第五章 第二節 新しい一歩を踏み出す時だ

「――本物だろうな?」

「はい。確認されますか?」

「いや、必要ない。それよりも、早く銀バッジになるように」

「かしこまりました」

 掲げていた手を下げ、圧を感じる声音に対し、冷静に言葉を返していく。

(……やっぱり、反応が変ね。普段なら、バッジを奪われて確認されるところなのに)

 取り繕っているだけであれば、バッジの確認はされるはずだ。しかし彼は、メルツの申し出を断った。

 その様子はまるで、メルツへ近づくことを避けているようで……。

 ――そして、驚くことに、ここまで『彼女』の読み通りだ。

 事前に、院長はメルツへ近づくことを避けるだろう、という話は聞いていた。

 そのときは、まさか、と思っていたが、本当に、その通りになるとは。

 残念ながら、理由を教えてもらうことはできなかった。

 きっと、メルツに教えることで、計画に支障が出る可能性があるのだろう。

 必要なことであれば、きちんとこちらが理解するまで教えてくれる。彼女は、そういう人だ。

 だから、今、メルツが意識を割くべきは、そちらでなく――。

 素早く、シュヴーを盗み見る。

 彼は、未だ微動だにしない。

 メルツは、軽く深呼吸をして気持ちを整える。


(さあ、ここからが本番。気合入れていくわよ!)


 もう、我慢して、顔色を窺って過ごすのは終わり。新しい一歩を踏み出す時だ。

「申し訳ありません、院長。シュヴーと少し、お話してもよろしいでしょうか?」

「――ああ、構わない。だが、夜も遅いからな。敷地内ではあるが、安全のために私も居させてもらうぞ」

「もちろんです。お気遣い、ありがとうございます」

 院長用の言葉遣いを崩さないように応答し、きっちりと頭を下げる。

 ここで気持ちが逸り、院長の反感を買ってしまえば、この後の流れに影響が出てしまうかもしれない。慎重に、丁寧に対応する。

 そして、院長が何も言わないことを確認してから、メルツは、シュヴーの方へ視線を向けた。

「僕に話ってなんだい? ああ、そうそう。僕も君が帰ってこないと聞いて、とても心配していたんだ」

 まるで、先手を取るかのように、シュヴーが話し出した。

 先ほどまで俯いていた顔は、しっかりとこちらを向いており、安堵したような表情を貼り付けている。

 かけられた言葉は、表面上、心配しているようなものだが、その口調は大仰で、こちらを煽っているようにも感じられる。――院長がいるため、メルツに対しては標準仕様の、不機嫌さや苛立った様子は鳴りを潜めていた。

 院長の言葉から察してはいたが、予想通り、森へ行かせたことなどは話していないようだ。

「心配ありがとう。あたし、あんたに言われた通り、シュルマの森へ行ったわ。そこで、魔物に襲われたの」

「ええっ! 大丈夫だったのかい? 無事で本当に良かったよ。でも、僕は森へ行くようなお願いはしてないんだけど……。またメルツは、いつもの勘違いをしちゃったのかな? だめだよ。人の話はきちんと聞かないと」

 シュヴーは、大げさに驚いた後、こちらを思いやるような言葉を口にしつつも、メルツの発言に対して異を唱えた。

(~~~~~~っ! 腹立つ~~っ! 認めるわけがないってわかってはいたけれど!)

 安い挑発に乗ってはいけない、と思いつつも、苛立つものは苛立つ。

 しかし、ここで台無しにするわけにはいかない。

 メルツは、両手をぎゅっと握って、怒りをぐっと飲み込み、平静を装って言葉を返す。――左手にバッジがめり込んで痛むが、今はそれが、怒りを紛らわせるのにちょうど良い。煽りの言葉は、自分の中で聞かなかったことにした。

「幸い、親切な人に助けてもらえたの。だから、ここに居るんだけれど。そのとき気づいたのよ。シュルマの森から出ている黒い靄と、あんたの身体の周りに纏わりついている靄が、一緒なことに。つまり、――あんたが穢れているってことに」

「聞こえなかった」などと言われないように、ハッキリと言葉を紡ぐ。

 また、少しの反応も見逃さないように、シュヴーへ意識を傾けることも忘れない。

「ふふっ。面白い冗談だね、メルツ。でも、僕がいくら寛容でも、それを受け入れるわけにはいかないなあ」

「冗談じゃないわよ。銅のバッジが証。まだ見習いだけれど、ピュリファイアになったのよ?そんな嘘は吐かないわ。――で、そのズボンの、左ポケットの中に入っている物を、出してくれる?」

「左ポケット? どうして君に見せないといけないんだい?」

 シュヴーが、嘲るように言う。余裕のある声色だ。

 メルツは、気持ちを落ち着けるように、軽く深呼吸をした。

 そして、言い逃れができないようにするための、最重要キーワードを口に出す。

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