第10話 触手の一本くらいなら
「魔法ごときっ、訳はない」
グレゴールはひるまなかった。彼も対魔法訓練は受けている。
彼の周囲では薔薇の花びらが舞っていた。
闘気で錬成された美しき薔薇の花びらが視界を狂わせ、剣閃が血に濡れた棘のごとく伸びて相手を貫く。
「ゆくぞぉ」
花びらが舞い散った。殺人的な薔薇の香り。甘く狂おしい血の芳香だ。
「コラリア、防御しつつ
コラリアは無造作に腕をまえに突き出した。
ただ手を広げたさまは、身を守る楯にもならない。腕を無視してもグレゴールの剣は胴体に届くのだ。
しかし、グレゴールはその異様に伸びた腕の圧力を嫌った。彼は軌道を修正して手首をねらった。
あっさりと、コラリアの右手首が落ちた。
「ほほっ」
そして手首を切断されても動じずに、魔法を作り上げたコラリアが、グレゴールを無表情に見つめていた。
その感情を乗らない視線の冷たさに、グレゴールはおぞけが走った。
「やめろ!」
テラノヴァが指示するまでもなく、
今度は全弾が、グレゴールに向けて発射された。
右腕と、わき腹と、ほほ肉の一部を切り落として通り抜けていった。
彼は従者たちと同じように、壁方向にはじかれた。しかしグレゴールは衝撃で飛ばされたのではない。自ら飛んでいた。そのまま血を流しつつドアを開け、廊下に転がり出た。
走り去る足音だけがテラノヴァたちに聞こえた。
「コ、コラリア……大丈夫?」
「……」
傷口からの出血はすぐに止まった。床に落ちた手首は、本体にかかった偽装が溶けて、クラーケンの触手に戻っていた。
すでに神経接続が失われ、色が消えて透明になっていた。コラリアは残った左手で触手を持ちあげた。
「ちょ、ちょっと……」
テラノヴァが止めたが、コラリアは触手をつまんで上を向いた。口を開き、指を離した。
咀嚼せずに、そのまま丸吞みにした。
自分の似姿で、喉が動いて飲み込むシーンを見たテラノヴァは、どこかわからない、精神の一部が
「……」
コラリアはいつものガラスのような無表情でテラノヴァを見つめていた。
「うう……おまえら、なんなんだ……」
従者の一人がうめき声をあげた。生き残りがいた。
彼は起き上がろうとしているが、腰に力が入らず、下半身が妙な方向に歪んだまま動かない。
壁にたたきつけられたとき、運悪く木製のフックが脊髄にめり込み、一部が損傷して半身不随になっていた。
腕の力だけで動こうとしているが、床を指で掻くばかりだった。
「うごかん。身体がうごかん。おまえ、身体がうごかん!」
子供のようにかんしゃくを起こしている。
テラノヴァはじたばたする手の動きを見て、誤って踏んでしまった蟻が、似たような動作をしていたと思い出した。
蟻と違うのは、憎悪の視線だ。視線に乗ったむき出しの悪感情だった。
相手を害したいという醜い激情が、ゆがんだ表情に発現していた。
「ひい」
敵意の熱量をたたきつけられると、テラノヴァはスイッチを切り替えた。怖い。生身では耐えられない。頭を何度か振り、感情の熱に耐えられる主人公ナルツィッセになった。
「──可愛そうですにぇ。痛いですかぁ?」
「くそっ、くそっ、感覚がねえ。くそぉぉぉ……! お前のせいだ!」
「にゃーっふっふっふっふ。私の仲間を手籠めにしようとするから、こんな目に合うんですにゃ。反省しなさい! にゃ!」
「てんめぇ、てめえ……ふーっ! ふーっ! 痛え! くそっ、なあ、謝ったら助けてくれるか? いいだろ? おれはいつもグレゴールさまのおこぼれをもらっていただけだ。あんたにはまだ何もしてない。治癒術師を呼んでくれ。なあ? いいだろ? いいだろうが!」
「呼んでほしいのかにゃ?」
「ああ、よんでくれ」
「今すぐですかにゃ?」
「あたりまえだろ! はやくよべ!」
「いーやですにゃ」
「ふっざけんなてめ──」
「にゃひひひひ」
テラノヴァが笑いながら突き出した短剣は、眼球をつぶして大切な頭部の中にお邪魔し、先端は柔らかい側頭部を貫き抜けて、頭頂葉に達した。
