第3話 引きこもり生活その2
「うわ、クラーケンの子供」
クラーケンは海にいる怪物で、巨体で破壊的、船を食べ、港湾都市に上陸して、壊滅させた伝説もある危険生物だ。
テラノヴァが召喚した魔物は、殻付きクラーケンの一種だった。何百年も生きると、五段櫂船よりも大きく成長すると書かれていた。
カラーの挿絵には船に絡みつく触手と、特徴的な殻の模様がよく似ている。
「あなたはクラーケンですか?」
返事はない。座り込んだテラノヴァに近寄ってきた幼生が、膝に触手をあてた。ひんやりとしか感覚があった。
フィット感があり、吸盤の間隔がわかった。
指を伸ばしてみると、長い触手がそっと指先に巻き付いた。
触手の先をつまんでみた。沼イカに似た感触だった。
「あなたってピンク色をしてサンゴみたい。だから名前はコラリアね。わかった?」
「……」
やはり返事はなかった。そもそも発声器官がなかった。
「あなた水のなかだから……」
テラノヴァは殻をむんずとつかみ上げた。手ごろな飼育場所を探したが、家に水槽のたぐいはなかった。
「師匠、お借りします」
応接間に、ちょうどいい大きさの、装飾された花瓶があった。中にコラリアを入れると、カラン、カランとぶつかる音がした。
後は、水と餌。
井戸からくんだ水を足すと、ときどきなかでチャプンと動いている音がした。
「餌、えさー」
テラノヴァは魔導果樹園に向かう。アスパラガスの木から、細長い葉っぱをきりとって、束の先端を花瓶のなかに付けてみる。
ぐいっと引っ張られて、しばらくのちに離された。
葉の部分に三角の歯型がついていた。
「うに、うに」
テラノヴァは謎の擬音を口から発し、クラーケンの咀嚼音を想像で再現した。きちんと食べていたので、満足げに頷く。
アスパラガスだけではお腹がすくだろうと思い、オレンジのかけらも用意した。
花瓶の口で切り分けたふさをつまんでいると、触手が伸びてきた。そっとまきついて、花瓶の中にオレンジを引き込んでいった。
「ふふふ」
テラノヴァはあたらしい遊び相手ができて、ご満悦。お祝いに風呂を沸かした。
魔導果樹園からオレンジをいくつかもいで、風呂に浮かべる。いい香りがして、贅沢なお湯になった。
季節に関係なく、栽培室では果物がなる。
ぶどう、みかん、さくらんぼ、リンゴ、キウイ、レモン、パイナップル──恒久的に果実が取れる魔法の木で、地脈からエネルギーを吸い上げているため、家のなかでも育つ魔導植物群だ。
ときどき熟しすぎた果実が収穫されるので、テラノヴァは酒製造瓶に投げ込んでいる。誰も消費しないので、果実酒はたまる一方だった。
「師匠が帰ってきたら、紹介するね」
「……」
一緒に入ると、コラリアは湯だって動きがゆっくりになった。
こうして2年が過ぎた。
フーミューは戻ってこない。テラノヴァはコラリアとともに過ごしていた。
果樹園と野菜園、井戸につながる菅水道があるので、生存に困りはしなかった。日々、家のなかで過ごす。外出はまれに野菜を取りに行くときだけ。
テラノヴァが引きこもった原因は、快適すぎる家にもあった。
この地域の中産階級の家と比べても、この住処は上位に入る部類だった。
ベッドのある寝室、魔導製品のあるキッチン、大きな食器棚と立派なテーブルのあるダイニング、お風呂、魔女が集めたアイテムが置いてある宝物庫、ローテーションで果実の取れる栽培室。
基本的に家のなかで生活が完結している。
それが2年間も外出を先延ばしにしていた。
14歳になっても人付き合いがないため、社会性が久しく低かった。クラーケンはわずかに成長して、花瓶の入り口と同じサイズになった。
ある日、あふれる魔道具のひとつが、家に接近する何かを感知した。
小人の骨で作られた察知人形が、接近する方向に向けて骨の指をさした。カタカタと乾いた音で震えている。
初めは師匠が戻ってきたのかと考えたテラノヴァだが、この人形は身内に反応しない。
「誰だろ」
テラノヴァは不安になった。
強盗をしにやってきた、悪党だったらどうしよう。
そのような想像をすると怖くなった。
「許してもらえるかな……」
テラノヴァは初手から降伏するために、財布から金貨を取り出して小袋につめた。
お金が必要な相手だったら、これで帰ってくれる……はず。世間のひとは、お金が欲しくていきているらしいから。
いまや人形は狂ったように全身を震わせ、ドアに向かって指さしている。
「う、うう……」
心臓が高鳴り、息を止めた。
ドンドン。
扉がノックされた。乱暴な音だ。
テラノヴァは居留守を使おうと決めた。
ドンドンドンドン! ガチャガチャガチャガチャ!
(ひぃぃ……!)
