第五章 第五節 遠くに、光が見える

 メルツは、男性騎士と話している院長を見つけ、傍へ向かった。

 普段なら進んで近づくことはないが、今回は別だ。

 男性騎士は、近づいてきたメルツに気づくと、

「事情聴取があるため、手短にお願いします」

 と、堅い声でそう言って、少し離れた――会話の邪魔はしないが、声は聞こえ、すぐに動ける――位置に移動した。

 騎士団にとって、院長は重要人物らしい。

 前々から、接触したいと考えていたが、躱され続けていたそうだ。

 そのため、今回は逃がさないようにするためか、周囲から、こちらの動きを観察しているような視線を感じる。

(まあ、あたしからすれば大助かりだけれどね。これで、迂闊なことはできないはずよ)

 メルツにとって、騎士の存在は大きい。

 傍に居て、何かあれば間に入ってくれる。この安心感がすごい。

 メルツは、実際に暴力を振るわれる局面になると、身体が全く反応しなくなり、動けなくなる、という明確な弱点を抱えている。それを補う形となる騎士は、メルツからすると、最高の相棒を手に入れたようなものだ。

(……あと、あたしが近づいてから、何故かずっと居心地悪そうにしているのよね……。何故?)

 メルツへ近づくことを避けている件含め、院長が、そのような態度を取る原因が、メルツには全く思い当たらない。

 ……しかし、これは、一気に畳み掛けるチャンス、とも捉えられるのではないだろうか。いつもの皮肉気な笑みを携えた彼よりも、隙があるように見える。

 心を落ち着け、冷静に。騎士の方々も控えているのだから、大丈夫。

 自分にそう言い聞かせ、

「――院長。言われた通り、ピュリファイアになりました。そして、明日は誕生日のため、ここを出ていきます。今まで、お世話になりました」

 緊張で、声が震えそうになりながらも、何とか平静を保って、言いたいことを伝える。

 騎士が傍に居ると分かっていても、やはり顔を見ると、恐怖がじわじわ迫り上がってくる。

「騎士団へ入団する話は? 忘れたわけではないだろうな?」

「院長は『ピュリファイアになれ』と仰いましたが、『騎士団へ入れ』とは伺っておりません。ですので、騎士団へ入る予定は、ありません」

 言葉を崩さないように意識しつつ、相手に呑まれないよう気をつける。

 自分をしっかりと保つために、マントの下に隠れている手で、パーカーワンピースの生地をぎゅっと握り締めた。

「はあ……。今まで世話をしてやったというのに、なんと恩知らずに育ったのか。仕方がない。孤児院の規則では、十六歳で出ることになってはいるが……。特別だ」

 一呼吸置いて、院長が再び口を開く。


「――この私が、教育し直してやろう」


 その言葉を聞いた直後、脳裏に、見覚えのない景色が映る。


 暗い部屋。

 子どもたちの悲鳴。

 血の匂いと味。

 身体の痛み。

 冷たい床の感触。


 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ。

 お願い、やめて……。


 思考が、恐怖で塗り潰されていく。

 成す術もないまま、眼前に迫る恐ろしい、手――。


『どんな困難が自分の前に立ち塞がっても、忍耐と前向きさを持っていれば、きっと光は見えてくるわ』


 迫りくる手が、ぼろぼろと崩れていく。

 遠くに、光が見える。


 ――優しい女の人の声だった。

 ――大切な女の人の声だった。

 ――忘れてはいけない人の声だった。


 光に包まれ、全てが溶けていく――。


(あ……れ……? あたし……?)

 一瞬、自分が何をしていたのかわからなくなった。だが、すぐさま直前の会話を思い出し、返事をする。

「申し訳ありませんが、その申し出を受けることはできません。確かに、ここまで生きてこられたのは、この孤児院のおかげです。それは感謝しています。でも、その恩はこれまでの生活で返してきたはずです。そして、ピュリファイアの資格も取得しました。孤児院を守るために浄化も行いました。――あのまま穢れを放っておけば、ここが更なる危険に晒されたことは院長もお分かりのはず。騎士の皆様に協力を仰ぎ、魔物がここを荒らすことも未然に防ぎました。……これでもまだ、『恩返し』には足りませんか?」

「…………」

 院長へ、反論の余地を与えないように畳み掛ける。

 このような話し方を彼にはしたことがなかったため、冷や汗が止まらない。心臓もばくばくだ。

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