ってそういった。

 見習い、それとも弟子だろうか。父親の仕事を手伝っているのかもしれない。リードと呼ばれた子供に親近感を覚えた。

 それに子供が相手だと怖くない。


「はじめまして、リードさん。私はテラノヴァです。これはコラリア」


 花瓶から半ばはみ出していたコラリアの触手を掴み、テラノヴァはリードに向けて振った。吸盤が指に吸い付いた。


「……」

「挨拶しろ。まったく、人見知りでいかん」

「私……リード」


 隠れたまま挨拶が返ってきた。

 小さいエプロンをつけた姿は、ごっこ遊びにみえてかわいらしい。


「……」


 手招きするとリードは首を振った。いっそう金床の影に隠れた。


 テラノヴァは交流を諦め、立ったまま瞑想にはいった。

 ゆっくりと深呼吸する。

 魔力の流れを調整して、身体のところどころにあったよどみをほぐしてゆく。


 知らない場所で寝たためストレスがかかり、こぶのような魔力だまりが5つのチャクラにまとわりついていた。

 精神を集中して流れを正常にして、澱みを取り除く。


 ただし不注意で頭の近くの塊を取り除き始めたとき、感情もクリアになって悲しみが流れ込んできたので、そこだけは、わざと濁らせておいた。


「……」


 来客をながめていたリードは困惑していた。客は目を閉じて静かになったと思ったら、突然静かに涙をこぼしはじめた。

 どこか痛いのか、それとも嫌な思いをさせてしまったので、泣いているのだと思った。

 リードは知っていた。悲しんでいる相手には優しくしないといけないと。


 テラノヴァが瞑想を終えたとき、目の前にリードがいた。見上げて、茶色い布を差し出している。 


「……?」

「どこか痛かったの?」

「ううん……違います」

「でも、泣いてる」


 テラノヴァはほほ笑んでハンカチを受け取り、涙をぬぐった。


「あ、ありがとうございます」

「ん」


 テラノヴァは母親にされてうれしかった行為を思い出し、リードの頭をなでた。

 リードは嬉しそうに目を閉じた。撫でていると腰のあたりに抱き着いてきた。


「こらリード。遠慮しろ」

「んー、んー」


 コラリアも時々触手を巻き付けてくる。そういう親愛表現だとおもい、テラノヴァは好きにさせておいた。


「またせたな。まあこっちにきて座りな──何の話だったか」

「あの、師匠はどうして死んだのですか?」

「1年前にニューポート市で公開処刑されたんだ。理由は確か──叛逆を企てたからだったか」


 叛逆。師匠は謀反を起こすような重犯罪者ではない。きっと冤罪でそう決めつけられたのだ。激高が持ち上がる。


「師匠はそんな人じゃありません!」

「そうだな。フーミューは温厚な人だった。おれも間違いだと思うが、官吏が読み上げた罪状は、とんでもない極悪人の犯罪者だったらしいぞ。領地転覆をはかった罪、道徳を堕落させた罪、世界に腐敗をまき散らした罪だ。具体的に何をしたのかはわからんな」

「そんな……」


 テラノヴァは下唇を噛んだ。自分の母親がそんな死に方をしてはいいと思わなかった。

 悲しみが押し寄せたので、迷妄の杖を振って誤魔化した。


「おまえ、なにやってんだ」

「にひひ、あたまをばかにしてます」

「……そうか。何にしても残念だったな。あんたの師匠は質の高い素材をおろしてくれたから、俺も残念だ」


 師匠が死んだのは間違いないらしい。今まで話した3人が、同じ内容を語っている。


「おはなし、ありがとうでした。そういえばシレンさん、この証文に見覚えありますか?」

「うちの借金の証文じゃないか。ザウジャの野郎、これを手放すなんてどうしやがったんだよ」


 ホームレスの先輩でお金貸しの人の名前をはじめて知った。


「ザウジャさんが脅してきたので、やっつけたらもらいました」

「そうかよ。あの野郎はゴミだ。昔カネを借りたんだが、12回払いの借金をしてな。最後の1回の支払いが遅れちまったら、今までの返済は全部無効だって言いやがった。もう一年、忘れずに同じだけ払えってよ。そんなバカな話があるか。だからおれは、12回分だけ払って、あとは無視してたんだ」


