第16幕.『ふたりはともだち』

「……支配人は、いるか?」


 真夜中の繁華街、闇街の支配人が運営する高級キャバレーに見慣れない客が現れた。「ムーラン・ルージュ」は初見の客は入れない高級店である。その上に経営者である支配人が居るかどうかを尋ねた背の高い男は、ダークスーツと同じ色のソフト帽に纏めた髪をしまいこんで、目深にかぶった帽子の庇の下で怠そうに煙草をふかしていた。店に不審者が入れないように見張っている犯罪組織出向の黒服に物怖じすることもなく、しれっとして質問する口ぶりからは、短い質問であるにもかかわらず、滲む気迫があった。影の落ちる彫り深い目元には、青紫と黒のアイシャドウがぎらぎらしていた。鋭い囲み目の中で、限りなく色素がない青い瞳が、じろりと黒服たちを見る。


「一見の客はお断りしています」


 得体の知れない者を通すわけにはいかないので、黒服は形式上の断りを入れた。するとダークスーツの男は黒のエナメルが光る指先で煙草を取った。不満げに片眉を持ち上げる。


「一見はお断りか。参ったな、俺は呼ばれたんだぞ」

「お引き取りください」

「……」


 得体の知れない大柄な男は、何が面白いのか口元だけで笑っていた。青黒いルージュが引かれた薄い唇が、不気味だった。男は動かない。

 黒服たちが困り始めて武力行使を考え始める頃だった。店の正面から、破面と口だけを隠すガスマスクをつけた、黒いスーツの上に白い外套を羽織った大柄で細身の男が現れて、黒服たちはその男の登場に慌てて姿勢を正した。


「支配人!」


 破面の男は喉に装備された拡声器から、ざりざりと不気味な音で言葉を作る。


「社長を、お通しして」


 黒服たちは弾かれたようにかしこまって返事をした。ダークスーツの化粧男は店にとっては一見でも、この奇妙な権力者にとっては知った顔だったのである。

 黒服たちの困惑を愉快げに笑いながら、社長こと「魔術師」は闇街の支配人の肩にふざけて腕を乗せた。


「何だよお前、その格好」

「ただの役作りみたいなものさ」


 VIPルームに通された魔術師は、支配人に続いて部屋に入ろうとして、立ち止まった。支配人は何てことはない部屋として通過したのであるが、部屋の内部が見えるにもかかわらず、透明な壁が存在するかのように、魔術師の靴先が部屋の入口でこつんと見えない何かに衝突したのである。先に席についた支配人は笑っている。


「おい、入れねえぞ。何だよこれ。まさか此処も非現実なのか?」

「その部屋に入口まではちゃんとした現実だよ。この部屋の中はもう違うけれどね……どうぞ、入って」


 魔術師を招いて、支配人は破面とマスク、それから喉につけていた拡声器を外した。そこにあったのは、麗人の美貌である。麗人が誘う言葉を投げかけると、見えない壁は何もなかったかのように消失した。魔術師は溜め息をついた。


「何なの?」

「此処には、僕に招かれないと入れないようになっているの」

「招かれないと入れない……吸血鬼かよ」

「まあお座りよ」


 麗人は魔術師に着席を促しながら、用意してあったティーカップに飲み物を注いだ。魔術師はほとんど促される前に高級な革張りのソファーに腰を下ろしている。麗人白い陶器のカップに注いだのは赤黒い液体だった。ワインにしては色が濃く、血液にしては黒み足りない赤みだった。魔術師は苦笑を否めない。


「何これ、血?」

「ううん、違うよ。アプリコットティー、濃い目に淹れた紅茶に合わせてるの」

「血じゃねえか、吸血鬼かよ」

「まあお飲みよ」


 魔術師は纏めていた髪を押し込んでいた帽子を取った。激しくうねる銀色の長い髪、ふわりと波を描く癖毛が、空気を含みながら腰まで落ちる。青黒い紅の引かれた薄い唇をカップにつけると、えげつないほど赤い液体を一口含む。こぼれたのは失笑である。


