第4話 足首を折った人
そしていま、ふたりの男を殺したテラノヴァは、死体をあさって品物を奪った。
そのまま街道に向かってを進む。
当てがないわけではない。
何年か前、師匠の友人が家を訪れた。
そのときはこの道をとおってきた。ならば街道に出て南進すれば、地図上で知っているイドリーブ市に到着するはず。
テラノヴァはそう信じて歩いた。
うねった道を通り、平然と道を横切る小動物におびえ、石造の大きな街道に合流した。
人通りがあった。
おおきな馬車、荷物を背負った徒歩の人、獲物を背負った獣人──まばらだが、経済活動を行っていそうなひとたちが、街道を一方向に進んでいる。
おそらくその先に、イドリーブ市がある。
テラノヴァはできるだけ気配を消して歩いた、
傍目から見れば、テラノヴァは街歩きに不向きな魔女服で、荷物を背負っていない外見は、多少の違和感を醸し出していた。
棘角鹿の死体をせおった大柄の獣人が、ちらとテラノヴァを見たが、目が合ったテラノヴァは高速で目をそらしてうつむいた。
テラノヴァは他人を見て気まずく思った。
しかし獣人も同じ考えだった。
犬耳をした獣人は鼻を引くつかせ、背中の獲物からではない、濃厚な血の匂いを嗅ぎ取った。
人間の血の匂いだ。それも複数。
この魔女は人殺しだ。
魔力を漂わせたオーラも不吉である。獣人は小走りになって街道の先を行った。
彼は思った。
あの小娘が何をやらかしても、知った事ではない。しかしせっかく狩りを終えた帰り道で、トラブルのそばにはいたくなかった。
大きな荷物を背負ったロバを、年寄りが引いていた。
ロバの体積の数倍はある包みからは、灰色の羊毛がはみ出していた。
これが加工されて、毛織物になると本で知っていたが、実際に見ると膨れ上がっていて重そうだった。それを背負って歩く力に感心した。
荷物の影にいると隠れられそうで、それとなく隣を歩いていた。
半分埋もれた石碑の陰で、ひとりの男が座り込んでいた。
足首を抑えてうずくまっている。顔には脂汗が浮き、苦しそうな嗚咽が漏れている。
「ぐっ、いぃぃぃ……!」
かなり悪そうだ。
テラノヴァは勇気を出して近寄った。
「あの……!」そこから先が出てこなかった。
「な、なんだい……」
30歳前後の男が、苦しそうに応えた。
適切な処置を提案できればよかっただろうが、テラノヴァにはそれを言語化する力がなかった。
黙ったまま鞄からポーションを取り出した。
緑碧玉を液体化にしたような、光る緑色をしたポーションを無言で差し出す。
「ポーションか……これを使ってもいいのか?」
こくり。
緊張して声が出なかった。
男は蓋を開け、半分を飲み、半分を塗りつけた。
「……おぅ」
安堵の吐息が聞こえた。苦悶に歪んでいた表情がはがれ、穏やかな顔になった。
赤く腫れあがっていた患部が、元の肌の色に戻り、腫れもひいて元の大きさにもどった。
男は恐る恐る立ち上がったが、痛みが消えたのか、何度か足をあげて喜んでいた。
「助かった。こんなによく効くポーションははじめてだよ。ありがとう」
「……」
「これで家に帰れる。途中で二人組の暴漢に襲われてな。なんとか逃げたが足をひねってしまって、だましだまし歩いてきたんだ。しかし途中でぶち折れてしまってね、どうしようもなかったんだよ。ほんとうに助かった」
「……暴漢ですか?」
「ああ、いきなり武器を構えて、荷物を置いていけってな。ひどいやつらだ。おれは財布を投げつけて、その隙に逃げ出したんだ。まったく、衛兵に言って捕まえてもらわないとな。縛り首になったら最前列で見物してやる」
「そのふたり……もしかして」
「見たのか? 襲われなくてよかったなァ!」
「私、殺し──」
実質、同士討ちだったのだから、自分が手を下したのではないとも解釈できる。
テラノヴァは言葉に詰まった。男はしばらく言葉を待っていたが、諦めて靴を履いていた。
──そういえば、暗殺者たちはいくつも財布を持っていた。
テラノヴァは鞄に手を突っ込み、おそらく彼のものであろう、一番年季の入った焦げ茶色の財布を取り出した。
「これ、違いますか?」
「おお、おれの財布じゃないか! どうやって取り返したんだ」
