第5話

 時に、懐かしい夢を見る。欠落している幼少期の、あったかどうかも分からない出来事が再生される夢を。目の前には、高級そうな料理が置かれていた。香ばしい匂いを立てるステーキを、隣に座るジェルトルーデが切り分ける。

「ジルデ、手を切らない様に気をつけるのよ」

「分かってるわよ、お母様。ロベルト、これくらいの大きさで良いかしら?」

 頷きながら、一口大に切られたステーキを頬張る。溢れ出る肉汁とスパイスの聞いた旨味に、目を輝かせた。

「美味しい………‼︎」

「良かったわね、ロベルト。お父様にありがとう、って言うのよ?」

「ありがとう、お父様!」

「どういたしまして。お前の喜ぶ顔が見れて、父さんは嬉しいぞ。さぁ、今日は遠慮せず食べてくれ!何と言っても、今日は−−−−」

 父親と名乗る男が言葉を紡ぐ中、目の前に広がる景色がぼやけていった。その景色は次第に、レストランからマンションの一室へ切り替わる。記憶はさておき、懐かしい気持ちになったのか、ロベルトは悲しそうに微笑んだ。

(夢、か………そうだよな………姉さんも、親父も、お袋も………あの夢の中で現実に居るって確信出来るのは、俺しか居ねぇ………)

 時刻は午前5時。エスプレッソを胃に流し込み、身支度を整えて任務に向かう準備を始めた。




 時刻は午前9時、シチリア島東部のカターニアにある高級ホテルにて。

 ロベルトとドナテロはシェフ、テオとオスカルはウェイターとしてレストランに潜入していた。テオとオスカルがホールで接客の練習をする中、ロベルトはドナテロと共に厨房で料理の練習をしている。先輩シェフに指示されて冷蔵庫から材料を取ったところで、ロベルトは質問をされた。

「そういや、ボウズ。名前はなんて言うんだ?」

「………ロベルトだ」

「ロベルトっていうのか、良い名前だな」

「つーか………このホテルに泊まってる奴、こんな良いものばっかり食ってるのかよ」

「ロベルト、口を動かす手間があったら手を動かせ」

「………おう」

 ドナテロに注意を受けると、シェフの1人が笑いながら言った。

「知り合いか?」

「………あぁ」

「しっかしまぁ、大変だな。見る限り、あんまり料理したことねぇだろ?」

「大抵は、食えるかどうか怪しい奴ばっかり食ってたからな………火加減も一口大って奴も、何も分からねぇんだよ」

 そう言いながら魚に直接包丁を入れようとした瞬間、シェフが焦った様子で指摘をした。突然腕を掴まれたため、ロベルトは少々驚愕した様子になる。

「ロベルト、魚は鱗を取ってからじゃないとダメだぞ!そのままじゃ硬くて捌けないからな!」

「そういうことは早く言えよ………」

「本当に料理をしたことがないんだな、お前………ま、まぁ、シェフになろうっていう意思はあるから大丈夫そうだな!」

 苦笑いを浮かべる先輩に、ドナテロは深い溜息を吐きながら言った。

「大丈夫か、あいつ………どう抗っても人選ミスだと思うんだが………」

「おっ、ドナテロは良い感じだな。物覚えが良くて助かるぜ」

「昔から料理をよくしていましたからね。親の代わりに、弟達に作ることがあったので」

「へぇ、良い兄ちゃんだな」

 楽しそうに家族の話をするドナテロと先輩に、ロベルトは魚を捌きながら目を伏せている。そんな中、ロベルトの後ろにあるキッチンから甘い匂いが漂い始めた。苺と牛乳の匂いに、思わず目を輝かせながら問い掛ける。

「甘そうな、良い匂いだ………ドナテロ、何作ってるんだ?」

「苺のジェラートだ」

「ジェラート………」

「なんだ、ロベルト。食ったことねぇのか?」

「いや………1回だけある。それ以降は全くねぇけどな」

 その声色はどこか暗く、冷たかった。感覚は覚えていても、明確な状況が思い出せずに居る。そんなロベルトを心配する様に、ドナテロが言う。

「ロベルト………レストラン絡みで何か嫌なことでも思い出したのか?」

「………そういうのじゃねぇよ。何でもねぇ」

「………何があったのかは知らないが、あまり根を詰め過ぎるなよ」

「あぁ………気を付けるぜ」

 この日は白身魚のアクアパッツァと、苺のジェラートを作った。




 料理の練習を終えたところで、ロベルトはドナテロと共にアジトに戻っていた。沈黙が流れる中、ドナテロが話を切り出す。

「オスカルとテオから聞いたんだが………記憶喪失、というのは本当か?」

 ドナテロの発言に、ロベルトは目を伏せながら頷いた。本当だったのか、と言う様に目線を向けながら、ドナテロは言う。

「………何があったのか教えてくれ」

「………なんでだよ」

「ダニエーレさんの部下で、お前の仲間だからだ。勿論、誰にも言えない秘密だってあるはずだ。それは別に良い。だが………記憶というのは、自分の在り方や行動に大きく影響を与えるものだ。記憶があれば、嬉しい出来事を思い返して仲間と共有したり、失敗した経験を思い返して対策をすることが出来る。それくらい、記憶は大切なものだ」

