第一章 第十節 必ずカフェへ行って恩を返さなければ

(まずい、買い出しで来ていたこと、すっかり忘れていたわ! 急いで帰らないと!)

 心の中が焦りで満たされる。

 メルツは慌てて、ベンチに置いていた買い物袋を左腕に下げ、立ち上がり、アウローラの方へ向き直る。

「すみません! あの、あたし、買い出しで来ていたことすっかり忘れていて、急いで帰らないといけないんです! ものすごく偽装魔法は見たかったんですけど……。うう……、時間がないので、帰ります」

 焦燥感に引っ張られ、口調が早くなる。けれども、どうしても後ろ髪を引かれてしまい、最後の方は言葉を絞り出す形になってしまった。

 心の底から見たかった、という内なる声が聞こえてくる。しかし、それを優先させるわけにはいかない。仕方がないことだ、と無理矢理自分に言い聞かせていく。

 メルツは、頭を振ることで惜しむ気持ちを振り払い、自分を納得させるように一つ頷いた。

「私も、時間に気を配っていればよかったわね。怪我については大丈夫かしら?」

「フードを被って、上手く誤魔化します!」

 アウローラは、立ち上がりながら、申し訳なさそうな表情でメルツに尋ねる。口調も少しだけ早口だ。

 それに対し、メルツも素早く答える。

 誤魔化せるか、についてだが、恐らくフードを深く被って喋れないふりをしていれば、乗り切れるように思う。――否、乗り切るしかない。

 幸い、今朝、怪我を見られた際に誰とも話してはいない。そのため、怪我で話せない、ということにしても不自然ではないはずだ。孤児院内でフードを外さない理由も、怪我を周囲の目に晒さないため、ということにして、そういった素振りをしておけばいい。

「わかったわ。では、最後にこれを」

 アウローラが、四角い何かを差し出す。

「それは私の名刺よ。何か相談したいことや話したいことがあったら、ここへいらっしゃい」

 逸る気持ちを抑え、メルツはそれを受け取る。

 手のひらくらいの大きさのしっかりとした紙で、縦に短く横に長い形だ。その上部には、ピンク色の美しい花を咲かせることで有名なスリジエの花びらが、下部には、水面が描かれている。文字も書かれており、彼女の名前が載っている。

 そのことなどから、名刺とは、たまに道に落ちているのを見かける、お店のカードの個人版、みたいなものなのだろう。

 メルツは、受け取った名刺を失くさないように、パーカーワンピースのポケットへしまった。

「わかりました。本当に色々とありがとうございます! この恩は必ず返します!」

 はっきりと礼を述べ、勢いよくお辞儀をする。

 どのタイミングで行けるかはわからないが、必ずカフェへ行って恩を返さなければ、とメルツは肝に銘じる。

「いいのよ、私がしたくてしたことだから。恩だなんて思わなくても大丈夫」

 アウローラは、優しい口調で話しながら、お辞儀の際にずれたメルツのフードを整えた。

 その後、フードの上から頭を軽く撫で、

「……さあ、転ばないように気をつけて。また会いましょう」

 そう言って、メルツの顔を覗き込み、視線を合わせて優しく微笑む。

 その極上の微笑みを目に焼き付けつつ、

「はい!」

 と、メルツは笑顔で、元気よく返事をし、アウローラへ背を向けて駆け出した。

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