第6匹 こんな場所にいるより、ずっと。


 




 半分考え事に没頭し始めたアードベンは、ハッとして苦笑し、わたしに車内から出るよう促した。

 二人で旅客車を下り屋敷に入ると、室内着である膝丈のワンピースに着替えた義姉が、わたしを見て形相を歪ませる。

 

「ちょっと、ルチア! 何をふざけた格好をしているの、脱ぎなさいよ!!」

「っ待てナンシー、今のルチアに触るな!」

 

 焦ったアードベンの静止も効かず、わたしのドレスに掴み掛かった義姉の体が、ガラスが割れるに似た甲高い破裂音と共に、空中に吹き飛んだ。悲鳴を上げた彼女の体は、そのまま近くに控える男の使用人にぶつかり、共々背後にひっくり返る。

 わたしはあまりの威力に唖然とし、慌てて胸元に触れると防御魔法が解除された。

 

 まるで相手の敵意に対する、反射板のようだ。自動的に発動しわたしを守ってくれるが、上手く制御しないと大変な事になってしまう。

 案の定、使用人を下敷きに、ポカンと口を半開きにした義姉は、すぐに火がついたように泣き出した。

 

「ナンシー! 大丈夫か、怪我はないか」

「お、お父さま、痛い、痛いわ、助けて、助けてよ、お父さま……!」

 

 顔面蒼白で側に膝をつくアードベンに、義姉が抱きついて泣き叫ぶ。騒ぎを聞きつけやってきた養母も、真っ青な顔色で我が子を抱きしめた。

 流石に狼狽えるわたしを、養母は憤怒の形相で睨み、立ち上がって大股に近寄りざま、わたしの頬を片手で叩き飛ばす。

 

 受け身も取れずよろけた体は、そのまま床に尻餅をつき、養母を見上げた。


「あなた! やはり魔族など無理だわ! すぐに教会に返してください!!」

「落ち着け、今のルチアは不可抗力だ。魔王から渡されたペンダントの効果だろう」

「ナンシーが痛がっているのに、どうしてあの魔族を庇うのですか、あなたの娘はナンシーでしょう!?」

「それは勿論そうだが、聖女が我々に必要な存在だと分かっているだろう」


 養母の、憎悪が浮かぶ双眸に射抜かれ、わたしは細い呼吸を繰り返す。

 そこにあるのは、実娘に魔法を行使した憤怒以上の、言葉にしたくない何か。

 弁明しなければ、と口が動いたが、髪を引っ張られて僅かに体が浮き、再び反対側の頬を叩かれ、そのまま倒れ伏した。

 

 興奮気味に罵倒を捲し立てる養母に、泣きじゃくっていた義姉はほくそ笑んで、養父は呆れて息をつくだけで止めもしない。

 わたしは胸元のペンダントを握り、目蓋を強く閉じてただひたすら耐えた。

 

 わたしだって、叶うことなら教会に戻りたい。

 正直に言えば、修道士の生活で楽なことなんて、何一つない。規律は厳しいし、上下関係も明確だ。

 それでも、こんな場所で漠然と生かされているより、修行をしている方がよかった。神の名代として戦闘の最前線に立ち、魔法で飛び回っている方が、今よりずっとよかったのだ。

 

 聖女という奴隷の立場は同じでも、こんな場所にいるより、ずっと。

 

 更に何ごとか言い募ろうとした養母は、わたしの姿を見て、ふと目を瞬かせる。

 そして嫌な笑みを浮かべると、血の気の引いた顔を傾けた。

 

「そうだわ。魔王の協力が望めないなら、アナタが谷底の魔物を片付けたらいいのです」

「…………え?」

 

 呆けた顔を上げれば、養母は更に陰惨に笑みを深める。

 

「名案でしょう? 少しは国の為に働きなさい」

「まぁ! お母さま、よい案だわ! そうでしょお父さま、聖女ルチアに敵をやっつけて貰えばいいのよ」

 

 嬉々として同調する義姉に、養母の笑顔が更に薄気味悪くなった。

 わたしは真っ青な顔で視線を揺らし、痛む腕に鞭打って上体を起こす。

 

「っま、待ってください、あの谷の魔物は、等級レベルが高いんです。わたしでは歯が立たなかったから、魔王陛下に……」

「その魔王が、我々を門前払いしたのでしょう? それなら同じ魔族である、アナタが責を負うのが筋ではないの」

 

 無茶苦茶だ。

 わたしは両手で口を覆う。恐怖よりも吐き出す息が震え、憤りに奥歯も噛み合わない。

 対抗できるのであれば、もとよりそうしている。状況を確認し判断したアードベンが、各国の意見を集約した結果が、魔王エンドへの助力依頼だったのだ。

  

 わたしは一番状況を理解している、アードベンに目を向けた。

 彼も妻子の言い分に戸惑った様子だったが、しかし片手で口元を押え、険しい顔で思案する。

 

 まさかと目を見開くと、彼はそのままわたしを見据えた。

 

「ルチア。お義母様の意見も一理ある。魔王の救援を望めない以上、これは我々で対処しなくては。人的被害が出る前に」

「あの谷は、誰も通れません! 魔王陛下の言う通り、大陸側が資源を取りたいだけじゃないですか! 魔物の住処を刺激しなければ、本当は」

「魔族のお前には、理解が難しいかもしれない。人族には技術発展に伴い、増加する人口を支える資源が必要なんだ。それに魔族としても、魔物は居ない方がいいだろう」

「それは……」

 

 普通は誰も通らない場所に、魔物が居住しているところで困らない。しかし万が一、餌を求めて移動されては、大陸側も魔境側も損害を被ってしまう。

 退治できるなら、それに越したことはない。それはわたしだって分かっている。

 

 言葉を失うわたしにアードベンは眉を下げ、義姉を養母に預けると、わたしの前に膝をついた。

 そしてまるで、労わるように叩かれた肩に、言いようのない不快感が込み上げて、スミレ色の瞳を上げる。

 

「力を貸してほしんだ、聖女ルチア」

 

 わたしは奥歯を噛み締めた。

 

 




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