第6話

 レストランに潜入してから3日目。

 ロベルトは先輩シェフから実際に出すコース料理の作り方を教わっていた。

「リゾットを作るぞ、ロベルト」

「リゾットか………確か米使ってるんだよな?」

「そうだ、米をソースで固く煮た料理だ。今回はトリュフとチーズを使ったリゾットを作るぞ。これは実際のコース料理でも出すから、しっかり覚えて作るんだぞ」

「………おう」

「ロベルト、涎を拭け。気持ちは分かるが異物混入したらどうするんだ」

 手際良く野菜を切っているドナテロに注意をされると、ロベルトは涎を拭いて先輩シェフの指示に従いながら調理を始めた。完成品を想像しながら、材料を用意していく。

「まず、炊いてない米をオリーブオイルで炒める。ついでにブイヨンを別の鍋に入れて………あ、白ワインとローリエを入れて温めないとな。炒める時は米をオリーブオイルで包む様にするんだぞ」

「………?」

 説明を受けるも、ロベルトの手は止まっていた。米を炒めつつ唖然とした表情を浮かべるロベルトに、ドナテロが心配する様な視線を向ける。

「お前、大丈夫か………?頭に入っているか………?」

「米をオリーブオイルで炒めて………ブイヨンは………同じ鍋だったか………?」

「違う!ブイヨンは別の鍋に入れて温めるんだ!後、白ワインとローリエを忘れない!」

「あぁ、そうだったな………悪ぃ、ドナテロ………」

「気を付けろよ。失敗1つで、料理の味は大きく変わってしまうんだからな」

 ドナテロのアドバイスに、ロベルトは頷いている。素直に頷きながら、鍋にブイヨンと白ワインとローリエを入れた。暫く温めて混ぜたところで、鍋の中が白くなる。

「よしよし、均等に白くなったな。ブイヨンもしっかり温まってる。次はブイヨンを注ぐぞ。全部入れるなよ、後から少しずつ入れないといけないからな」

「凄ぇ、一気に湯気が………」

 そう呟いた瞬間、腹が鳴った。勢い良く、それも大音量で鳴った音に、先輩シェフは勿論ドナテロも思わず目を向けている。

「ロベルト………お前、朝飯はちゃんと食べたのか?」

「あぁ、カプチーノとビスケット1枚なら摂ってきたぜ」

「ビスケット1枚⁉︎ちょっと待て、クロワッサンは食べないのか⁉︎」

「朝からそんな贅沢なもの食えるわけねぇだろ………それに、朝からこうやって練習しねぇといけねぇなら、朝飯に時間を割く余裕もねぇしよ………」

「よし、ロベルト。昼は美味しい料理を沢山食べような。リゾットとミネストローネだぞ」

「リゾット………ミネストローネ………」

 豪華な昼食を想像しているのか、ロベルトの目はいつにも増して輝いている。トリュフを切る手が止まりそうなロベルトに、ドナテロが溜息を吐きながら言う。

「ロベルト、遠慮するなよ。仕事をする上で、体を健康に保つのも大事なことだ。食事くらいちゃんと摂れ」

「ドナテロ………そんなに俺が心配か?」

「あぁ、それもスラム出身なら尚更だ。お前、確か19歳だったな?」

 質問に頷いたところで、ドナテロは思考を巡らせながら話を続ける。

「成人はしているのか………の割には少々童顔な気もするが」

「おい………気にしてんだからやめろよ。童顔のせいで金払っても酒と煙草が買えねぇんだぞ」

「身分証明書は持っているのか?それがないとダメだぞ」

「持ってるけどよ………つい最近まで更新し忘れてたんだよ。アルヴェアーレに入ってようやく、テオに手伝って貰って更新したぜ」

「………大変だな、お前も」

 暫く調理を続けたところで、チーズとトリュフのリゾットとミネストローネが完成した。厨房に漂うチーズや香ばしいトリュフの匂いに、ウェイターとして仕事をしていたテオとオスカルが思わず入って来る。

