第15幕.『恍惚の旋律』

 不穏の始まりのようなピアノの音色が、影のひしめき合う箱状の世界に響いていた。集まっていた影たちは、息を殺してピアノの音を追いかけるように、耳を傾けている。天井から、空気を切り裂く白い光が射られたのはそのときで、硝子細工のように繊細な、芸術品と言っていい均整と造形の美しい指先が、鋭く照らされる。ピアノの鍵盤から、そっと離れる指先──不穏で激しい電子音が瞬くと共に、ピアノを囲っていた『薔薇に毒された骸骨たち』がそれぞれの楽器から激音を奏でる。荊が巻きついていたマイクスタンドに鮮やかに青い薔薇が咲き乱れると、手元だけを照らされていた序章を奏でたピアノを隠す暗闇から麗人薔薇柩が現れる。薔薇が咲くマイクスタンドの元へおもむろに近づくと、艶かしい指先でマイクに触れた。薄い唇が、妖美に囁く。

「僕と一緒に──ついておいで」

 妖艶な台詞がが前奏に包まれて、集まっていた影の群れは力強い歓声を上げた。麗人の背後に控える薔薇に侵された骸骨たちの演奏が徐々に強い旋律に揺れ動き、世界の密度に熱がこもる。サーチライトが赤光を放って、薔薇窓を叩き割る背徳と冒瀆が炸裂する。麗人は激情を咆哮に込めた。死神を無惨に殺す力を持つ絶唱だった。麗人が叫ぶと共に、火柱が高々と噴き上がる。炎に包まれた熱狂に興奮の臨界が早くも近い。集まっていた影の群れは『自由を捨てた者たち』だった。麗人の歌に薔薇を捧げ掲げ、一緒に叫ぶことで命を燃やしていた。麗人が歌う破壊の旋律に合わせて拳を振り上げ、壊滅を奏でる禍々しい気迫に従いたくて飢えていた。

 歌が途切れる時間のメロディーは、舞台上の麗人に捧げられる薔薇が奏でていた。服従者たちは麗人への信仰を示したい一心で、炎が回る舞台に薔薇を投げ込んでいた。激情のままに腕に委ねた崇拝を掲げて、歌のない爆音の狭間にも拳を振り上げる。戦慄の激しさと激しさの隙間で、麗人は乾いた唇をちろりと横に舐める。柔らかな動きの指先が、舞台の下で熱狂する服従者たちに向かって妖しく誘い蠢いた。麗人の妖艶なる一挙一動に、美と熱狂を煽る才覚に惑わされた者たちは歓声を上げ続ける。

 此処は鎖された薔薇の城だった。熱狂と激情がせめぎ合いながら、革命の風を嵐に変えて吹き荒れていた。そこにいるのは麗人という舞台上の暴君である神、そして心酔に何もかも奪い剥がされて累々と重なる殉教者の群れだった。自由にも彷徨うことにも疲弊した子羊たちは、自由の鎖を噛み切った。麗人の歌声に暴れながら拳を高く挙げて叫びを放つ。そして薔薇を麗人の立つ舞台に投げ込む。麗人は獰猛な羊たちを破壊の歌と妖艶な声、そして美という主観的体験かつ客観的事実の魔術で調教し、薔薇色の恍惚を与え続けた。自由に疲弊し、草臥れて従うべき存在を探す羊たちに、破滅を歌を歌い続けた。それは黙示録の世界だった。恍惚を振り撒き、忘却を与え、薔薇色の幻を操り、快楽の尾ひれで羊たち弄ぶ。

 麗人は手の中で燃え上がる薔薇を掲げた。最後の一音節が爆音で弾けると、火柱の柱廊を青い薔薇の花びらが悪意を巻いて舞い上がった。


「幸せのことを、今は忘れてくれないか!!」


 麗人は不敵な美貌を満足げに綻ばせて、恍惚に溶ける羊の影々に叫んだ。悲しみと寂しさの隙間に走る激震、自由に疲れた羊たちは、麗人という魔性の羊飼いを祀り上げて、声高らかに恍惚の叫びで応えたのだった。

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