「へげーー……」
どぼどぼと血があふれ、従者は長く、気力のない声をだらしなく伸ばした。
そのあと痙攣が始まり、従者の目からねっとりとした半透明の血が流れた。
「にゃあぁ……」
テラノヴァはうめき声を上げた。今まで日常のなかで襲っていた不安が拭い去られた。かわりに罪悪感が上書きされ、不安と悲しみを中和してくれた。
これがほしかった。
ホームレスの先輩を殺してから日数が立っていたが、新しく補充された感情で、テラノヴァは真剣に生きられる。
こんどは間違って果物を切らないように、従者の服で血をぬぐった。
「にふ、にふふふ」
刀身が鈍く光った。完全にきれいになった。
もうひとりの従者はまだ気絶していた。布団のなかで眠っている子供のような、安らかな表情だった。椅子のそばで手を内側にして丸まっていたが、引っ張り出してもまだ気絶したままだ。
安らかな寝顔のまま、安らかではない死の世界に送ってやりたくなる。
「コラリア、天に召されるのにふさわしい武器はないかに?」
答えられないと分かっているのに聞いた。
コラリアはただ見つめ返すだけだった。
「そうだよね」
一瞬、正気に戻りかけたテラノヴァだったが、物語の狂った主人公として、大切な命を無為に消費する存在でなければ耐えられない。
従者の喉に体重をかけて、何回か踏む。
ペキンと小気味の良い音がして喉が潰れた。じわりと罪が脳に広がった。
こと切れるまで、がー、がーと奇妙に喉がなっていたが、やがて止まった。
「にゃふぅ……」
満足だった。身体じゅうが暖かい液体に包まれている。
「また殺しちゃった」
「また殺しちゃったに」
「にふぃふぃふぃ!」
「殺しちゃった! 殺しちゃったぁ!」
強烈な独り言をつぶやいて肯定する。罪の意識で満たされる。
もうひとりからも、感情を得たい。
「おーい、どこにいますかぁ? 隠れているのかにゃあ?」
テラノヴァはコラリアを引き連れて、グレゴール邸を探索していた。
グレゴール邸は庶民の家よりは広いが、貴族や豪商の屋敷と比べれば狭い。
各部屋は閑散としており、生活感のある家具は少ない。
他に従者たちの姿はない。メイドや執事もいない。ただ埃をかぶった10人掛けのテーブルや、ほとんど使われていない台所、ゴミのたまった応接室など、寝室以外はほとんど使われていなかった。
おそらくグレゴールはほとんど外にいて、寝るためだけに戻ってくる家なのだろう。
すでに家から逃げ出している予感がしたが、どこかに存在感を持つ気配がした。
屋敷の一部に魔術的な隠匿が使われている。
それがテラノヴァの感覚を刺激していた。
「どこかにゃ」
すでに15を超える扉をひらき、内部を確認していた。
倉庫の奥に扉があった。
ここだけ頻繁に行き来しているのか、石の床はきれいであり、魔石ランプも手入れがされていた。
扉を開くと地下へ続く階段があった。ランプをひとつ手に取り、斜めに傾斜した階段を注意深く降りる。
テラノヴァが慣れ親しんだ香りがした。血の匂いである。
階段を下りた廊下の先には3つの扉があった。一番奥から、特に匂いを感じる。テラノヴァは直行した。重い扉を開く。
血と腐敗臭が扉を開けた瞬間にあふれ出した。
「うわぁ」
内部は四角い玄室になっていた。
石の壁に鋲がうたれ、そこからつながった鎖の先に、巨大な甲虫がいた。
雄牛くらいの大きさで、長い触角と左右に広がった鋭い棘の付いた脚。左右に分かれた牙は大鎌のように鋭かった。
「
後ろにいたコラリアのお腹を押さえて、前に出ないように止める。
あれは山に住む肉食性の魔物で、生で見るのは初めてだが、図鑑の記述では、顎の力で金属の鎧を両断したと書かれていた。凶暴な肉食性の魔物だ。
「ひとつ、ふたつ……たくさん……」
原形をとどめている頭蓋骨の数だけでも10は超えている。おそらく餌だ。
グレゴールはここで、連れ込んだ女や不用な人物を虫に与えていたのだろう。
あとで衛兵に駆け込まれないために殺処分をしたと考えると、貴族の類縁というだけでやりたい放題。
