第二章 第四節 結果が同じなら、痛くない方を選びたい

(……って、だめだめあたし、雰囲気に吞まれるな!)

 すぐさま自身を叱咤し、一瞬吞まれかけた思考を、無理矢理引き戻す。

 これは彼の常套手段。恐怖で相手を支配し、自身の思い通りにことを運ばせる。院長とも似た手法だ。

 何故恐怖を感じるのかはわからない。彼の独特な――得体の知れない雰囲気が、そうさせるのだろうか。

(もう、考えてもわからないことは置いておくしかないわ。――断るって選択肢もなしね。この感じ、断ったら、気絶でもなんでもさせて森へ連れて行かれるかも。なら、まだ自主的に行って帰ってくる方がマシだわ)

 結果が同じなら、痛くない方を選びたい。それに、顔を見られるのはまずい。

(それに、今回のこれに付き合いさえすれば、誕生日は目前。この先どうするにしたって、本来なら、誕生日以降は院と関わりなく生きていくことになっていたわけだから、それを理由に、当分は逃げられるはずよ)

 つまり、今回我慢すれば、束の間の安息が得られるということだ。きっと、その理由も通じなくなる日は来るだろうが、それまでの間に、シュヴーの嫌がらせや暴力から縁遠くなるように動けばいい。孤児院の中では、断る術を得ることはできなかったが、外としっかり関われるようになれば、何かしらの対応策も見つかるはずだ。

 メルツは覚悟を決めて、シュヴーへ伝わるように、しっかりと頷きを返した。

「……まあ、反応が遅かったことは大目に見てあげるよ。さあ、グズグズしていないで、さっさと向かいなよ」

 傲慢な言葉が聞こえたかと思えば、その後続いた話に衝撃を受ける。

(今から行かせるつもり⁉ って、そうか、お昼を食べさせないつもりね。やられたわ……)

 まんまと、シュヴーの思い通りになってしまった。

 仮に、「お昼を食べてから」と主張したとして、これまでの経験から、それによって更に不利な状況を招く可能性が高いと考えられる。その上、もし、運悪くフードが取れでもしたら……、状況悪化待ったなしだ。それは避けたい。

 ここは、大人しく言うことを聞くのが得策だろう。

 メルツは、再度了承の意を頷きで示し、シュヴーへ背を向け歩き出す。

 メルツを森へ向かわせたい、という点と、上機嫌な様子、という点から、シュヴーが背後から殴りかかってくることは、いくらなんでもないだろう。

(とにかく、穢れを万一にでも孤児院内へ持ち込むわけにはいかないわ。森付近へ行って、確かすぐ傍に、アドラシオンが咲いているはずだから、それを取って証明にするのが良さそうね。森の魔物は日中、基本的に外へは出ないそうだし、急いで行って戻れば大丈夫よね)

 孤児院の門へ向かいながら、この後の算段を立てる。

 アドラシオンは、紫に近い淡いピンクの花びらを持つのが特徴の花で、シュルマの森の外側に少し分布しており、年中咲いていることで知られている。

 であれば、森へ行った証明として十分だろう。

(で、晩こそはご飯を手に入れるのよ! さっさと花を渡して、その時に用事を言いつけられないようにしないといけないわ)

 難易度が高そうだ……、と思いつつも、だがやるしかない、と意気込む。

 ただ、一応、帰り道で野草などの食べられる物も探した方が良いかもしれない。シュヴーを出し抜く難しさは、身に染みて理解している。

(……そういえば、さっきシュヴーのズボンが見えたけれど、周りに薄っすら黒い靄が見えたような? 特に、ズボンのポケット辺りが、他より濃かったような気がするけど……)

 背を向けた際、たまたま視界に入った彼のズボン。それを覆うような形で見えた、靄。あれは一体何だったのか。これまで見たことは無かったはずだ。

 靄について考えながら歩いていると、狭い視界に門が映った。

(考え事は後。まずは花を見つけて、手に入れることに集中よ)

 思考を巡らせている間に目的が疎かになれば、本末転倒だ。まずは、目の前のことに集中すべきであり、そのためには、悪癖が出ないように気を付けなければならない。

 軽く深呼吸をして、意識を切り替える。

「よし」

 そう小さく呟いて気合いを入れ、メルツは門の外へ足を踏み出した。

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