 支払った回数がゼロだった理由がわかった。

 話を聞かせてもらったお礼に、テラノヴァは魔法紋に指先を向けた。呪文を詠唱する。


「──全解呪オールディスペル


 ジュッ、と焦げ付いた音がして、契約の紋章が消えた。これで強制力をもたないただの紙切れになった。もともと支払いが終わっていたのだろう。無理な形で維持されていた契約は、あっけなく消えた。


「どうぞ」

「あんた……助かった」


 シレンは証文を受け取り、深々と頭を下げた。


「お父さん、どうしたの?」

「このひとが借金を消してくれたんだ。おまえも礼をしろ」

「お姉ちゃん……ありがとう」


 テラノヴァは照れて目をそらした。


「しかしあんた、あの借金取りは証文を命の次に大事にしてるようなやつだぞ。どうやって奪ったのか知らないが、たいぶ痛めつけたんだろうな」

「殺しました」

「なんだって?」

「殺しました。私はそのときナルツィッセだったので、ふざけた態度を取った相手には報いを受けさせます。短剣で刺したら静かになったので、私はとなりでご飯を食べました。こんな感じで、簡単な解決方法がありましたにゃ。この短剣ですにゃ」


 テラノヴァは抜いて見せた。

 果物の香りがする短剣の柄部分には、まだ赤黒い血の粉がついたままだった。


「……そうか。ともかく助かった」

「うに」


 シレンは何気ない動作でリーゼをそばに引き寄せた。彼はマントに付いていた赤黒い染みの理由がわかった。血痕は一か所だけではない。あちらこちらに血の乾いたあとがある。

 おそらく殺した数も一人ではない。

 シレンにはこの妙な話しかたをする少女が、法律の外にいる人間に見えた。

 トラブルがあるとあっさり人を殺すタイプだ。


 ──弟子がこの調子じゃ、処刑されたって師匠も、裏でろくでもないことをしていやがったに違いない。叛逆罪にも信ぴょう性がでてくるってもんだ。しかし、おれの借金を消してくれた。


 シレンは複雑な思いだった。

 テラノヴァが良い人間なのか悪い人間なのかわからなかった。しかし人を殺すような環境に居れば、遠くない未来に命を落とすだろう。


「……すまないがもう帰ってくれないか。仕事が立て込んでいるんだ」

「わかりましたにゃ……し、失礼します」

「ああ。何かあったら、いつでも言ってくれ」


 テラノヴァは立ち上がって店を出た。リードが手を振っていた。


 迷妄状態でふらふらと街を歩いていたテラノヴァは、職人通りにいた。

 ポーションの看板が掲げられた工房から、慣れ親しんだハーブの匂いがしたので、入り口の近くに座ってなかをのぞいていた。

 巨大な圧搾機が工房の中心で回転している。


 押しつぶされた薬草のしぼり汁がレールから出て、泡立った釜に注ぎ込まれていった。工房の中は区画ごとに作業場が分かれ、裁断、回転体での伸長、加圧、運搬と、職人たちがせわしなく働いている。


 薄暗くなりはじめた太陽のかわりに、魔導ランプがともされた。

 知っている作業を見るだけでテラノヴァの心が落ち着いた。

 師匠は死んだ。

 その悲しみの感情を封印して、心の中を平穏に保つために作業を眺めていた。


 趣味でポーション加工をやっていたテラノヴァとは違い、職人たちは寸暇を惜しんで動き、目の前の仕事に取り組んでいる。

 彼らを見ていると動線の確かさと、熟練の熱量を感じて心地よかった。

 ただ、眺めているうちにもどかしさを覚え始めた

 魔力を使って素材に手を加える行程が、彼女がやってきた作業よりも遅い。

 みたところ、職人は天使の羽を粉砕していた。ゆっくりとすりこぎを動かしている。

 もっとはやくてもいい。

 ただ魔力でおおって素材の飛散を抑えるだけなのに。


 霊体を維持したままくだく作業は、羽が崩壊するときの霊体のエネルギーを魔力で覆わないと、羽全体に崩壊が波及して素材の質を変質させてしまう。

 そのためコーティングを維持しなければならないが、その微細な作業は熟練の手腕が不可欠であるが、テラノヴァはその技術にたけていた。


 自分ならばもっと効率的につぶせると思った。魔女による教育と、脊髄に埋め込まれた増強リングにより、体内の魔力循環と、それを対象に放出する技能は一流であった。

 職人の動きがもどかしくもあり、自分の技術にも優越感も覚えた。

 