テラノヴァはその特権性に嫌悪感を覚えた。
生きた人間の匂いに気づいた虫がうごめき始めた。
シャリン、シャリンと両顎をかみ合わせて、はやく餌をくれとねだっている。
この虫を生かしておいても危険なだけと思ったが、今はかばんを持ってきていない。殺戮熱も冷めてきている。
テラノヴァは何もせずに部屋から出た。
「
鎖と魔法で二重のそなえがあれば、あの虫が空腹で暴れても、街に飛び出したりはしないだろう。一か月も待てば餓死する。
「ひどい家だったね、コラリア」
「……」
コラリアはふらついていた。
度重なる魔法力の使用で、魔法の効果が切れかけて、形状が不安定になっていた。
屋敷の外に出るころには、元のクラーケンの幼生に戻っていた。テラノヴァはフード付きのマントを羽織ると、その内側にコラリアを抱えて敷地内を出た。その足で衛兵の詰め所に行った。
「あ、あの……」
テラノヴァは事情を脚色して話した。
無理やりグレゴール邸に誘拐されて、虫の餌にされかけた。
殺すまえに犯そうと提案した従者がグレゴールに殺され、内輪もめがはじまった。
怪我をしたグレゴールはどこかに逃げた、と。
10人以上が地下で食われていたと話すと、衛兵たちはさすがに動き出した。もみ消すには数が多すぎるのだろう。
行方不明者の捜索があがっていたため、迅速に動いてくれると約束してくれた。
工房に戻るともう夜だった。
デニスとウォーレンが外で帰りを待っていた。テラノヴァのすがたを見つけたふたりは駆け寄ってきた。
「おかえりなさい」
「コラリアは生きてる?」
腕にまとわりつく子供たちが矢継ぎ早に質問をする。テラノヴァは殻に入ったままのコラリアをウォーレンに渡した。花瓶に入れるように頼むと、受け取って走っていった。
「お姉ちゃん、これ血?」
コラリアを持とうと抱き着いたとき、ローブについた返り血を触ってしまったウォーレンは、赤く染まった指をみて言った。
「え、えーと……グレゴールさんの家で殺し合いが起こってしまって、大変だったのです」
「殺しあい!?」
「あとで話します」
まずは無事を報告した。
ニコラス一家が居間に集まったので話をした。
悲惨な地下の様子を伝えると、ニコラスは顔をしかめ、ノエルは聞きたくないと目を伏せ、ふたりの子供は真剣に冒険を聞き入っていた。
「本当は違いますけど、衛兵さんにはそう話しました」
「あんた、生き残ってよかったな」
「はい」
「これであの野郎がいなくなってくれたらいいんだが。あれは町についた寄生虫だ。野垂れ死にしてくれるとなおいい」
「あなた、子供のまえよ」
「……すまん」
「グレゴールさんはどこに逃げたのでしょうか?」
「さあなあ。施療院に行ったのかもしれん。もしかしたら街を出ているかもな。こんなに醜聞が立っているんじゃ、捕まる可能性がある」
「……」
テラノヴァは今更、後悔した。
グレゴールがもし街にとどまり、衛兵に余計な話をされると、殺人で捕まるかもしれない。
無理をしてでも探し出して、殺せばよかった。
かなり殺人鬼的な口封じの方法だったが、焦ったテラノヴァはその異常性に気づいていなかった。
なにより、グレゴールには魔法をうけた証拠が身体に刻まれている。
よくない事態になってしまったと、テラノヴァは不安になった。
「まぁ助かってよかったな。今はそれに感謝だ」
テラノヴァの顔色をみて、ニコラスが励ますように言った。
「はい」
「しかしすごい魔物がいるもんだな。どこから町に連れてきたんだろうな。──あの虫の甲殻は、武具職人にはいいかもな」
テラノヴァふと、甲殻防具職人のシレンを思い出した。あの鋭い顎をもっていけば、喜ばれるかもしれない。
彼の娘とも仲良くなれるかも。
テラノヴァは夢想を頭を振って追い出した。当分は、あの家に近づきたくなかった。
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