第7匹 信じてみたかった。
晴天の空の下、大地を裂いた亀裂が南北に走る。
切り立った渓谷の底は深く、雲に似たモヤが微かに立ち込めていた。
そこを縫うように飛ぶのは、翼を持つ魔物。鋭く伸びた
谷底から吹き上げてくる風が冷たい。わたしは隣国の聖女二人と共に、大きなマントに隠れながら、岩陰から下を見下ろした。
ナイラコウ渓谷。バース大陸と魔境シキョクの境目だ。
光の届かない谷底には、流れが激しいながら栄養素を多く含んだ川と、それに恩恵を受ける等級の高い魔物が蔓延っている。
中でも巨大な淡水魚を模した魔物が、上流から下流まで複数体確認されていて、資源を手に入れようとした先遣隊に、甚大な被害をもたらしていた。
こんな場所に人族が求める、有益な資源があるというのだから驚きだ。
何度か戦闘に駆り出されたが、ただ鬱蒼とした闇が広がっているだけの場所である。魔物だってとても歯が立つ相手ではない。
わたしの隣では、この渓谷に一番領土が近い国の聖女が、顔面蒼白で谷を見下ろしていた。
「る、ルチア、帰ろう、やっぱりむりだよ」
「スーリエ」
「だって、この間だって、死んじゃうかと思ったんだよ、魔王陛下が動いてくれなきゃ、むりだよ」
噛み合わない歯の音が、嫌に大きく聞こえる。更に隣でも一番年下の聖女が、幼い体を小刻みに痙攣させていた。
涙声で母親を呼ぶ姿に、ルチアも胸に衝動がつかえて、それをなんとか飲み込んだ。
「スーリエ、アンリ、大丈夫。わたしが盾になって、二人を守るわ。これを見て」
わたしは胸元に片手を当て、エンドの魔力に呼びかけてペンダントの魔法を呼び覚ます。
マントの下では修道服が、可愛らしいドレスに変化して、後頭部でリボンが揺れた。
「ルチア、それって……!」
「魔王陛下がわたしに下さったの。これならきっと、魔物の攻撃も跳ね返せるわ」
「でも、るちあ、あぶないわ。もしかしたら、ケガ、しちゃう」
衣服となった防御魔法に触れつつ、アンリが涙声で首を振る。
敵意全てを跳ね返すほどの、優秀な防御魔法とはいえ、扱うわたしの実力が伴わなければ、危険な事に変わりはない。
根拠のない大丈夫は、危うい。
それでもわたしは、心の奥底から湧いてくる力を、信じてみたかった。
二人に最大限の火力で攻撃するよう伝え、わたし達は岩上に立ち上がる。
そして三人で頷き合い、息を吸い込むと、急勾配の斜面を一気に駆け降りた。
翼を持った魔物が存在に気がつき、甲高い奇声を上げて追いかけてくる。
体を捻って片手を伸ばしたスーリエが、数センチ先に数十の光の矢を出現させた。合図と共に、一直線ながらも凄まじい速さで飛ぶ矢が、何体かの翼を貫通する。
突然の事態に叫んだソレらは、浮力を失って墜落した。
アンリも背負っていた剣を引き抜き、体を捻って上空に向けて振り切った。青白く透明な魔法を帯びた斬撃は、すぐ背後に迫っていた魔物の首を跳ね飛ばす。
巨体が体の横を落ちていく風を受けつつ、しかし魔物の攻撃は止まらない。
急速落下ですぐ側にきた魔物の口が、刹那、真っ赤に光輝いた。
わたしがすぐさま二人の前に出ると、爆音と共に放たれた炎の球を、防御魔法が受けて四方へ飛び散らす。
火の粉が降りかかり、長髪に燃え移ろうとしたが、それすらもエンドの防御魔法が吹き消した。
「ルチア、すごいよ! これなら倒せるかも!」
息を切らしながら、スーリエが嬉々とした調子で叫ぶ。アンリも自身の頭上に注いだ火の粉が、勝手に消えていく様子へ目を見開いた。
二人の攻撃を援護しながら、わたしは谷底に両足をつける。
あまりに薄暗いその場所は、川辺ながら海底のようだ。
アンリが剣をかざし、魔法を行使して刀身を光らせ、光源を確保する。
翼ある魔物は、谷底には下りて来られない。皆が途中で上空へ引き返していく。
理由は単純明白で、それだけここは危険だからだ。
不気味なほど静かな川の音に、徐々に濁った泡を吐き出す音が混じりだす。
三人で身を寄せ合い、崖を背にしっかりと目を凝らした。
前回ここに来たときは、魔物の正体が分からず挟み撃ちにされ、命からがら逃げ出したのだ。
今回だって本当は、わたしたちではとても太刀打ちできない。しかもたった三人で勝利できるほど、魔物との戦闘は甘くなかった。
それでも人族が戦力を派遣してくれない以上、聖女として結果を残さねばならない。
暴力的な気配が、水の中から忍び寄ってくる。薄暗いせいで目視による把握ができない。
わたしは二人を背に、両手を広げて衝撃に備えた。
「…………っくるわ、二人とも伏せて!」
冷や汗を飛ばして叫んだ刹那、数メートルは下らない淡水魚の魔物が約十体、一気に水面から跳ね上がり、口腔内にびっしりと生えた牙で襲いかかってくる。
両手で胸元の宝石を握りしめ、祈りに通じる願いを重ねた時、別の巨体が頭上から降ってきて淡水魚を押しつぶした。
突然の事態に三人で悲鳴をあげ、わけが分からず互いに互いを抱きしめる。
その衝撃音は一回にとどまらず、次々と降って水飛沫が幾重にも上がった。
慌てて状況を確認したスーリエが、声を震わせながら何かを指差す。
「あ、あれ……、もしかして、助けがきたの?」
「え……?」
アンリと共に見上げれば、周囲に落ちてきたのは、絶命した翼の魔物。
更にその上空ではモヤが晴れ、浮遊する人の形をした影が見えた。
その数はおおよそ、十数の軍隊。胸元には魔王直属の軍たる証の、炎と円形の虹を模したバッジが光った。
わたしは、その一軍隊の中央に立つ小柄な、それでいて身がすくむ強大な魔力の波長に、瞠目して思わず叫ぶ。
「魔王陛下!!」
彼は、──魔王エンドは、燃えるような金眼を剣呑に細め、片手を振り上げた。
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