「ふたり、死んでいたので、拾いました……どうぞ」
「ありがたい! ほんとうに助かった! あんたは恩人だ!」
「……あの、町は、もうすぐですか?」
「ああ、今から行けば、門が閉まる前につくぞ」
「……わかりました」
テラノヴァはほしい情報が聞けたので、再び歩き出した。
心臓がどきどきと高鳴り、他人との接触でストレスが閾値に達して、はやくひとりになりたかった。
しかし、スムーズ言葉は出なかったが、自発的に話しができた自分がうれしかった。
「……ふふ」
「おーい。ちょっと待ってくれ」
「に゛っ!?」
「助けてもらったお礼をしたいんだが、きみは町のどのあたりに住んでいるんだ? その格好、魔術ギルドの関係だと思うが」
「……」
無職かつホームレスのテラノヴァは、そのような難しい質問をされても、答えられなかった。今までそういう返答は師匠がしていた。つまり師匠に丸投げすればいい。
「師匠のところに、いく。いきます」
「そうか。きっと魔導士なんだろうなぁ。なんていう名前なんだ?」
「……」
「師匠の名前はなんていうのかな? お礼をしたいからおじさんに教えてほしいな」
旅人は幼子に話しかけるような口調になった。
テラノヴァはすこしいらっとしたが、自分に気を使っているのがわかったので、口を開く気になった。
「……フーミューです」
「うん? どこかで聞いた名前だ。きっと名前を知られている魔導士なんだろうな。それで君の名前は?」
「……テラノヴァです」
「テラノヴァさんだな。覚えておこう」
師匠を褒められてテラノヴァはうれしかった。
しかし家に帰ってこない理由を考えると再び落ち込んだ。
どうして自分が待っているのに、戻ってこなかったんだろう。
「フーミューにテラノヴァ……」
男もまた、聞いた記憶のある名前を思い出そうとしていた。確かにどこかで聞いた。
雑に消費されてしまう話題のひとつだ。近所の話題ではない。イドリーブ市の話題でもない。
一月に一回くらいは入ってくる外の話だ。
それを逆算して思い出していったが、なかなかつかめなかった。
しかし別の都市の話なら、この娘はイドリーブ市にはいる通行証を持っているのだろうか?
「──ところで街に入るには許可がいるが、師匠は通行証渡してくれたのかな?」
テラノヴァはびくりと肩をあげた。そんなものを持っていない。
「……はい」
持ってないが、嘘をついた。そうすれば会話が早く終わると思ったからだ。
そしてそれは、旅人に予想されていた。おそらく持っていない、と。
「そうか。連れがいれば一緒に入れるから、商売仲間ってことにして一緒にはいろう」
「……」
テラノヴァは軽く頭を下げ、花瓶を抱きしめた。ちゃぷんとクラーケンが音を立てた。
そこから無言が続いた。
旅慣れた男から見ても、テラノヴァの動きは危なく見えた。
確実に世間知らずで、旅慣れていない。
時折ふらふらと街道を外れては、緑の原野に生えている植物を引き抜いて、かばんに入れた。
旅人は足を止めて待ってやった。しばらくはまっすぐ進んでいたが、街道のそばでよく見かける、二足歩行のワイルドペンギンを見つけると、後についていこうとしたので止めた。
どうしたのかと尋ねると、長大な無言のあと、巣を見つけたら卵があるかもしれないといった。
卵がほしいなら市場で売っているというと、再び黙ってしまった。
男はせめて、町までは見守ろうと考えた。
薬をくれて、財布まで取り返してくれた恩人だ。できることなら、なんでもしてやりたかった。
「うちのちびに似てるな……」
男はひとりごちた。
この娘は注意力散漫で、彼の家で待っている5歳の息子も似たような動きをしていた。
そのおかげで助かったともいえるが、旅の途中で困っていそうな人を見つけても、基本は助けてはいけない。
圧倒的な戦力で上回っているのならいいが、そうでないなら基本は無視なのだ。
最近は減ったとはいえ、追いはぎが偽装していて、不意打ちを仕掛けてくるかもしれないし、危険な魔物が化けている可能性もある。
それを考えずに助けに向かうなど、絶対にやめておけと言いたくなる行為だった。
感謝と心配が同時に起こっていた。
(どこかの金持ちの娘が、抜け出して帰る途中か?)
