第二章 第二節 あまり猶予はない
メルツを前にした彼は、大抵が不機嫌だ。表情も、こちらを蔑んだようなものや、苛立ったものが多い。
(なんでそんな表情を向けられているのか、さっぱりわからないけれど。優等生モードのときの、あのニコニコした表情はどこへ行ったのか……。落差がすごいわ)
オフブラックのミディアムヘアに、少し目にかかる長さの前髪。そこから覗く、髪と同色の瞳は、メルツの姿を映すとき、一際冷たい光を宿す。
身長は、メルツが少し見上げるくらいで、細身で華奢な印象だ。その身体を包むのは、教会の人が着ている立襟の祭服に似たデザインの、セットアップの黒い服。靴も黒色のため、彼自身が持つ色も含めて、全身真っ黒という出で立ちだ。その姿を見ていると、そのまま闇に溶け込んでしまいそうに思える。
そんなシュヴーとメルツは、約半年くらい誕生日が離れている、孤児院の最年長組だ。といっても、院内で最年長として扱われているのはシュヴーだけで、その彼よりも誕生日が早いメルツは、完全に小間使い状態。環境と待遇が、天と地ほど離れている。
いつからそうなったのかは覚えておらず、原因もわからず。気がついたときには、シュヴーが蔑んだような表情でこちらを見るようになり、周囲もそれに倣うような態度を取り始めた。そうして、院内での扱いが悪化していき、今のような状況になった。
状況の打開を試みていた時期もあったが、全て徒労に終わり――いや、寧ろ悪化していった。
そうした経験を基に出した結論は、『顔色を窺って適切だと思われる対応を行う』というものだ。
心底嫌だが、孤児院での生活には終わりがある。それまでの間、出来るだけ暴力を回避して耐えれば良い、と考えていた。――メルツがスキルに目覚めた影響で、ここにきて更なる事態の悪化を迎えてしまったが。
(やっぱり、シュヴーのことはよくわからないわね。機嫌が良い理由もさっぱりだし。ただ、あたしにとっては、あんまり良いことじゃなさそうよね……)
心がざわつく様な、嫌な感じがして、フードの下の表情が緊張や不安で強張るのを感じた。
(……リラックス、リラックスよ、あたし。落ち着いて。これを乗り切って部屋へ戻る。で、その後、何としてでも昼食をゲットするのよ)
メルツは、鼓舞するように自身の心へと語り掛けた。
メルツにとって、この場を乗り切ることはとても大切だ。そして、それと同じくらい、昼食を手に入れることもまた、重要な事柄だ。
これまでは、まだ辛うじて食事が出されていた――といっても、他の子たちと比べてまともな食べ物とは言い難かった上、圧倒的に量も足りなかった――が、いよいよ、それも無くなりそうな状況に陥っている。恐らく、シュヴーが手を回したのだろう。
今朝、買い出しから戻りキッチンへ行った際、そのまますぐに別の用事を言いつけられた。終わらせて、朝食を食べようとしたときには、既にメルツの分は無くなっていた。
ここで確信した。シュヴーは、メルツを更なる飢餓状態に追い込む気なのだろう。……もしかすると、今回の呼び出しがこのタイミングであるのも、わざとかもしれない。
そして、彼の狙い通り、メルツは今、酷い空腹感を抱えている。
思い返すと、殴られた後からは、自身の顔を見てショックを受けていたためか、そちらに気を取られ、空腹感や夕食の存在を忘れてしまっていた。そのため、市場で買い出し中も、何とも思わなかった。
しかし、治してもらった今、飢えに意識が向いてしまい、昨晩から何も口にできていないことも相俟って、いつもよりお腹が減っているように感じる。仮に、野草などを食べて凌ぐとしても、この状況が続けば流石にまずいだろう。
嫌がらせも、ここまでくると、本気で餓死させようとしているのでは、と思えてくる。人より色々と丈夫なメルツの身体でも、耐えられる限界は存在しているはずだ。
(今後どうするにせよ、肝心なときに動けないのが一番まずいわ。これより下の状況なんてない……と思いたいけど、油断は禁物。食事は重要ミッションよ。食べるタイミングで姿を見せれば、流石に出さないわけにはいかないはず。言い訳の余地がないもの。……あとは、今後についてどうするか、早く決めてしまわないと)
誕生日まで、あと一日半程度。あまり猶予はない。
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