第5話 路上生活者に学ぼう


「あの……」

「なんだよ?」


 鋭い声がかえってきた。露出の高い服を着た、メスの悪魔がカウンターの向こうにいた。

 短く切った赤い髪に、山羊のような黒い角を生やし、黄金の瞳でじっとテラノヴァを見上げている。

 人間換算すれば年齢は12程度の見た目だろう。


「さっさと要件を言いなって」

「わたっ、私の師匠の家が、奪われてしまいました。理由が知りたいです。あの、師匠の名前はフーミューです」

「それで、あんたのなまえは?」

「テラノヴァです。娘で、弟子です」

「身分証みたいなのは持ってるのか」

「あっ、あっ、えっと、この魔法の鞄です。私が師匠から受け継いだので、呪いを受けていません」


 魔女の作った品物は、本人だけが使える術式を組み込む場合が多いが、弟子も許容されている場合は、その名前が組み込まれていた。

 鞄を使えれば本人証明になる。 


 なお だれでも使えるように術式の解呪を行うと、内容物が虚空に消滅する陰湿なトラップを仕込む場合が多かった。

 テラノヴァは師匠の鞄から、財布を取り出して見せた。


「ああ、わかったよ。ちょっとまってな。書類を探してきてやる」


 テラノヴァは一息ついた。

 背中を向けた受付嬢の腰のあたりから、黒くて細長い尻尾が揺れていた。

 そのすがたが扉の向こうに消えるまで、テラノヴァはじっとみていた。

 悪魔は珍しい。どうやって使い魔にしたのか気になった。


(召喚のスクロールで捕まえたのかな。ヒト型だと、私のコラリアより便利そう。でも親密さなら負けてないし、いつか大きくなったら、悪魔と同じくらい強くなるし、水の魔法くらいは覚えているし……)


 どの魔導士も使い魔に愛着を持つが、自分の使い魔が一番だと思う場合が多い。

 テラノヴァもそうだ。2年も一緒にいると、クラーケンに愛着がわいていた。花瓶のなかで餌を食べるだけだが、いてくれるだけでうれしい。

 ときどき床に上陸して、横向きにひっくり返っている姿も、オブジェのようで愛嬌があった。

 

「おまたせ。これが魔女フーミューの家と、土地に関する書類だけど……家はもう売れてるね」

「にゃひぃ」

「相続人であるあんたの所在が確認できなかったから、競売にかけられたんだよ。購入者の名前を確認できるぞ」

「あの……師匠はどこにいますか? 反対は、しなかったのですか?」

「ああ? 死んじまったのに何も言えるわけないだろ」

「死……師匠は死んだ……?」

「知らなかったのか? 去年公開処刑されただろ」

「……」


 テラノヴァは鞄から迷妄の杖を取り出すと、最も弱い強度で自分に振った。

 幻覚があわられ、悲しみで塗りつぶされそうになった心が、無意味なもやでおおわれた。

 多少・・知能は落ちたが、均衡を保った精神で会話を続けられる。


「あんたなにやってんだよ」

「なんでもない。ふふっ、なんでもないです。わたし、買った人に会いました……それから、家を追い出されました」

「そりゃ大変だな。ギルドの職員が何度もあんたの家を尋ねたけど、あんたには会えなかったって言ってた。いままでどこにいたんだよ。何か事情があって家に居なかったのか?」

「……」


 正直に話すと、人に会うのが嫌で引きこもっており、尋ねてきた人も無視していた。

 だが、あまりにも情けない気がして言えなかった。

 沈黙が続いた。


「なんだよ。ストーンゴーレムのまねか?」


 何もしゃべらないの意である。


「と、取り返せますか? あれは私の家です」

「あー難しいな。正式に売買契約書が結ばれているから、ギルドの管轄を離れてる。あんたが自分でなんとかするんだな」

「ぐぐぐ……」


 また悲しみが打ち勝ちそうになったので、再び杖を振ってバランスを保つ。


「何かの儀式か? だいぶやばいやつに見えるぞ」

「いえ。あの、わたしお金いります。なにかお仕事はありませんか?」

「仕事って、あんた何ができるんだ」


 追いはぎはできました。低下した知能はそう言おうとしたが。最初の言葉が口から出たとき、理性がもどった。


「追い──スクロールや杖を作れます」

「そうか。あんたどっかに弟子入りすれば、生かせるな。あ、でも魔女フーミューの弟子だろ。ちょっと難しいぞ。何せ領主さまに歯向かって処刑されたんだ。あんたとかかわりをもっても、目をつけられるだけだ。無理だね」

「ぐぐぐ」

「それにあんたはギルドに登録してないし、紹介してくれる人もいない……そうだ! 人間の女ならできる仕事があるじゃないか。サキュバスみたいに身体を売る仕事なら、お客さんを喜ばせてカネが稼げるぞ」

