第6話 街をさまよう
「なにを──がげっ!?」
強盗からもらった短剣が、浮浪者の首を貫通して、壁にまで刺さった。
男は目を見開いて、突然襲ってきた耐えがたい痛みに困惑している。
顎の下から生えた違和感を取り除こうと、短剣の柄をつかみ、抜こうとしているが、しっかり壁に刺さって動かない。
吹き出した血で濡れてぬらぬらと滑る。
傷口が開き、首から血が噴き出る。
大量に血を失った人間は、急速な低血圧により意識を保てなくなるが、男も急速に動きが緩慢になった。
「が……! がえ……!」
男は死にあらがおうと、力の入らない手でぺたぺたと短剣をさわっていたが、やがてだらりと体の力が抜けた。
「……」
「やったに」
テラノヴァは真顔でそういった。本の登場人物のまねをしただけで、問題が解決してしまった。テラノヴァはマントに飛んだ血をぬぐい、浮浪者をみつめた。
わずかに痙攣しているが、それは魂が去った後の肉体の反応にすぎない。
死者特有の虚空をみつめる目をしていた。
もう完全に安全だ。
「邪魔するからにゃ」
テラノヴァはパンを拾ってほこりを払い、食事を再開した。隣ではひとり死んでいるが、もううるさくなくなったので、安心して食べられた。
その様子を、浮浪者たちがうかがっていた。
「ザウジャのやろう、返り討ちに合って死にやがった。へっへへへ、良いことがあるもんだな」
「人殺しがあったって衛兵に言うか?」
「だれが。あんなクズは死んで当然だ。それにあの女も、ただの平民じゃないだろ。ザウジャを殺してくれたのはうれしいけどよ、おれまで死にたくねーよ」
「それもそうだな」
おこぼれにあずかろうと、なりゆきを見ていた浮浪者たちは、ザウジャと呼ばれる男が無造作に殺されたあと、再び隣で食事を始めたテラノヴァをみて、関わってはいけない相手だと判断した。
おそらく身分の高い人間が、面白半分で人を殺す遊びをしに来たのだ。
浮浪者たちはそう考えると、さっといなくなった。
横暴なザウジャが殺されて利益があり、あの女も人を殺して満足した。あとは関わらなければ、全員が満足のゆく結果となった。
家の中から見物していた貧民も、窓を閉めて無関係を装った。
パンを食べてお腹がいっぱいになったテラノヴァは、満足そうに息を吐いた。
勇気を出せば路上でも生活できそうな気がする。
浮浪者の先輩に感謝の視線を向けたとき、彼の膝の上に黄ばんだ紙の束が落ちているのが目に入った。
「んに?」
懐から落ちたのだろうか。拾ってめくってみると、暗くてよく見えないが、つたない文字で名前と金額が書いてある。
左端には契約の魔法印がおされた跡があった。
バレン荘園 レオナルド 金57枚 3年 1.5 金2銀3黄7青5
シュリンの鍛冶屋 アキカ 金22枚 1年 1.2 金2銀2
ウィーパー安楽亭 モーナ 金13枚 1年 1.3 金1銀4青5
一枚一枚に名前と数値が大きく書かれており、日付や回数もあった。これが何十枚も続いている。
「これ……証文?」
何度か文字を消した後があり、金額が増えたり減ったりしている。
横に書いてあるのは、期限と利率だろう。さらに回数を表す記号があった。
「あなたもしかして、借金取りさんかにゃ?」
質問したが死んでいるので返事はなかった。
浮浪者の先輩だと思っていた相手は、テラノヴァと違い、きちんとした定職についていた可能性があった。
「刺してごめんなさいにゃ……」
テラノヴァは立ち上がった。また人が死んでしまった。気持ちが本の登場人物から切り替わると、とたんに常識的な罪悪感がやってきた。
ああ、ごめんなさい、ごめんなさい……。
涙がぽろぽろとこぼれる。
「……ん?」
しかしこの苦しみは、現実の問題を覆い隠す気分転換になった。迷妄の杖を振ったときに似た感情の占有がある。テラノヴァは殺人の少しだけいい部分を見つけた気がして、ほほ笑んだ。
さらに罪悪感を高めるために、テラノヴァは死体の懐をしらべた。腰に下げた鞄から、似つかわしくない立派な革の財布が出てきた。刺繍の入った財布を開くと、金貨が12枚、銀貨が8枚、黄銅貨が7枚、青銅貨が15枚あった。
この人のおかげで、屋根のある家に泊れる──テラノヴァはふかぶかと頭を下げて、死体を軽く蹴って感謝を示した。