旅人はテラノヴァに歩調を合わせて歩いた。
原野が畑に変わった。整備された果樹園が横合いに見え、郊外の家が見え始めた。
夕方になると畑から町から戻る人の往来が増えた。
イドリーブ市の市壁が見えた。
夕焼けに照らされた壁が、赤い石材でできているように照らされていた。
「……?」
城壁の上で奇妙な人影が動いている。それは等間隔に並んで一定のリズムで動いていた。
「あれ……なんですか?」
「防衛用の魔法人形だ。詳しくは知らんが、敵が来たらあれが戦いに参加するらしい」
規則正しく左右に揺れたり、あたまを上下に振っていたり、常に動いている。
遠くからでは手足が大きく見えたが、近づくと違いがよく分かった。
木と泥で作られた外皮に、魔法文字で渦巻きが描かれている。
それが地脈に通じるマルクと星の光のテルに近づく動きをして、魔力を蓄えているのだろう。
左右の動きはそれの伝達。
テラノヴァはそこまでわかった。となれば攻撃方法も予想できた。
「爆発です」
「うん? 何か破裂したのか?」
「あのお人形たちは……爆発して敵を倒します」
「そうなのか。詳しいな」
「にふふ」
「──門やぶりだ!」
入り口に近づいたとき、フードをかぶった男が無理やり中に入ろうとした。
衛兵たちの隙をついて、大通りに走っていく。
「
門の上から人形が一匹飛び降りた。
手を広げてひらひらと滑空し、そのまま男の背中にまいおりる。獲物を抱え込む蜘蛛のように、長い手足が閉じた。
「もげっもごげぐぐぐぐ!」
シダに似た手が頭を包み込んだ。
「がっごごご!」
パキンバキンと骨が砕ける音がした。
「……爆発はしなかったな」
「……」
テラノヴァは黙った。当てが外れたが、衛兵が唱えた起動コードが聞こえてしまった。
ラム・マン・セキュリタリ・グアハルク。
これが魔法人形に指示を出すコードだ。声にあわせて指輪が連動して光っていたが、あれが発動体なのだろう。
テラノヴァはひとつほしくなった。家を奪った小人にけしかけたら、肉団子にしてくれるだろう。
多少の混乱はあったが、テラノヴァたちの順番がきた。
「どうも。大変ですな」
男が衛兵にカードの身分証を見せた。
帯剣した衛兵は、それをおざなりに見たあとテラノヴァを見た。
「そっちは?」
「姪ですよ。途中の村で拾ってきたんだ」
「そうか。行っていい」
テラノヴァは黙って後に続いた。彼女がひとりだったら、フード付きのマントを深くかぶって、強行突破しようとしただろう。
そうなれば魔法人形に砕かれていた。テラノヴァは少し震えた。
大通りで男は立ち止まった。
「ここでお別れだな。おかげで家に帰れる。お礼は改めて、師匠に渡しておこう」
「……はい」
「魔術ギルドはあっちだ。夜の鐘が鳴るまでは開いているから、まだ間に合うぞ」
「ありがと、ございました」
テラノヴァは深々と頭を下げた。教えられた方向に向かって歩き始めた。
久しぶりに家に帰った男は、は荷物をほどきながら、息子を抱き上げた。
夕食の準備をしている妻に、荷物を渡しながら、今日あった出来事を話した。
彼が助けてもらった女の子と、その師匠の名前を出したとき、妻は驚いた顔をした。彼女はその名前を憶えていた。
「それ知ってる」
「ああ、聞いた覚えがあるんだよな」
「ほら、一年くらい前にあったじゃない。領主に逆らった魔女が、となりの街で処刑されたって」
「……ああ。あったなぁ」
「そのとき殺された魔女の名前がフーミューよ」
男は驚いた。
「……それじゃあの子は何しに来たんだ? 師匠はもう死んじまってるんだろ」
「きっと悪いことを企んでるのよ。あなた、もう忘れましょ。何かあったら、あなたまで疑われるわ」
「うーん。悪い子じゃないと思うがなぁ」
あれは故人の名前を使って、まんまと街に入った犯罪者なのだろうか。そうは思えなかった。嘘をついているようにも見えない。
「考え過ぎだろう。怪我を治してくれたし、財布も取り返してくれた。悪いやつじゃなかったよ」
「何かあってからじゃおそいの! あなた、子供が巻き込まれても平気なのね! 私たちの生活なんてどうでもいいのね!」
「……そうじゃない。わかった。もう忘れよう」
改めてお礼に伺おうと思っていた男だったが、妻が危険人物に違いないと強弁するので、しばらくは待ったほうがいいと思い直した。
しかし、何をしにイドリーブ市にきたのだろう。
男は考えたが分からなかった。ただ、恩人の幸運を祈った。
テラノヴァは魔術ギルドの建物を見上げた。大きな階段に高い鐘楼が目立つ建造物。
入り口の近くには槍を持ったガーゴイルが鎮座していた。
母親の情報を集めるならば、この中で聞くのが一番である。
テラノヴァは勇気を出してはいった。
魔術師の格好をしているためか、守衛には止められなかった。
内部は天井が高い。
薄暗いローブを羽織った人たちが、音を立てずに移動している。
テラノヴァもそれにならって静かに受付に近づいた。
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