供犠Ⅱ 聖女という奴隷

第5匹 なんて穏やかで優しい、魔法。




「どういうことよ、魔族の王って子供でしょう!? どうしてアタクシたちが追い返されなければならないの!!」

 

 養母のヒステリックな叫び声が、旅客車に反響する。

 せっかく新調したクローシェ帽は、中央から折り曲げられ、両手の平に潰されてしまっていた。

 わたしの向かい側でも一歳違いの義姉が、養母と共に肩を怒らせている。こちらもこの日のために新調したワンピースの、淑やかな刺繍が線を歪ませている。

 

 拳一つ分を空け、わたしの隣に座る養父だけが、スーツに皺を寄せ腕を組み、真顔で黙り込んでいた。

 

「お父さま、どうして黙って帰るの? 魔物を倒さなきゃならないんでしょ? 魔物がいなくなったら、新しいバッグを買ってくれるって言ったじゃない!」

「……今、考えている」

 

 人族が住むバース大陸の代表として、魔族との交渉役である“勇者”を拝命した養父。

 しかし先ほど、なぜか会談内容を事前に知っていた、魔境シキョクの王、ジ・エンドによって、裏にあった思惑ごと全て却下されてしまったのである。

 加えて王城の魔族たちは、そもそも勇者に手を貸すことに否定的だったらしい。王の意見へ両手もろてを上げて賛成し、さっさと追い返されてしまったのだ。 

 渓谷の魔物討伐の恩恵を、誰よりも先に受けようとしていた母娘は、すっかり怒り心頭で騒ぎ立てている。

 

 わたしは車内の隅で縮こまりながら、胸元を揺れるペンダントを両手で握りしめた。

 

 強い魔力の波長を感じるペンダントは、皮膚に触れるとわたしの力に呼応し、更に暖かな熱を帯びる。

 それが無性に、泣きたくなるほど優しくて、わたしは手の中にある紫に見惚れた。

 

 エンドとの面識は、全くない。

 聖女となる前、魔境でもかなり田舎の農村で暮らしていた。王城周辺に立ち寄った記憶もなく、すれ違う機会もなかったはずだ。

 それなのに彼の言葉や、態度は、間違いなくわたしを知っているようだった。

 

 声には出さず、彼の名前を呟いて、宝石を引き寄せる。

 黙するわたしが気に障ったのか、養母の怒りの矛先がこちらに向いた。

 

「アナタ、その場に居たのでしょう? 何をしてたの? お父さまを助けなかったのですか?」

「え、……あ、その、わたしは」

「お父さまが身を粉にして方々ほうぼうに頭を下げ、アナタの立場を守ろうと、養子にまでしてやっているのに! 奴隷の分際でこの恩知らず!」

「もうしわけ、ありません……」

 

 わたしは両手を膝の上で握りしめ、養母の癇癪が治ることを祈り、ひたすら謝罪を繰り返す。

 

 聖女は、奴隷階級の最上位だ。

 魔物と対抗する手段が乏しい人族が、対魔物用に配備する魔法使いで、各国に一名存在する。性別は御しやすいよう、ほぼ女かつ、親族がいない子供。とりわけ、年端も行かない子供が多かった。

 わたしも故郷で大規模な火災が発生し、両親と死に別れ、人族側の大陸で彷徨っていたところを、教会に保護された身の上である。

 

 生活は保証され、国防の要としての立場もあり、相応に暮らしも約束されている。

 それでもわたしたち聖女は、奴隷。その生活は決して、良いものだけではないのだ。

 わたしを良く思っていない養母から浴びせられる、叱責と糾弾。奴隷だから何をしてもいいと、義姉からの嫌がらせや暴言に耐える日々。

 それでもまだは、脳が疲れるだけでマシな方だった。

 