いつまでも短剣を刺したままだと可哀そうだと思い、頑張って引き抜き、献上した財布を拾うと、絡まれる前よりもモノが増えていた。
「ありがとにゃ」
結果的には、いいひとだった。
テラノヴァは自分が犯罪者ではないかと考えたが、今は英雄なので無関係だと思いなおした。
客観的にみて重犯罪者だとは気づいていなかった。
貧民街を通り抜けて町の中央広場にゆくと、酒屋兼宿屋の看板がいくつか見えた。
よくわからなかったので、一番落ち着いた雰囲気の宿を選んだが、すぐに断られて外に出された。
そこは黄銅貨7枚(日本円で約700円)で泊まれる各安宿だったが、男女入り乱れる雑魚寝部屋ばかり。
テラノヴァの格好を見た店主が、若い娘に何かあったときに、責任を持てないと断った。
かわりに紹介された宿は、一泊銀貨5枚で個室がとれた。ベッドはなかったが毛布がある。
テラノヴァははじめて自宅以外の場所で泊まった。
個室の宿だが、他人の部屋という感覚がつよく、そわそわとして落ち着かない。
一階の酒場の喧噪も、雑音として気になる。
「困ったね、コラリア」
クラーケンの幼生は花瓶からでた。ゆっくりと床を這っていた。
扉の前で止まった。
「扉を見張ってくれるの?」
反応はないが、殻が左右に揺れているので肯定だろう。
「私も魔法を使っておこう」
この部屋の鍵は。紐についた木製の棒をスリットにさすだけの簡易なもの。無理やり開けようと思えば簡単に入れてしまう。
「
ひと時の間だけ、扉全体が薄く光った。これで施錠強度があがり、力づくで棒を外そうとしても動かなくなる。
「見ていなくても平気。寝よ」
コラリアを持ち上げて寝床のそばに置いた。
マントを脱ぐと血の匂いがした。普段ならば洗剤ハーブを入れた水につけ洗いするのだが、そんなものはここにはない。
腹が立ったテラノヴァは、鞄のうえにマントを投げ出して、布団にくるまった。
ふたつに折って真ん中にはさまると、意外と暖かく心地よかった。
疲労が一気に押し寄せてくる。気が高ぶっているのに身体は疲れている。いやだ、いやだとつぶやいていたが、ほどなくして寝入った。
コラリアは床を這って、ふたたび扉の前に行った。
翌日、重い身体を起こしたテラノヴァは、服を着て朝食を食べに行った。
「あ、あの、ごはんを……わたし……あさごはん……」
「あん? 断る。よそに行け」
何故か断られたが、他の人はテーブルで食べている。
「あの……」
「はやく出ていってくれ」
追い立てられるように宿を追い出された。
「なんで?」
何かしでかしてしまったかと思ったが、何も思い当たらなかったので、そのまま外に出た。
宿の主人は魔導士の背中を見送って、あらためて舌打ちした。
テラノヴァが支払いをしたとき、金貨がつまっていたのを見た。
しかも頭が弱そうな女だ。
夜のうちに忍び込んで、財布を失敬するはずだった。
しかし特に外れやすい鍵のへやに案内したのに、ドアはびくともしなかった。わずかにスキマは開くのだが、そこからさきが、向こう側に石でもあるかのごとく、全力で押しても動かない。
力づくが駄目なら、隙間から自在に動かせる金属線をいれて、バーを動かそうとしたが、これもかっちりとかたまっていて動かせなかった。
「なんだってんだよ」
寝静まった夜中は、特に音が目立つ。これ以上音を立てては、他の客に気づかれる可能性がある。最後にもう一度だけ、無言で力を込めて扉を押した。動かない。外れない。
何で、何で入れない。自分の宿のなかで、思い通りにならない部屋がある。それが許せなくて、むきになっていた。
「水?」
ポタリ、ポタリと彼の首筋に水滴がこぼれる。
「あん?」
雨漏りでもしているのかとうえを見上げたとき、濡れた首筋が刺すように痛んだ。
「いでえ! ちくしょう! 誰だ!」
「うるせえ!」
思わず大きな声を出してしまい、他の客が怒鳴った。
こうなっては諦めるほかなく、主人は舌打ちしながらテラノヴァの部屋を去った。
そして朝、カネを盗まれて焦燥しているはずの魔導士が、平気な顔で出てきたので、主人の機嫌は悪かった。朝飯を作ってやる気に到底なれない。
去ってゆく背中を見て悪態をつく。
「くそ魔法使い野郎め」