「お前、明らかに俺に興味ねぇって面してただろ」

「そりゃあ、初めは特に興味もなかったさ。ただ、俺の後輩が増えた、それだけだと思っていたんだ。だが………妙に気になってな」

 腕を組み、疑う様に手を口元に当てる。

「何故、ボスやダニエーレさんがお前のことをやけに気に入っているのか。それが気になったんだ。記憶喪失なら何とも言えないかもしれないが、過去にマフィアと関わったことはないんだろう?」

「あぁ………俺から関わったことも、マフィアの方から関わってきたこともねぇ。精々、事件に巻き込まれたくらいだ」

「事件?」

 ドナテロが問い掛けたところで、ロベルトは記憶を失うきっかけになった事件について説明をした。その事件について追っている、と説明を受けたところで、ドナテロはなるほどと言う様に頷く。

「その事件で、お前の姉がマフィアに連れ去られたのか………両親はどうなったんだ?」

「分からねぇから探してんだよ。顔も、名前も、何もかも思い出せてねぇからな………生きてるかもしれねぇし、もしかしたら死んでるかもしれねぇ」

 目を伏せるロベルトに、ドナテロは肩に手を置きながら言った。

「………その捜査、協力しても構わないな?」

 そう言った瞬間、ロベルトは驚愕した様子になった。手を振り払い、鋭い視線を向ける。

「良い………そういうの、止めろ」

「お前の姉を探すためにマフィアに入ったんだろう。1人で闇雲に探して、危険な目に遭ったらどうするんだ」

「生憎、他人は信用出来ねぇんだ。ただでさえ記憶が飛んでるからな。幾ら同じチームの仲間だとしても、俺の事情に踏み込まれる筋合いはねぇ」

 ぶっきらぼうに言うと、ロベルトは足早にその場を立ち去っていった。アジトに駆け込み、エレベーターに乗って自分の部屋へ戻る。

(チッ………俺のことを分かった気になりやがって………どうせ、同じマフィアの人間なんだ………俺の事情を利用して嵌めようとするに違いねぇ………まぁ、今じゃ俺もマフィアの人間なんだけどな………)

 不信感と自己嫌悪が募り、表情が怒りと悲しみが混ざったもので歪んでいく。咥えた煙草を強く噛み、苦味を噛み締めながら火を点けた。




 一方、ドナテロはどうしたものかと考えながらベンチに座っていた。そんなドナテロに、テオとオスカルが声を掛けてくる。

「よう、ドナテロ!って、あれ?ロベルトはどうしたんだ?」

「あいつなら先に帰ったぞ。どうも、機嫌を損ねてしまってな………」

 溜息を吐き、立ち上がって再び歩き始めた。テオとオスカルが談笑をする中、ドナテロは2人に目を向けて言う。

「………警戒心が強い後輩の可愛が………じゃなかった、扱い方が分からないんだが、どうしたら良いだろうか」

 ドナテロの発言に、テオは苦笑いを浮かべ、オスカルは悩んだ様子になった。

「そうだなぁ………まずはやっぱり、信頼されることが大事だと思うぞ」

「現在進行形で警戒されてる奴が何を言っているんだ。全く………テオ、お前くらいじゃないか?ロベルトと仲良くしているのは」

「無理もないと思いますよ。記憶がなくても、本能は事件に巻き込まれたことを覚えていると思うんです。子供の頃に、それもマフィア絡みの事件に巻き込まれて家族と離れ離れになったなら、警戒心が強くなるのも当然ですよ」

「それにしても、突然どうしたんだ?さては………お前もとうとう後輩を可愛がる気になったんだな⁉︎」

「黙れ!お前と一緒にするな!とにかく………どうやって警戒心を解いて貰うかか考えているんだ」

 ドナテロが目を輝かせるオスカルを引き剥がしたところで、テオが閃いた様に提案をする。

「まずは身近な話題を話してみると良いと思いますよ」

「あいつの中での身近な話題は何なんだ………?芸能界の事情もカートゥーンアニメも知らん奴だぞ?」

「そこはまぁ、食べ物だろ」

「どう抗ってもそれしかないのか………まぁ、家族の話題は避けておいた方が良いだろうな」

 反省した様に言うと、ドナテロは2人と共にアジトに戻って行った。その表情には、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。

 

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