 エンジン音を響かせていた旅客車が、緩やかな曲線を描いて道を曲がり、屋敷の門を潜っていく。

 車体を揺らしながら車寄せに停車すれば、運転手が降りてきて、扉を開けた。

 養母と義姉の怒りはまだ収まらないようで、迎え出た使用人たちにも当たり散らしている。

 わたしは胸を撫で下ろし、腰を浮かせたところで、未だ座席に座ったままの養父が、──アードベンが、扉を内側から閉めた。

 

 ギクリと体を強張らせ、咄嗟にペンダントを握って座席に座り直し、窓際に体を密着させる。

 わたしにはこの、正直者に見えて考えの読めない男の方が、よほど恐ろしかった。

 誠実に見える瞳で、紳士的な態度で、何一つわたしを守ってはくれない、この男が。

 

 アードべンは眉を寄せたまま、わたしの向かい側に座席を移動した。

 

「ルチア。正直に答えてほしい。魔王エンド殿と面識があるのではないか」

「ありません」

「本当だろうか? 彼はこちらの想定していた内容も、しっかり把握しているようだった。何より、ずっとお前を気にかけていた。お前がかの王に、何か伝えていたんじゃないのか」

「本当に初対面です。きっと、わたしが魔族だからと、思います」

 

 変に視線を逸らしたりせず、真正面からアードベンを見返す。喉が震え声が出ずらいが、なんとか乾いた口内を湿らせた。

 

「……そうか……、……ならなぜ、こちらの話を知っていたんだろう……」

 

 彼は釈然としない面持ちであったが、わたしの主張に納得する様子を見せる。

 

 白髪に金眼は、魔族の中で最も強い力を持った魔法使いの証だ。それは魔族の祖である、人間と交わった魔物の容姿に由来していると聞く。

 エンドが普通の魔法使いと違う力を宿している可能性は、十分にあった。

 

 アードベンの視線が、わたしの首から下がるペンダントの紐に留まる。

 

「……なんにせよ、エンド殿からの贈り物は、屋敷内では君の立場を悪くする。俺が預かろう」

「っ大丈夫です、自分で持っていますから……!」

 

 両手が伸びてきて、わたしは身を竦ませた。

 これだけは死守しなければと、筋張った指先からペンダントを逃す。

 アードベンは驚いた様子で静止し、ぎこちなく笑って、わたしに手の平を見せた。

 

「ルチア、俺はお前を心配しているんだ。さぁ、ペンダントをこちらに」

「心配しなくても、大丈夫です。これは、……っこれは、わたしが頂いた、もので──、きゃあっ!」

 

 瞬間。

 

 ペンダントに封じられていた防御魔法が発動し、目前にまで迫っていたアードベンの手を弾き飛ばす。繊細な文字が幾重にも浮かぶ防御壁が、わたしの周囲を取り囲んで、緊張に冷たくなった指を温めた。

 突然発動したそれに驚いたのも束の間、防御魔法が組みかわり、徐々に衣服へ纏う形に変化していく。 


 地味な修道服は、フリルやレースをふんだんにあしらった、膝丈ほどの柔らかな布地のドレスに。パニエで膨らみ段を作るフレア。細やかな装飾を施した、編み上げのブーツ。リボンが宙を踊り髪に触れ、左右から編み込みにしながら後頭部で蝶を作る。 

 可愛らしいドレスそのものが、対象の全てを守る実態型防御魔法。魔族の中でも強い魔力を持つ者しかできない、高等技術だった。

 

 なんて穏やかで優しい、魔法。

 

 状況に思考が追いつかないながらも、自身を見下ろし、胸元を飾る紫の宝石を指先で撫でる。

 ここ数年、魔力を用いた力といえば、対魔物戦の歪な力に晒されてばかりだった。親から子へ与えるような、愛情ある魔法など久しぶりで、思わず瞳に涙が浮かぶ。

 

 彼ともっと話したい。また近くで声を聞きたい。

  

 頬を朱に染めるわたしに、アードベンは呆けた顔で口を開閉させた後、何ごとか小さく呟いた。

 


 

 

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