きっと魔術的セキュリティを部屋に施していたのだ。
カネが手に入らないとなると、余計に悔しかった。自分のカネを盗まれた感覚さえあった。
犯罪者志向の宿の主人は、その日は一日中機嫌を損ねていた。
#
朝ご飯を食べたくなったテラノヴァは、朝市におそるおそる近寄った。
建物の影から、人が大量にゆきかう広場部分を見ているだけで、人に酔って眩暈がした。
「無理……」
180度反転して、あまり客のいない路地の露店に向かった。
こちらは細い路地の上に敷物を敷いて、露店を広げている。表通りに比べたら、かなり余裕があった。
「ねえちゃん、くだもの買っていって」
果物売りの少年に呼び込みをされたので、そのままついてゆく。
「うちの果樹園でとれた星座サクランボは甘くておいしいよ」
腕を引かれているあいだじゅう、売り文句がずっと続いていた。テラノヴァはたくさん言葉を話す少年に感心した。自分ではとても言えない。
案内された露店で、子供の頭ほどもある星座サクランボを買った。
しゃがんで高額な貨幣のつまった財布をひろげたとき、露店にいたもう一人の少年に注意された。
「ねえちゃん、人前ではお金を見せちゃだめだぞ」
「そうなんですか?」
「ひったくりにあったらどうすんだ。財布を見た悪いやつが、ねえちゃんのあとをつけて、襲ってくるかもしんないんだぞ」
「……」
「カネを持っているって知られたら、ぼったくるやつもいるし。オレたちは違うけど、気をつけろよな」
「ありがとうございます」
参考になるアドバイスだった。
果実を買ったテラノヴァは、どこか落ち着ける軒下を探しに行こうとしたが、人通りが多くて無理だった。
「それすぐ食べんのか?」
「はい」
「こっちだ」
露天商の子供の一人が、売り場の内側に引っ張ってくれた。
ここなら狭いがひとにぶつかられたり、押しのけられたりはしない。
「ここで食べな」
テラノヴァがお礼をいうと、子供は照れながら目をそらした。
短剣で大きな果肉に切り込みを入れて、そぎおとしてゆく。刃の上に乗せて口に運ぶと、みずみずしい甘さの中に、複雑な塩味があった。
不思議な味だった。
もう一口食べると、今度は鉄のような味に変化する。
テラノヴァは首を傾げていたが、3口ほど食べた後に、先輩ホームレスを刺した短剣を、ぬぐっていなかったと思い出した。
「はわぁぁぁ……!」
「どうしたんだ?」
「……なんでもないです」
テラノヴァは口を開けて短剣を見つめたまま、しばらく止まっていた。しかしもう手遅れなので、のこりもそれで切り取って食べた。
ときおり花瓶の中に果肉を入れると、パシャパシャと水音がした。
食事を終えたテラノヴァは、子供たちに礼を言い、ある場所を探していた。
「橋の下にすんでるのかな?」
『
エアリーヴァヴン橋 シレン 金22枚 1年 金1銀2
』
証文にかかれた名前は、聞き覚えがあった。
師匠が素材をおろしていた相手のひとりだ。テラノヴァも仕事を手伝って、防具に塗り付ける耐酸ワックスを作った記憶がある。どんな人物か知らないが、母親の話は聞けそうだった。
そしてシレンは、一度も借金を返済していない。いざとなれば、この紙切れが使えそうだ。
テラノヴァは街を歩き回った。
エアリーヴァヴン橋の場所を尋ねる勇気がなかったので、歩いていればそのうち到着すると考え、行き当たりばったりに探索した。
町の中にはいくつか浅い水路が通っており、洗濯用や生活用水として使われている。
そのいくつかの水路をたどって探した。
綺麗な水で魚が泳いでいる側溝もあれば、排水が流れる濁った水路もあった。
都市を流れる血管のような水路をたどれば、いつか太い川に合流してたどり着くはずである。
しかしどこも石の蓋がされて暗渠になっており、大きな水路でも橋はなかった。
暗渠の下をのぞき込んでみると、黒い革の服を着た作業員が、長い水草を熊手でかきだしている場面を見た。
通路にひきあげられた草はうねうねと動いていた。
テラノヴァは防毒マスクをかぶった作業員の透明なレンズと目が合った。相手が手を止めて向き直ったので、弱気な笑みを浮かべてうえに引っ込んだ。
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