第四章 第四節 甘くて、温かくて、ほっとする味が広がった

「……こちらこそ、起きた直後に居なくて申し訳ないことをしたわ。見知らぬ場所で驚いただろうし、怖かったでしょう」

 アウローラのしゅんとした表情を見て、メルツは焦る。

「――っ、その、正直、誘拐されたのかな、とは疑いました。あまり見かけない内装だったので、異国に連れ去られたのかな……とか。ただ、その後、アウローラさんが助けてくれたことを思い出したのでっ! だから、大丈夫です!」

 元気づけたい一心で、気持ちを言葉に乗せる。

 アウローラには、笑っていてほしい。「気にしないで」という想いは、上手く伝わっただろうか。

「――ありがとう。メルツちゃんは優しいわね」

 彼女はそう言って、柔らかく微笑んだ。

 どうやら、メルツの気持ちは伝わったようだ。

「……それに、物事を観察して考えることもできている。そういった力を伸ばしていけば、きっとこの先も、それらがメルツちゃんの助けになるわ」

 メルツは、褒められたように感じ、むず痒さを覚えた。

 思わず顔を伏せる。

 このような言葉をかけてもらうことは滅多にないため、どうしていいかわからなくなる。

「メルツちゃんの言う通り、このカフェの内装は異国のものよ。うーさん……、オーンドカルムの生まれた地域は、こういった意匠が多いの」

 オーンドカルムは『うーさん』と呼ばれているのか、『うーさん』要素はどこに……、などと思いつつ、伏せていた顔を上げ、件の人物に視線を向ける。

 すると、いつの間にか、その手には白いカップとピンク色のソーサーが。

 それを、メルツの前――ローテーブルの上に置く。

「これは……?」

「これは、ココアという飲み物です。浮かんでいるのはマシュマロという菓子で、甘くて、心が落ち着くと思いますよ」

 オーンドカルムの説明を聞いて、メルツの視線はココアへ釘付けになる。

(これが、女の子たちが話していた『ココア』なのね。……甘くて、いい香りがするわ。『マシュマロ』も、名前は聞いたことがあるけれど……。どんな味がするのか、楽しみだわ)

 普段の生活では、決して飲むことができない物。ゆっくり、味わって、大切に飲まなくては。

 カップを手に取り、そっと口をつける。

 口内に、甘くて、温かくて、ほっとする味が広がった。

 とても、美味しく感じる。

「すごく、――美味しいです」

 言葉を発すると同時に、胸が苦しくなる。息が詰まって、呼吸がしづらく感じる。目が潤んできて、目の前がだんだん、ぼやけていく。

「あれ……? なんで、あたし……。すみません、すぐ涙を止めるのでっ」

 カップをソーサーへ戻し、慌てて涙を手のひらで拭う。

 しかし、涙は止まらない。

(泣いちゃ……だめ。鬱陶しいって思われる。泣くのくらい我慢できるでしょ、あたし。いつも、そうしてきたんだから)

 自分へ言い聞かせるように語り掛ける。いつも、そうして耐えてきた。

 ふと、左隣りに気配を感じた。

「メルツちゃん。無理に涙を止める必要はないわ。ここに、あなたを傷つける者はいない。我慢する必要はないの」

 アウローラの、温かくて柔らかい、穏やかな声が耳に届く。


 ――本当に?

 ――本当に、我慢する必要はない?


「あなたの心と体が、涙を必要としている。それに抗う必要はないわ。……普段、涙を流せないのなら、ここで思い切り、泣いていきなさい」

 そう言ってアウローラは、メルツを優しく抱きしめ、ゆっくりと頭を撫でた。


 ――もう、だめだ。限界だ。

 ――我慢、できない。


 耳に届く穏やかな声音から、柔らかくて温かい身体から、丁寧な手つきで撫でる手のひらから、彼女の優しさが伝わってくる。

(――怖かった。もう、だめだと思った)

 今になって、恐怖が身体を這い上がってくる。

 殺されそうになったこと、助けられたこと、これまでの孤児院での生活。様々な出来事や想いが、感情を掻き乱し、制御できない。

 優しく撫でる手に促されるように、メルツは、思い切り泣いた。

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