第3匹 なわけがねぇだろ、馬鹿野郎。


 

 

 

「我が家の旅客車に何か用だったろうか? 貴殿が走っていくのが見え、聖女が心配だったんだ」

 

 石畳を靴底が叩く音が、嫌に大きく聞こえる。

 アードベンは何度か頷き、俺の前で立ち止まると車内を一瞥した。視線を向けられたルチアが、小さな両手を膝の上で握り締め、体を強張らせる。

 

 そうだ、人族が所有する奴隷階級であるルチアは、この男にあまり良い感情を抱いていなかった。ルチアに対するアードベンの態度は、極めて紳士的であったものの、ずっと暗い顔をしていた事を覚えている。

 対する俺も、今すぐに泡を吹いて失神しそうだった。

 

 何せ相手は、俺を殺害した張本人。自然と呼吸が速くなって指先が震えてくる。

 痛い、怖い、という強迫観念が、心の奥底から湧き上がってくるようだった。

 

「申し訳ありません、勇者アードベン卿。我が主人が、魔境の臣民である聖女様に、先に挨拶へ伺いたいと申されたのです」

 

 真っ青な顔で続く言葉を失っている俺に、オリバーがアードベンの視線を割って入る。

 剣呑な表情で俺を背に庇う彼女へ、アードベンは四白眼を瞬かせてから、合点がいったようで一歩退いた。

 

「そうだったか。こちらも考えが至らず、申し訳ない。そうだな、聖女を連れて登城するのが筋というものだ。非礼を謝罪したい」

 

 深く頭を下げる様子から、他意は見当たらない。

 オリバーが視界を遮ってくれたおかげで、いくらか冷静になり、俺はなんとか呼吸をしながら目を細めた。

 

「いえ、こちらも急に、貴国の聖女へ押しかけて、すみません」

「民を思う慈愛は尊ぶべきものだ。それでは、魔王エンド殿。会談の席へ。ルチア、お前も一緒に行こう」

「……はい、

 

 アードベンに片手を差し出され、ルチアが座席から今度こそ腰を浮かせる。

 修道服の裾を軽く上げ、旅客車から降りてきたルチアだったが、俺はそれどころではなく大きく目を見開いた。

 

「……お、とう……さ、ま?」

 

 聞き間違えかと伺うほど、あり得ない単語を思わず繰り返す。

 ルチアの片手をとったアードベンは、やや訝しげに双眸を細めるも、ああ、と頷いてすぐに表情を和らげた。

 

「珍しいとよく言われるんだ。確かに聖女は、我々の間では奴隷階級の最上位だから、養子縁組を結ぶことに否定的な意見も多い。魔族としても、人族と縁組など常識はずれだと思われるかもしれない」

 

 男の視線がルチアに注がれ、柔和に綻ぶ。ルチアも恐々と顔を上げ、ぎこちなく微笑んだ。

 

「ルチアの立場は弱い。我々こそが、魔物と対抗できる魔法使い、聖女に守られる立場なのにだ。養子縁組によって少しでも、ルチアの暮らしが改善されたらと思っている」

 

 アードベンの眼差しは誠実だ。

 二人の間にある空気はぎこちない。それが逆に、親子関係が始まったばかりの初々しさを感じさせる。

 

 ──なわけがねぇだろ、馬鹿野郎……!

 

 俺は鳥肌を抑えきれず、半ば無我夢中でルチアの手をとり、男を振り切って引き寄せた。

 想像以上に細い体を抱きしめれば、ルチアは息をのんで硬直し、俺の横顔を見つめる。

 アードベンは心底困惑した様子で、自身の片手を一瞥する。次いで言葉を発しようとするのを、俺は首を振って遮った。

 

 養父? 義理の娘? 冗談じゃない。生前、二人のそんな関係性など知らなかった。俺が聞いたルチアの家族は、死に別れた実父母であり、貧しくも幸せな日々だけである。

 死に戻り前のルチアが、アードベンを養父ちちと呼んだことなど、俺は一度だって聞いたことがなかった。

 

 俺が彼女を好きで、誰よりも一番近くで全てを知ることができたらと、夢を見ていたからこそ知っている。 

 ルチアを見るアードベンの、その珊瑚色の瞳が、クソみてぇな情を孕んでいることを。

 

「エンド殿、いったい何を」

「まったくエンド様ってば。何してくれちゃってるんですかねぇ。まぁでも、助けてお姉さんってやつですか?」

 

 アードベンの手が伸びてくる。俺はルチアを抱きしめたまま、たたらを踏むように半歩下がった。

 オリバーが異変を感じ取ってくれ、再び俺たち二人を背中に庇ってくれる。


 身が竦んで視界が歪む。過呼吸気味になり、鼓膜の奥で耳鳴りがする。

 自分の意見を上手く伝えられない、癇癪じみた子供のように、胸の奥から熱が込み上げてくる。

 

