第4匹 大マジだよ。

 


 

 俺は自室に戻らず、そのまま洗面所に直行して速攻吐いた。

 あれ以上あの場にいては、間違いなく失神していたところである。虚勢を張るという行為が、これほど神経をすり減らすものなのか。込み上げる吐き気に眩暈がした。

 

 慌てたオリバーが清潔なタオルを取ってきてくれ、顔を埋めながら、紙のように白い自分の顔を鏡越しに睨んだ。

 

「エンド様、さっきはどうしちゃったんです? 格好良くなっちゃって。まぁ、ちょっと無茶苦茶しすぎだと思いますけど」


 一番信頼する従者は呆れた調子ながらも、どこか嬉しそうである。

 俺は涙や汗でボロボロになった顔を拭い、タオルを洗面器に張った水に沈めると、金眼を細めた。

 

 勇者との交渉決裂は、すぐに城内を回るだろう。基本的に人族と相容れない魔族は、この決定を歓迎するかもしれない。

 だが安心している場合ではないのだ。早々に手を打たねば、いずれやってくる大量発生に太刀打ちできない。 

 

「それにしても、さっきはどんな魔法を使ったんです?」

「魔法?」

「ほら、勇者様との会談内容、知ってたじゃないですか」

 

 オリバーが魔法を行使し、半透明なガラスコップを空中に出現させ、洗面器から伸びるレバーを上下する。そのまま汲み上げた水をコップに入れ、さらに魔法を重ねて浄水すると、俺に手渡した。

 俺は礼を伝えつつ、冷たく澄んだ水で口をすすぎ、新しいタオルで顔についた水滴を拭う。

 

 オリバーは態度こそ大きいところがあるが、俺の祖父から命令を受けた、信頼のおける従者だ。彼女には死に戻りの事を伝えても、良いかもしれない。

 俺は周囲に人がいない事を確認し、小声で自身の状況を説明する。怪訝な顔で聞いていた彼女は、更に微妙な顔をして、最終的には目を白黒させていた。

 

「えっ、ええ……? またまたぁ、わたしを揶揄ってます? そんなこと、マジで言ってます?」

「大マジだよ」

「えー……? それが本当ならつまり、今のエンド様って見た目が子供なだけで、中身はスレたおっさんって事ですか? やばい、ただの変態じゃないですか!!」

「ぶっ飛ばすぞ」

 

 俺は頭痛の上から、更に金槌で殴られたような痛みを覚えつつ、片手で顔を覆い溜め息をついた。

 やっぱり言わなきゃよかった、と後悔しても後の祭りである。

 

 オリバーは暫く半笑い、と言うより顔を引き攣らせていたが、片手を頬に当てて眉を寄せる。

 

「そうは言われましてもねぇ……、というか、エンド様ってなんで戻ってきたんですか?」

「オリバーの給与増額のためだよ」

「やだぁカッコ良すぎます、惚れちゃいましたよ責任とってください」

「やめろやめろ既婚者がそんな冗談言うな、バレた時に俺がテイラー旦那に殺されるだろ」

「なんで知ってんですか!?」

「だから戻ってきたって言ってんだろ!!」

 

 今の時点では知り得ない情報に、流石のオリバーもやや考えを改めたらしい。

 彼女は俺を見つめ、かなり神妙な様相で押し黙ってから、唇を尖らせて外方そっぽを向いた。

 

「訂正しますけど、テイラーはの旦那なので、わたしの旦那じゃないです」

「え? ……ああ……、まぁ、そう……なんだろうな、ごめん」


 一瞬、どちらも一緒だと言いかけたが、当事者からすればそうもいかないのだろう。

 オリジャン・オーリィという人格を守るため、オーリィの特出した魔法によって作り出されたのが、オリバーという人格なのだから。

 

 素直に謝罪すれば、オリバーは今度は珍妙なものを見る顔をし、両手を組んで小さく唸る。

 そうやって一分ほど悩んでから、至極真面目な顔で、俺の前に片膝をついた。

 

 彼女の表情の変化を感じ取り、俺はタオルを衝立にかけると、改めてオリバーを見下ろす。

 翡翠色の瞳が細まり、微かに唇が震えていた。

 

「もし、エンド様の話が本当なら、……一度、エンド様が死んだ世界で、わたしはちゃんと、お役目を果たせましたか?」

「……オリバー……」

「逃げ出したりせず、裏切ったりせず、エンド様のお役に立っていましたか」

 

 不安そうに燻んだ色を宿す双眸に、俺は再び、先ほどとは違った涙が込み上げて、小さく鼻を啜る。

 

「もちろんだ。……最期まで俺の味方だったよ、オリバー。……ありがとう」

 

 俺の返答に、オリバーは唇を噛み締めてこうべを垂れた。

 彼女のつむじを見つめていれば、オリバーは両手で己の頬を叩き、キッと顔を上げながら立ち上がる。

 

「つまり、あの勇者様を一撃必殺すれば、エンド様の未来は安泰って訳ですね!」

「極論はそうかもな。だけど今はまず、さっきアードベン卿の交渉は断ったが、渓谷の魔物の対処が先だ」

 

 俺は洗面所から歩き出しながら、オリバーを呼び寄せた。彼女は慌てて周囲を片付け、俺の半歩後ろを着いてくる。

 

 聖女を差し出せば協力する、とは豪語したものの、境界線付近は実際問題、魔族としても野放しにできない。魔王直属の軍を動かし、対処にあたるべきだろう。

 もし無事に魔物が討伐できれば、ルチアをアードベンから引き離すために、魔族側で燃料を採掘して、それを交渉材料にしても良いかもしれない。

 そうすれば、俺が優位に立つ形で魔族側の利益が増え、自ずとオリバーの待遇も向上できるだろう。

 

 生前の記憶を頼りに、面倒ごとを潰していけば、きっと良い機会が訪れる。

 そう信じて今は、行動する以外に道はなかった。

 

 苦戦した渓谷戦を思い出しつつ、必要な戦力に頭を悩ませていれば、オリバーが気まずげに声をかけてきた。

 

「あのぉ、エンド様。色々お考えはあると思うんですけど、ちょっと問題が」

「うん?」

「今のエンド様はお子様でしょう? うまーくやらないと、あの態度がデカい大臣たちに、クソガキの我が儘だなんだって、片付けられちゃいません?」

 

 言葉の選び方は置いといて、オリバーの意見も的を得ている。

 しかし俺は深く呼吸すると、金眼を眇めて微かに口角を上げた。

 

「そうかもな、だから押し通せばいい。──それだけの魔法で、力ずくで」

 

 

 

 

 

 

 

 

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