第2匹 いや、きっと初対面だ。
オリバーが用意していた服に袖を通し、俺は急足で廊下を突き進む。
白いブラウスに黒いサスペンダーとスラックスは、相変わらず凡庸な身なりで奇抜さもない。胸元を飾る紫のペンダントと、金の瞳だけが、俺に許された唯一の色であるかのようだった。
魔境シキョクの中でも、見晴らしの良い一等地に──切り立った崖の上である。──建てられた王城から、窓を通して下階層を見やれば、数台の車がエンジンを蒸して跳ね橋を渡るのが見えた。
同じく外を覗き込んだオリバーが、眉を寄せて溜め息混じりの息をつく。
「お早いご到着ですねぇ。あれが勇者様御一行でしょ」
「そうだな」
「そうだな……て、エンド様、大丈夫です? いつもならここで、真っ青な顔で逃げ出すところですよ? なんか寝起きから変じゃないですか?」
「そうかもな」
確かに生前の俺であれば、泣きながら部屋に戻り、布団の中で震えていただろう。
両親に捨てられた当時の俺は、とにかく周囲の全てが恐ろしく、年上であるオリバーの後ろに隠れてばかりだった。正直に言えば今も、泣きべそかいて部屋に引き返したい心境ではある。
螺旋階段に差し掛かると、メイドたちが会話に花を咲かせていた。階段の下には、モップやバケツが無造作に置かれ、掃除途中なのだろう。しかしすっかり彼女たちの意識の外だった。
オリバーがわざとらしく咳払いし、俺はそのまま足を踏み出す。彼女たちはあからさまに嫌そうな顔をし、掃除用品を通路の脇によけて頭を下げた。
以前は城内のこんな反応にも、いちいち傷ついていたものだ。
しかし今更傷つく繊細な心臓など、一度破裂してしまったので、そのまま横を通り過ぎる。
「なんなんですか、あれ! 相変わらず、ウチの城のメイドはムカつきますね。こっちは魔王様ですよ? 同じ給与体系なのが心底腹立たしい」
「オリバーのことはちゃんと、昇給させる」
「え!? またまたぁ、上げて落とす作戦でしょ……って、あれ? エンド様、これってどこ向かってます?」
給与体系に関しては、まったく信用してないところも相変わらずだ。
俺は薄く笑いつつ、会談会場に定められた大広間の前を素通りする。
オリバーが扉と俺の背中を交互に見るが、今は勇者との会談など二の次だった。
正門の脇にある通用口から外に出て、馬車の乗り継ぎ場に出れば、勇者一行の旅客車が停車している。その中でも、一番頑丈な装甲をしている一台に近づき、気持ちが急いだままドアハンドルに手をかけた。
鈍い音を響かせ、引き開けた扉の奥。薄暗い車内で一人、後部座席に座った少女が俺を見る。
腰まであるラベンダーアッシュの長髪に、スミレ色の瞳。驚いた表情はまだ幼く、今の俺と同い年くらいだろうか。修道女と同じ制服を身に纏う。
俺は思わず息が詰まり、震える呼吸で呟いた。
「ルチア……!」
勇者が対魔物戦に備え、自国から連れてきた
死に戻り前、彼女が勇者と共に王城に来ていた事を、俺は死に間際まで知らなかった。
俺はその時、勇者との会談で疲労困憊になっていて、中庭を挟んだ回廊ですれ違ったことなど、全く覚えていなかったのだ。
彼女も生前、オリバーと共に、俺の生贄回避に向けて尽力してくれた人である。好意を向けてくれたのに、一度も素直に返事ができなかった、俺の好きな人だった。
「も、もしかして、魔王陛下? あの、どうしてここに……」
「あっ、ちょ、エンド様!? だめですよ、エンド様!」
オリバーの素っ頓狂な静止も聞かず、旅客車に乗り上げる。
困惑するルチアの隣に座ると、俺は感極まって半泣きになりながら、即座に頭を下げた。
「ごめん!」
「え……?」
「一緒にいてくれて、嬉しかったのに、心強かったのに、味方だって胸張れなくて、傷つけてばかりで、ごめん」
「あの?」
「もう今は、何もかも無くなったけれど、それだけは伝えたかった」
再度、顔を上げて見つめた先で、スミレ色の双眸が瞬く。
まずいと思ったが止められず、涙腺が決壊して、俺の視界が滲んでは解けた。
驚きすぎて一瞬硬直した彼女は、訝しげに目を瞬かせつつ、そっと俺の片手を両手で包み込む。仄かな魔力の波長が、冷たくなった指先を温めた。
目が合えば涙は止まらず、俺は片方の手で何度も目蓋を拭い、徐々に湧き上がる羞恥に顔を俯かせる。
「ありがとう……驚かせて、ごめん」
「いいえ! ……、……その、失礼に当たりましたら、お許しください。どこかで、お会いしましたでしょうか?」
泣き腫らした顔を覗き込むルチアへ、俺は口を開いては閉じ、力無く微笑んで彼女の手を放した。
濡れた頬を袖口で無造作に拭い、長く息を吐き出して呼吸を整えると、座席から立ち上がりつつ地面へ降りる。
同じく旅客車を出ようとするルチアを制し、俺は腰を浮かせた彼女を見つめた。
「いや、きっと初対面だ。俺は魔境シキョクの王、ジ・エンド。初めまして、チャプター・ルチア」
「は、はい、陛下。ですがさっき、──」
言葉を続けようとした彼女が、ハッとして両手で口を押さえ、旅客車の座席で縮こまる。
その反応に既視感を覚え、俺は声をかけようとし、オリバーに背中をつつかれて振り返った。
革靴で石畳を踏み締め、足音が一つ近づいてくる。
見開かれた四白眼と、短く切り添えた金髪が特徴的な男だ。服装は生前に記憶している通り、赤みのある灰色のフロックコート。
男は、ドアハンドルに手をかける俺を凝視し、息を吸い込んで肺を上下させる。
「もしや貴殿が、魔王ジ・エンド殿だろうか」
あまりに聞き覚えのある声に、俺は猫背をさらに丸めつつ、男を見返した。
「……そうです。……貴方が勇者、アードベン卿ですね」
爛々と正義感に溢れ輝く、珊瑚色の瞳とくすんだ金髪。年は確か二十代後半だ。がっしりとした背格好は、否応にも自分の最期を思い出す。
リスク・アードベン。俺を殺した張本人のお出ましだった。
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