 緊張状態で目が回りかけた時、控えめにシャツの袖を掴まれた感覚がした。

 

 

 

『魔王様ってのは、もっとこう、……最強の力を持つ強者ムーブで、世界の頂点に君臨する感じじゃない?』

 

 

 

 蒼白な顔色で俯くルチアの片手を、強く掴み返す。


 生前、生贄の祭壇上で殺された時でさえ、これほど強い怒りを感じた事はない。 

 苦しいだけの、寂しいだけの、惨めなだけの生き方をして、俺はのだ。

  

 怒髪天をついて、涙も恐怖も引っ込んでいく。

 あまりの怒りに魔力が呼応し、石畳を形成する細かい砂利が浮き始め、空気が凍えて息が烟った。

 オリバーが悲鳴を上げて振り返り、アードベンは言葉を失い、愕然として周囲を見渡す。

 

 生前の魔王エンドは、自尊心が底をついているのに虚栄心の塊で、見合った立場も認められなければ、莫大な力に反比例して実力も乏しかった。

 なら二度目の人生を迎えた今、悪しき頂点だとか、世界に君臨する悪の統治者だとか、神々が自由に発想した魔王を、自己投影してやろうと思う。

 

 生贄となって死ぬくらいなら。恐怖に屈して死ぬくらいなら。

 俺は今から精一杯、泣き虫な臆病者を封印しよう。

 

 生前、ルチアが俺を安心させようと、笑顔を絶やさなかったように。

 

 傲岸不遜で悪虐非道な、誰もが恐れる魔王になってやる。

 

「……すみませんアードベン卿、交渉は決裂です」

 

 徐々に呼吸音が落ち着きを取り戻し、俺は静かに声をかける。

 アードベンはハッとして俺に視線を戻し、眉を寄せて唇を戦慄かせた。

 

「何を、まだ話もしていないだろう」

「魔境と大陸の境界線付近に出現する魔物を、俺たち魔族になんとかしてほしいって話なのは、わかってます。魔物が出るのは渓谷の谷底。そこを採掘して燃料を取りたいんでしょうが、俺たち魔族にはなんの利益もありません」


 生前のこの日、俺は魔王として初めて勇者に会い、境界線付近の活動について条約を結んだ。

 小難しい言葉が羅列された文章は、子供では何も理解できず、大人達に支配された空間では、発言するのも一苦労だったと覚えている。

 一見、条約の内容は、双方の理に適ったものであった。しかし実際に施行されるとデタラメもいいところ。等級の高い魔物ばかり討伐させられ、魔族側は負傷者が多発したのだ。

 最終的に、魔境を守る結果にはなったが、人族はその恩恵の裏で、自領土の肥やしを増やしていったのである。

 俺たちに支払われた見返りは、ほんの僅かな謝礼金だけであった。

 

 俺の言葉が図星であったのか、アードベンは返答に窮し口を噤む。この男の美点を認めるなら、嘘に抵抗があることだ。

 

 だからこそ、先ほどルチアに対して伝えた内容も本物で、本物だからこそ吐き気がする。

 

「お帰り願います。交渉の席につくまでもない」

 

 俺はそっとルチアを放しながら、首から下げていた紫のペンダントを外し、彼女の首にかける。

 ルチアは戸惑った様相であったが、ペンダントから俺の魔法を感じ取ったのか、ハッとして両手で宝石に触れた。

 

「どうしてもと言うなら、……そうだ、聖女と引き換えなら、考えます」

「な……!」

「人族の大陸に戻ったら、他の国の人にも伝えてください。魔族に力を乞いたいとき、聖女と引き換えなら応じますと」

「なぜそんな、我々人族に、魔物と交戦できる手段が乏しいことは知っているはずだ。なんて横暴な事を」

「横暴? 魔物と戦い傷ついた魔族を、人族が国として救護にあたり、介抱してくれたことなどないのに?」

 

 俺は神妙な顔をしているオリバーを促し、歩き出しながらアードベンの隣を通り過ぎる。

 四白眼が、のように俺を見た。愕然とも呆然とも取れる真っ青な顔に、少しだけ胸がスッとなる。

 俺は鼻で笑って、その双眸を睨み返した。

 

「先代魔王が死んで、代替わりしたんです。ここからは俺の国。……困ったなら差し出せばいい。聖女ルチアを、この俺に」

 

 戦慄くアードベンから視線を外し、俺は猫背を丸め、靴音を石畳に響かせながらその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

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