ドアの取っ手が恐ろしい勢いて回されている。
絶対にろくでもない相手だ。
配を消せば、何とかなる。やりすごせる。
テラノヴァは息を止めて、石のように固まった。
取っ手を動かす音はしばらく続いた。
「なんだよ」
おとこのひとの声だった。
「留守かよ、くそ」
帰ってくれそうな声がした。ドアの前が静かになった。
「……」
しばらくそのままでいたテラノヴァは、やがて安どの息を静かに吐いた。
平和が守られた。
悪党は去ったのだ。
「……怖かった」
後遺症はしばらく残った。家鳴りや物音におびえる生活がしばらく続いた。
テラノヴァの神経が落ち着いたころ、ふたたび来客があった。テラノヴァは足音を殺して自室に入って、布団の下に避難した。
謎の来客は数か月に1度の割合できた。
来るたび、テラノヴァは無視した。
やがて落ち着かなくなった。
平穏な時間でも、誰かがやってくるのではないかと気になって、ノイローゼになった。いつ来るかわからないから恐怖なのだ。待つ時間がストレスになった。
逆に、来客がやってきて、帰った直後が一番安心できた。その日は絶対に来ないと確信できるからだ。
「ふにぃふにぃ」
不気味な声を出して喜んでいたが、表情は憔悴していた。
不眠と蕁麻疹が、出たり治ったりした。
さすがのテラノヴァも、これではいけないと考えた。対処しなければならない。勇気を出して、話だけでも聞く。
そうすると不調は治った。
だが、次の襲来は、心がなえるほど激しかった。
ドンドンドンドンドン!
「にひっ」
容赦のない殴打だった。魔法で強化されているはずのドアが、がくがくと揺れて、蝶番がズレ始めた。
ドアだけではない。ほかにもいる来客が、外壁を殴りつけている。
ごおん! がおん! がん!
何人もいるのだろうか。
音が増えて移動してきた。
「あわ、あわわわ」
カーテンで隠した窓が叩かれた。メキッ、ミシッと魔導ガラスにひびが入り始める。
安全という文字が消し飛んで、圧倒的な力を持った外の世界が、内側に押し寄せようとしていた。
戦わなければいけない時が来た。
テラノヴァは大きく息を吸い込んだ。
「にゃ、なっ、なんですか!」
声を上げると音は止まった。
「ね、ねてました。だっ、だれですか!」
言わなくてもいい言い訳を言って、とにかく存在をアピールする。金貨の子袋をもって玄関に走った。
マジックチェーンをかけたまま、玄関を開けた。
扉の向こうには、背の低い小人族がいた。1メートルほどの体躯。全身を覆った布の防護服と、黒く長い爪。
小人は驚いてテラノヴァを見た。
「あんたは? 何をしている」
「や、やめてください! お家壊さないで! やめてやめて!」
「なんだぁ無人だと聞いたのに、だぁれかいるじゃないか」
「パパ、どうしたの」
玄関に小人たちが集まってくる。みな武具を付けていた。
「ここ、私の家です! 住んでます!」
「乞食が勝手に入り込んでいるじゃないのか?」
「乞食じゃないです! ここはお師匠様、繊月のフーミューのお家です。にゃふにう。わたしの師匠で母親です!」
小人たちは顔を見合わせた。もぞもぞとカバンをあさり、黄土色の羊皮紙を広げた。
「しかしきみ、そのフーミューさんは魔術ギルドにカネを払ってないぞ。ギルドも除名されている。ほら、これが家を買った書類だ」
「え……」
「この家を買うときに、ここは無人だと説明を受けたがな。きみが最後にフーミューさんにあったのはいつだ?」
「……2年前です。遠くにお仕事に行くってゆってました」
「ほれみろ、そのときから失踪していたんだ。だからこの家はわしのものだ。合法的に、わしのものだ。わかったか?」
「で、でも、なんの連絡もなかったです。師匠はそんなひとじゃありません」
「いや、たびたび弟子の安否を確認しに、ギルドの職員がここを尋ねたと聞いているぞ。だがきみは留守で、一緒に逃げたと思われたんじゃないか。だから、ここは売りに出されたんだ」
あの来客は、テラノヴァをこの家にとどめてくれる救い主だった。それを無視してしまった。テラノヴァの顔から血の気がひいた。
書類には、確かに魔法印が押されている。偽造ではない。強制力を持った所有権の担保だ。
「か、帰ってください……」
「いや、むしろ君を、追い出さないといけないんだが。私物をもって出ていきなさい。ここは君の家じゃない。……手荒な真似はしたくない」
それはつまり、そういう方法もとれるという意思表示だ。
テラノヴァは急いで自室に戻った。
魔法のかばんに自筆のスクロールを詰め込んだ。師匠のまねごとをして作ったポーション類と、魔法の杖を入れた。正装であるマントとローブを着て、下着をかばんに詰め込んだ時、部屋にもう一人のこびとが入ってきた。
「おい、まだ準備ができてねーのかよ。さっさと出ていけ。それから、他の部屋に入るんじゃねーぞ。おれたちのもんだからな。わかったな」
「んいい」
キッと睨むと、小人はイラっとしたのか、テラノヴァの腕をつかんで自室から引きずり出した。
「出ていけよ」
すでに室内には、何人も小人族が入っていた。
居間にある本を勝手に手に取っている。
「みろよ、古臭い本だ。こんなカビの生えた本じゃ、売れやしねぇ」
「焚きつけにしちまえ」
読みかけの本は魔導暖炉に投げ込まれた。
数人が師匠の部屋を荒らしていた。
「古くせぇアイテムばっかりだな。こんなの売れるのかぁ?」
「邪魔なもんは火にくべちまえ」
「あいよ」
両手いっぱいに本や巻物を抱えた略奪者が、外に不要物の山をつくっていた。テラノヴァは半泣きになって、そのそばを通った。
「おい、出ていけよ」
「はやく出ていけよ」
無慈悲な通告が背中に投げつけられた。
テラノヴァはもう耐えられなかった。クラーケンの花瓶をつかむと、外の世界に走って逃げ出した。
「うにぃ、うにぃぃぃ」
不気味な声で泣きながら走った。
強烈な不安が押し寄せた。全力で走っている肉体的な苦痛が、まったく感じられないほどだった。ストレスで喉がかゆくなる。細い道に沿って走り、走り、走り続けた。
そして街道に続く森に差し掛かったとき、ふたりの男がテラノヴァを待ち受けていた。
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