「絶対嫌です」


 悪魔のような提案だとテラノヴァは驚いたが、あいては悪魔そのものだった。人間とは倫理観がずれている。


「じゃあんた冒険者になるか? ダンジョンに潜って、素材を取ってくれば、カネになるよ。死ぬかもしれないけど」

「近くに、簡単なダンジョンはありますか?」

「ない。そもそもあんたは戦えるの? あんたと同じ大きさの亜人をひとりで倒せる?」

「ポーションが効けば……」

「たくさんいても? 沢山群がってきたとき、あんた敵を殺す手段はあるの? ないだろ」

「……ないです」

「じゃ、やめときな。やっぱり身体でも売りなって」

「……」


 テラノヴァは気づいていなかったが、悪魔はわざときつい言葉をつかっていた。

 からかわれているのだが、相談に乗ってくれていると勘違いしていた。悪魔の性格は押しなべて悪かった。


「じゃ、あんたは何ができるの。何もできないの? ねえ、できることをおしえてくれたら、あたしも考えやすいんだけど。何ができるのさ」

「……」

「黙られちゃ何もわかんないんだよね。ふふ、ねえ何ができるの? ねえねえ」

「……あっ、計算。計算ができます。割り算までできます」

「さっさとそれをいいなって。商業ギルドにいけば、下働きくらいさせてもらえるよ。あんたは人と話すのが苦手っぽいけど、それをなんとかしないとね。できる?」

「……」


 困った表情をしたテラノヴァをみて、悪魔の受付嬢はにんまりと笑った。

 こんな美味しいあいてが来てくれるなんて、何か月ぶりだろう。魔導士に似つかわしくないほど無防備で、心が弱い。

 もっと会話を続けないと。そしてもっと困らせないと。泣くまで追いつめて、その表情を見たい。


「あんたさ、お金がないと死んじゃうよ」

「はい……」

「死ぬんだぞ。野垂れ死に。でもあんはたお金を稼ぐ手段が──えげっ!」

「オイッ、いつまで無駄話をしている。いいかげんにしろ」


奥の部屋にいた蛇女ラミアらしき存在が、身体を伸ばして悪魔を噛んだ。


「どどどどくをいれるののの、やめろってててて」

「あなた、もう話終わってる、はやく帰れ」

「なななんでたのしんでたのにに」

「評判、下げるな。話し終わり、帰れ」

「はい……」

「あげげげががが……ふぅ。あんた、がんばりなよ。競売の書類が見せてほしくなったら、またおいで。絶対あたしのとこに来るんだよ」


 すぐに解毒した悪魔が、カウンターから身を乗り出して手を振っていた。


「はい……」

「絶対だからんね! あげげごげ」


 ギルドを出たテラノヴァは、うつむいたままとぼとぼと歩いた。

 何度か迷妄の杖を振って、押しよせてくる悲しみを消した。

 目の前を行き交う通行人たちは、沈みつつある太陽の中、帰路を急いでいる。みな家に帰るのだろう。


(私には帰る家がない。なぜない。それは私が愚か者だから。全ての愚か者には帰る家がない? そんなことはない。私が馬鹿だからないだけ。ぐぐぐ……)


