第六章 第二節 本末転倒となるところだった

 ついつい、じっとアウローラを見てしまっていたことに気づき、

「居心地はすごく良いです。あと、マスターのココアは最高です!」

 と、前半の言葉はアウローラに向かって、後半の言葉はキッチンにいるオーンドカルムに向かって、慌てて話す。

「気に入って頂けたようで何よりです。今、デザートも準備しているので、出来上がり次第お持ちしますね」

 オーンドカルムの、低音で、穏やかな声が耳に届く。

 どれだけ聞いても飽きないような、素晴らしい美声だ。残念ながら、口数はあまり多くないため、声を聞けた際は、少し、有難いような気持ちにもなる。

 そんな彼も、アウローラと同じく、本日も麗しい。

 オーンドカルムの身だしなみも、どうやら決まっているらしく、今日も初めて会ったときと同じ服装だ。そして、変わらず謎の色気も発している。

 やはり、シャツから覗く腕がいけないのだろうか。

「うーさん、今日のデザートは何かしら?」

「アイスモナカです。スリジエの花の形をしたモナカに、バニラアイスとネクタリンのコンポートを挟む予定です」

 その二人の会話を聞いて思わず、

「ネクタリン!」

 と、興奮した声を出してしまう。

(あっ……)

 視線がメルツへ集まったことを感じ、一気に恥ずかしくなった。

「その、すみません……」

 謝罪するが、恥ずかしさから、どうしても声が小さくなってしまう。耳からも顔からも熱を感じる。きっと、今のメルツは、耳も顔も真っ赤だろう。

「ふふっ。謝る必要はないわ。ね、うーさん」

「ええ、喜んでもらえて何よりです。アウラからお好きだと伺いましたので」

 その言葉を聞いて、嬉しくなる。

 メルツのために用意してくれた、ということだろう。

「ありがとうございます! 実は、人生で初めて食べた果物で、思い入れも……あって……」

 話しながら思い返す。

 昔、一度だけ食べたことのある、人生で初めて口にした果物。ジューシーで甘酸っぱいあの味を、未だに覚えている。――果物は、滅多に口に入れることが叶わなかったので、余計に、だ。

(食べたとき、すごく嬉しくて、幸せな気持ちになった気がする……けど――)


 あれは、誰と――。


「私も、ネクタリンを使うとは聞いていたけど、何のデザートかまでは知らなかったから楽しみだわ。うーさんの作るデザート、大好きだもの」

 アウローラの、柔らかくて甘い、声と言葉が聞こえてきて、沈みかけた思考が一気に戻る。

 彼女を見ると、オーンドカルムの方へ向かって、無邪気さと可愛らしさを併せ持った笑顔を向けていた。

(か、可愛い~~っ! きゅんきゅんする~~っ)

 声に出してしまいそうなところをぐっと堪え、心の中で叫ぶ。

 誤って声を出さないように、急いで口元を両手で塞いだ。

 同性であるメルツが見ても、大変魅力的なアウローラの表情。声からも、本当に好きなのだという気持ちが伝わってくる。

 これを見てしまえば、万人が、再びこの笑顔を見るために努力し、恋に落ちてしまうのではないか、と思えてしまう。

(市場でも男の人が、『彼女の笑顔に一目惚れした』って言っていたものね。あたしも、きっと男性だったら惚れて……いえ、それは無いわね。女神様級の美女に恋するあたしとか、想像できないわ。多分、崇拝が正しいわね)

 自身の見解に心の中で頷きつつ、アウローラの視線の先、オーンドカルムの方へ視線を向ける。

(あ、固まっているわ)

 余程の衝撃を受けたのか、彼は、目を見開いて固まっている。

 普段は糸目でわからない瞳もしっかり見えており、その色は、アウローラのピアスと同じ――藍色のような紫色のような――色だった。

 すぐに、はっとしたような様子を見せたオーンドカルムは、瞬く間に普段の表情へ戻った。

 そして、真剣さを帯びる口調で、

「アウラ、そのまま楽しみに待っていて下さい。最高のデザートを作りますから」

 と告げ、調理に集中し始めた。

 ……恐らく、アウローラのひと言で火が付いたのだろう。気迫がすごい。

「ええ、楽しみに待っているわ」

 アウローラは、微笑みながらオーンドカルムへ返事をして、それからメルツの方へ向き直った。

 慌てて、口元を覆っていた手を離す。

「私たちは、のんびりデザートを待ちましょうか」

 彼女の、言葉通りのんびりした口調で告げられた言葉に、

「はい!」

 と、メルツは元気よく返事をして……、ふと思い出す。

(お腹が満たされて忘れかけていたわ! 報告しないと!)

 今日、メルツがこのカフェを訪れた目的は、事の顛末を報告するためだ。

 それを忘れかけるとは、本末転倒となるところだった。

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