「わぁ、美味しそうな匂い………何を作ってるんですか?」

「チーズとトリュフのリゾットと、ミネストローネだ!どうだ、美味そうだろ?」

「それ、実際のコース料理でも出すらしいぜ」

「あぁ、ビアンカとレアンドロが来た時にか。そういや、メインディッシュはどうしたんだ?」

「それは明日作る予定だ。因みに作るのは俺だぞ、ロベルトに任せるには危なっかしいからな」

「言う程か………?」

「言う程だ。調理工程が頭に入っていない奴が作ったらとんでもないことになるぞ」

 ドナテロの言葉に、ロベルトは少し落ち込む。しかし、直ぐに微笑みながら言った。

「まぁ………美味そうな飯作れるなら何でも良いか………」

 それで良いのかよ、とドナテロ達は心の中でツッコミを入れながら、昼食を摂ることにした。レストランから客が居なくなったところで、皿にリゾットとミネストローネが注がれる。

 時刻は午後2時。テオとオスカルも含めた全員分のまかない料理が揃ったところで、ロベルトはリゾットを一口食べた。チーズが米に絡み、トリュフの香ばしい匂いが鼻を抜ける。申し分なく味付けのされた米料理に、ロベルトは目を輝かせながら言った。

「うめぇ………‼︎」

「だろ?残りもまだまだあるから、沢山食べていいぞ!」

「良かったね、ロベルト」

「ミネストローネはどうだ?美味いか?」

「あぁ………‼︎なぁ、これおかわりして良いか⁉︎」

「良いぞ!好きなだけ食べてくれ!」

 先輩シェフに言われると、ロベルトはミネストローネを再び注いで食べ始めた。いつもの無愛想で警戒心が強い姿とは比べ物にならない程、ロベルトは上機嫌で食事をしている。無邪気に笑うロベルトに、ドナテロは微笑んでいた。

「………笑えば年相応になるものだな」

「ドナテロさん、言葉がお年寄り臭いですよ………」

「いや、あいつはいつも無愛想だろう?」

「まぁ、笑っているところはあまり見たことないですね………僕には少しずつ警戒心を解いてくれていますけど」

「というか飯1つであんなに喜ぶなら、相当ひもじい思いをしてたんだろうな………」

「それに加えて、あいつが今まで住んでいたスラムは治安が悪いからな。明日は我が身だと思いながら、その日暮らしの生活を繰り返していたんだろう。記憶を失い、天涯孤独と言っても過言ではない身でな」

 ドナテロ達が話す中、ロベルトが笑みを向けながら言った。

「あれ?お前等、おかわりしねぇのか?」

「いや………俺は良い」

「僕も少食だから良いよ。お腹いっぱいになったからね」

「まだ腹一杯になってないんだろ?先輩達も言ってたじゃないか、好きなだけ食えって。今くらいだぞ、此処で最高に美味い飯が食べられるのは」

「えっ………本当に良いのか?」

「良いと言っているんだ、先輩が此処まで言っているんだから遠慮せずおかわりをしろ!」

 ドナテロが喝を入れる様に言うと、ロベルトは笑みを浮かべながら頷き、リゾットを皿に盛った。




 食事と厨房の片付けを終えたところで、ロベルト達はホテルを出て街中を歩いていた。満足気な表情を浮かべながら、ロベルトは言う。

「あぁ、一生分の飯を食った様な気がするな………」

「それは言い過ぎだよ、ロベルト………でも、良かったね」

 笑っていることが嬉しいのか、テオも微笑んでいる。そんな中、ロベルトは何かを思い出したかの様に立ち止まった。先程までの笑みから一転して、瞳が憂う様に伏せられている。

「ロベルト、どうしたんだ?」

「………あのホテル………初めて行った気がしねぇんだよな………」

 ロベルトの言葉に、3人は少々驚愕した様子になる。問い詰めようと詰め寄るオスカルを宥めながら、ドナテロが冷静に問い掛けた。

「初めて行った気がしないというのは、本当か?」

「何つーか………あそこみてぇなレストランで、飯を食った記憶があるんだよ。でも、確証が持てねぇ」

「何か思い出せるか?食べたものや、その場で起こった事件でも良い」

「食べたものなら思い出せるぜ。一昨日、ドナテロが作ってたジェラート………あれと似た様な奴を食べた気がするんだ。あの、苺と牛乳の甘い匂い………絶対にあのジェラートだと思うんだ」