 セルフ自傷行為のループに陥って、テラノヴァはうめき声を上げた。

 もう一度強めに迷妄の杖を振って、気分が落ち着くまで歩いた。

 そのうち貧民街に入っていた。家から漏れでる灯りが貧相になり、建物の高さも低くなった。独特の匂いがするのは、ドブが近いからだろう。

 路地では埃のなかで何人も寝転がっていた。


「なるほど……!」


 天啓にも似たひらめきだった。家がなければ、道路で寝てもいい。


 多少・・寝心地は悪いが、建物の影で夜を過ごしてもいい。運がよければ風雨もしのげる。

 テラノヴァは常識外の光景に救われた気がした。ホームレスたちの仲間になるべく、誰もいない民家の裏に座り込んだ。


「はぁー」


 ようやく人心地つけた。

 硬い石の上でもけっこうくつろげる。歩いたおかげで迷妄がまわり、余計な感情が頭の隅に閉じ込められた。

 ともすればネガティブ思考が、魔導圧力鍋のように吹きあがりそうになっていたが、迷妄の効果で凝り固めてとどめられた。

 花瓶を隣に置き、かばんを開く。


「何かいいもの入ってるかな」


 鞄のなかにある鞄。追いはぎからもらったズタ袋を開いた。

 中身の一番上には、ぶよぶよとした革袋があった。もちあげると液体の移動がわかる。

 水袋だ。開いて少し出してみると、確かに水だった。


 その下にも荷物が詰まっている。テラノヴァじゃひとつひとつ取り出して広げた。

 木製の粗末な食器、折り畳み式のまな板とナイフ、火口箱、お財布らしき革の袋、コップ、短剣、そして最後に出てきた布に包まれた包みを開くと、硬いパンが入っていた。


「やった」


 食糧はうれしい。さっそく取り出してかじりつく。


「かっ、かたいっ……」


 石をかじっているような硬さだった。歯が跳ね返されて、土のようなパンの粉がこぼれた。

 ただただ硬い。

 テラノヴァはげっ歯類のようにかじり続ける。唾液でふやけてようやく欠片が、かみ切れた。


「……」


 がりごりと咀嚼したが、なかなかかみ砕けなかった。

 素朴な麦の味がしてそこだけはうれしい。くだけた欠片を花瓶のなかにいれると、内部からガリッ、ボキンと岩でも砕いているかのような音がした。


「コラリアはすごいね」


 クラーケンの嘴は強靭だった。


 そんなテラノヴァを眺めているものたちがいた。

 貧しい身なりで、目だけが鋭い。

 彼らは貧民街に巣くうホームレスで、見慣れない顔が貧民街に入ってきたので監視していた。人狩りに対する警戒もある。


 しかし路上に荷物を広げ、いかにも頭が悪そうにパンをかじりだした姿をみて、安全判定された。

 武装勢力でないならば、おいしいカモだ。

 あの小娘なら荷物を奪って、身ぐるみをはげるかもしれない。


 まっさきに動いたのは、このあたりを縄張りにしていた男だった。テラノヴァのとなりに初老の男がやってきて、しゃがみこんだ。


「ようねえちゃん、そこは俺の場所だぜ。使用料をはらってくれや」

「?」


 テラノヴァはパンをかじったまま首をかしげた。今いる場所が彼の家なのだろうか。おしりひとつぶんだけ横にずれた。


「おまえバカか? 金を払えってんだ。荷物でもいいぞ」

「……」

「おい、食ってんじゃねえ。おれさまを馬鹿にしやがって。こたえろ!」

「ひゃい……」

「よし、よし、最初から素直に返事しろよ。オラ荷物を渡せ。痛い目にあいたくないだろ。おれさまが優しくしているうちに、全部渡すんだよ」


 浮浪者はそういいつつ、テラノヴァの髪をつかんで、肩を小突いている。

 テラノヴァは恐怖でいっぱいになった。すぐに鞄から強盗の財布を出して、相手に渡した。


「おお、もってるじゃねーか。ふんふん……あまりねえな。これじゃこの場所の代金にはたりねぇなあ。もっと出しな」

「……」

「おぉい! きこえねーのか! もっとだせよ!」


 フードをめくられ、髪を直接つかまれた。

 痛い。

 どうやったらこの男は許してくれるのだろう。勝手に場所を使ってしまっただけで、こんなに絡んでくるなんて。

 テラノヴァはもう何も考えられず、鞄からもうひとつ財布を出した。


「なんだぁもってるじゃねーか。最初から出しやがれ」


 先輩浮浪者はもうひとつの強盗財布を開き、にんまりと頷いて、これも懐に入れた。


「よーし、勘弁してやろう」

「ほっ」

「うーんでもなァ。これは場所の代金だけで、利子がたりねえんだよなぁ。お前がすぐに払ったらよかったのによ。おれさまに手間をかけさせるから、利子がついちまったじゃねえか。それも払ってもらわねーとな」


 男はテラノヴァのとなりにどっかりと腰を下ろした。テラノヴァの顔を低い姿勢でねめまわして、にたにたと笑っている。


「そのかばん、いろいろ入っていいよな。くれ」

「……うぅぅ」

「返事しろ!」


 男はテラノヴァの髪をつかんで、引っ張った。彼はテラノヴァが押しに弱いと見抜いていた。脅し付ければ文字通り、身ぐるみをはげるだろう。 顔だちも悪くない。もの以外の楽しみ手に入りそうだ。彼はテラノヴァを嬲りながら、唇を舌で舐めた。


「あの、あの」


 テラノヴァはどうしていいのかわからなかった。触られた方も不快だし、腐った匂いのする浮浪者の体臭も不快だった。

 あくまで自分に非があると考えていたが、どうやらその限度をこえているらしく、謝っても許してくれない。

 テラノヴァは自分が理想とする本の登場人物、あたまのおかしい獣人の魔法使いならばどうするか考えた。

 確か彼女は絡まれたとき毅然とした行動をとった。そう、ハエを払うように──


「ちょっといいですかにゃ?」


 テラノヴァが手をあげてマントをひるがえし、男の視界を奪った。腕を下げたとき、もう片方の手で短剣を突き出した。


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