「ふっ」


 思わず声に出していた。さらにささくれだった気分になり、分かりやすく笑ってしまった。


「にふふふふ。へったくそ」言わなくてもいい言葉まで言ってしまう。


 その含み笑いは職人に届いた。

 彼らは見物人がいるのは気づいていたが、その女の嘲笑も見えていた。


「なんだぁ? おいガキ。なぁにを笑ってやがる」

「えっ、なっなっなんでも……ないです。じょうずじゃない、です」

「てめえ!」

「おい、でかい声を出してどうした。なにガキに因縁つけてんだ」

「こいつおれたちの仕事を見て嗤いやがった。どへただとよ」


 他の職人たちも手を止めた。


「そ、そこまで言ってないです。じょうずじゃないだけです」

「へぼだってか」

「けっ、腕を馬鹿にされて黙っていられるか」


 職人たちが立ち上がり、今にも殴りかかってきそうな視線を向けられた。

 テラノヴァは首を振ってうつむいた。思ったよりも飛び火して、早くも後悔していた。


「知らないです、私じゃないです」


 そのふざけた言い訳が一層職人たちをいらだたせた。

 彼らは手近な道具を手にもって、今にも頭をカチ割りそうな勢いで近づいてきた。


「ひぃぃ」


 テラノヴァは涙目になった。心の名で目まぐるしく対応策が行き交う。しかし働かない頭は現実逃避をした。


(私が消滅するときに流れる液体が体内にあるから霊をとどめているからこそ私はこの世界に存在を維持的に存在している。だったら現世の執着は肯定されるべきでありそれを恥じる必要もないし、崩壊因子があるから師匠はいなくなって私は悲しい。なんで悲しいの?キュライオ、ディオス、ベルチュトエンレピディ……)


 第1階層の宇宙精霊に対する祈りは途中で止まった。

 トンカチをもった職人が目の前に立った時、現実の圧力に想像の世界から呼び戻された。何か言わなければ痛い目に合う。何か……。


「それくらい私もできます。もっと簡単にできますにゃ。にゃぷひひひ」

「……おい! こいつはできるそうだぞ! だったらやってもらおうじゃねえか! こっちにこい」

「にゃひ!?」


 逃げたかったが、委縮してしまって身体が動かない。手を引かれて作業場に立たされた。


「おめえこの素材が何かわかるのか?」

「みたまんま。天使の羽ですに」

「それじゃどうやって砕くか知ってるよな!?」

「ひゃい……魔力で覆って霊体が壊れないようにするだけにゃ。なれたら考え事をしながらでもできますに」

「なんだと? ふざけんじゃねえ! おまえ失敗したら弁償だからな。絶対払わせてやる。おまえ、やってみやがれ」

 

 テラノヴァは乳鉢の置かれたテーブルの前に、座らされてしまった。器具を確認する。家で使っていたものより劣るが使えないわけではない。

 作業台の安定は悪くない。

 椅子の高さは──すこし高さが足りなかったので、となりに敷かれていたクッションを勝手に取って高さを調整した。


 これで集中できる。

 すりこぎをもって、魔力の循環を道具にまでいきわたらせる。

 器具の先端が天使の羽に触れ、そっと魔力で包んだ。


「にふふ」


 家で一人で作業していた時と何も変わらない。いつものように鼻歌を歌いながらやるだけ。緊張がほぐれた。

 軽く砕いた心地よい感触で、さらに楽になった。霜柱を砕いたときのような、小気味のいい手ごたえだった。

 何も考える必要はない。力を入れるたびに、ぷっくりとした天使の羽が白く細かい微粒子になってゆく。


 霊体をつなぎとめている魔力がほどけ、キラキラとした光を放ちながら、乳鉢のなかでチリになって消えていった。テラノヴァの手つきに、職人たちは息を止めて、見入っていた。

 あまりに早い。魔力の覆いを動かすだけで時間がかかるのに、小娘はそれをこともなげに行っている。

 破綻が恐ろしくないのか、無謀な速度だった。職人の男が行った作業の10倍のスピードは出ているだろう。


 サク、サク、と軽快な破壊音が響き、ほどなくして 天使の羽は細かい光の粉末になった。


 「できましたに」


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