「……紅茶だな」

「美味しいでしょ?」


 麗人はソファーに背を預けて、毒々しい紅茶を呷った。唇の端から、まるで血が滴るように雫が溢れる。魔術師はそっけなく麗人を笑う。


「吸血鬼じゃねえか」

「そうかな」

「ああ、本物の吸血鬼よりずっと不気味で似合ってるぜ。写真撮りたいくらいだ」

「はははは」


 麗人は口元を豪快に拭ってから、藪から棒に呟いた。


「ジャン、お前はいい奴だよ」

「俺が? 俺がいい奴になれんなら、お前もいい奴だぞ。俺が保証する」

「有り難う、兄弟」

「王子は結論がねえからなあ。そこが楽しいんだ」

「フフフ、ジャンは優しいね。僕みたいな存在をいい奴だと言うんだもの」


 魔術師は美しく微笑んでいる麗人を見据えて、切れ長の青い目を強気な光で煌めかせた。眼光だけで風を切るような色素の薄い深淵は、美しくぼかされた青黒い闇の中心で不敵に笑っている。飄逸とした独特の視線、その目に見つめられたら、心がざわつくような強気が漂う。魔術師は、力を入れずに力の表現をする。


「ジャンは優しいよ」


 麗人が繰り返すと、魔術師は黒い煙草ケースをスーツのポケットから出した。底を軽く叩いて一本だけ出てきた煙草を咥えると、先端にひとりでに炎が灯った。昇り始めた紫煙は、青紫色の薔薇の花びらとなって、VIPルームの天井に蟠る。魔術師は倦んだ格好よさを煙と共に漂わせながら、怠そうに笑った。


「そ、俺はこう見えて優しいし、一途なんだぞ」


 麗人はくすりと笑った。魔術師は脱力したように笑った。麗人も魔術師も、変わっていない自分たちを確かめ合ったのだった。


「ジャンってさ、外見でかなり損してるよね。化粧してない顔の方がお前は格好いいのに」

「はっ、よく言うぜ。俺は化粧した顔の方が気に入ってんの……それに、外見で損してるのは王子も同じだろうが。お前は、お美しさが過ぎる」

「あははは、参ったな。僕ってほら、美しいんだけれど、結構不便なんだよね」

「お前が言うともう嫌味にもならねえよ」


 すっかり景色との一部となっていた血液色の紅茶を気にすることを忘れて啜りながら、魔術師は本題に入らない麗人に尋ねた。


「つーか、呼んだのはお前だろうが。何の話だよ」


 麗人は魔術師の質問に答えた。美貌にはまるで悪意はないが、魔術師はげんなりして短い眉の眉根を寄せることとなる。


「お前と、楽しくて悪い話をうだうだ喋りたかったの」

「は? そんな理由?」


 麗人は繊細な指先をそっと唇に乗せて、悪戯が成功したとでも言いたげに長い睫毛を伏せていた。話があると、麗人にただそれだけを言われていた魔術師は、全身から力が抜け去ったかのように、横並びに座っている麗人の肩にに倒れ込んだ。魔術師は麗人のそんな言葉だけで、拠点である水の都から遠い、麗人の拠点である「魔都」花の都までわざわざ来たのである。召喚された理由に納得がいかないのか、魔術師は溜め息に苦みのこもった嘆きを乗せる。


「俺、都合よすぎじゃねえか」

「一途なんでしょ?」


 麗人と魔術師は互いの顔を見合わせて、どっと笑った。互いの美貌に宿る強さと鋭さを、互いに認め合いながら。十代を分かち合った悪友は、過去に戻ることなく未来に想いを馳せることもせず、互いの悪の貫禄に酔いしれていたのだった。あの頃に大人ぶって飲んでいた酒が、今では仕事という名目で会う時は紅茶になっている。麗人にも魔術師にも、格好をつける必要がなかったのだ。

 今ふざけ合っていても、ひとたび世界が敵意に満ちたものになろうものなら、麗人と魔術師の血を交わした永遠は悪しき世界の意志さえ壊せるほど強かった。

 歪めたくない現実と、結論のない会話。それでも交わした言葉と時間、混ぜ合わせた血はいつだって、危険な友愛のためだけに灼熱を放つ燦然となるのである。

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