 思考を巡らせながら、ロベルトは話を続ける。

「俺を拾ってくれた爺さんと婆さんが言うには………何かから必死に逃げてて、泣きじゃくりながら助けて、って言ってたらしいんだ。結構良いところの服着てたらしいぜ。その……スーツまでとはいかねぇが、とにかく格式高ぇ服を着てたらしい」

「そんな服を着てたってことは、お前………元々はどこかの良いところの坊っちゃんだったってことになるじゃないか」

「だろうな。全く記憶がねぇから断言出来ねぇけどよ」

 もの寂しそうな背中を向けながら、ロベルトは空を見上げた。日差しは相変わらず強く照り付け、肌を刺している。失明しそうな程眩い太陽と澄み渡る青空は、暗い世界で生きる人間をも容赦なく照らしていた。

「何があったんだろうな………10年前の、あの日に………」

「それを探るために入ったんだろう」

「そうだぜ。でも………やっぱり、何から手をつけて良いか分かんねぇんだよ。アルヴェアーレに入ってから、裏社会の事情は把握出来る様になった。だが、肝心の………姉さんと親父とお袋に繋がる手がかりを探す方法が、分からねぇんだよ。学がねぇから………何も、分からねぇんだ。真相も、手掛かりも、捜査する方法も」

 悔しそうに右手を握り締めながら、ロベルトは立ち尽くしていた。項垂れて立ち尽くすロベルトの肩に、ドナテロが手を置く。

「………そういう時こそ、仲間を頼るものだぞ。相手は社会の闇だ。そんな壮大なものに1人で立ち向かうなど、無謀にも程があるからな」

「でも………俺とお前等は他人だろ。他人は信用しねぇって決めてんだ」

「同じマフィアで、同じ人の部下として働いてるなら、それはもう他人じゃない。仲間だ。俺達はチームなんだ。チームの仲間が困っている時は、見捨てずに助ける。それが信条だ」

「そうだよ、ロベルト。記憶喪失の中で、家族を見つけようと動いてるロベルトを見捨てる真似なんて、僕には出来ない。信じられないのも無理はないかもしれないけど………それでも、頼ってよ。今のロベルトは、1人じゃないから」

 テオがそう言うと、ロベルトは何かに気付いた様に目を見開いた。顔を上げ、握り締めていた手を開く。

「………良いのか、巻き込まれても」

「覚悟なら出来てるぞ。アルヴェアーレに入った時から、見たくないものは沢山見てきた。お前の家族のことで、ボスに消される様な闇があったとしても驚きはしないさ。俺が出来ることは、お前の捜査を手伝うことと………仮にボスがお前を消そうとしてきた時に、お前を守ることだ。目的を果たせないまま死ぬことが、1番辛いことだからな」

 オスカルの言葉に覚悟を決めた様に、3人の方を向く。警戒心で強張っていた顔を少し綻ばせ、薄く微笑んだ。

「後悔すんなよ。裏切る様な真似でもしたら、絶対に許さねぇからな」

「顔と言葉が合ってないよ、ロベルト。まぁ、とにかく………協力する、ってことで良いよね?」

「あぁ、勿論だ。さて………何から手を付けたら良いんだ?」

「お前が事件に巻き込まれたのは10年前だと言っていたな。だから、10年前に起きたマフィア絡みの事件について調べていくぞ。闇雲に探してはダメだ。 『10年前』、『マフィア関係の事件』………この2つを両方とも満たす事件を探して捜査するぞ。警察や政府が隠蔽している可能性もあるが、図書館に新聞記事が保管されているはずだ。そこから詳細を調べるぞ」

 ドナテロの話に頷きながら、ロベルト達は再びアジトへ戻る足を進め始めた。その様子を、金色の長髪をした女が興味深そうに眺めていた。

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