第2話
その一言に、ロベルトは思わず立ち上がった。瞳は見開かれ、冷や汗が流れている。顔から血の気が引く中、溜息を吐くレオーネに座らされた。
「しっかりしろ、ロベルト。ボスの話はまだ終わっていないんだぞ」
「部下………?俺が、アンタの………?」
「あぁ、そうだぜ。決断を下す前に、よく考えるんだ」
笑みから打って変わって真剣な表情を浮かべながら、説明を始める。
「今のお前は、果てしなく暗い闇の中に居る。真実を求める正しい方法を知らねぇまま、無我夢中に探ってるんだ。そんな方法じゃ、何年経とうがお前の姉貴は見つからねぇ。スラムで暮らし、スリやカツアゲをしてその日暮らしの生活をしてるままだとな。マフィアと一口に言っても、そいつ等は何万人も居る。俺とレオーネだってそうだ。組織だって何百、何千とある。そんな中から姉貴を連れ去った奴を、姉貴を連れ去った組織を自力で見つけるのはほぼ不可能に等しいぜ。警察も、マフィア絡みのことになると仕事をしなくなるからな」
コーヒーをゆっくりと胃に流し込み、ロベルトの震える手を取りながら優しく言う。
「お前が唯一把握しているのは、マフィアが絡んでいることだったよな?だったら、マフィアになって探れば良い。ただの貧民で居るよりも、マフィアになった方が何倍も情報が入って来るからな。お前が求めている世の中の闇が、全て詰まっている。殺人事件、強盗事件、抗争………そんな事件の情報だって腐る程ある。その中から探して、記憶の断片を繋ぎ合わせろ。嫌ならそれで良い。ただし、老いぼれた爺さんになっても姉貴を探し続ける根性と覚悟があるならな」
ヴェネリオの言葉を耳に入れ、思考を巡らせ始めた。姉を奪った、忌まわしいマフィア。そのマフィアに、自分はなろうとしている。果たしてそれは、行方を探し求める姉や、共に生きてきたスラムの仲間達に許されることだろうか。ロベルトの良心と、真実を強く求める意志が思考の中でせめぎ合っている。
(マフィアは嫌いだ………なんて言ったって、姉さんを奪ったんだからな………だが、俺1人でマフィアに立ち向かえるのか?例えスラムの奴等のつてがあったとしても、分かる情報は明らかに少ねぇはずだ。それに、無闇に探れば、逆にあいつ等が殺される事態になりかねねぇ)
目の前には、回答を気長に待つボスと、無表情ながらも急かす様に睨んでいる右腕が居る。人生を賭けた決断に恐怖するロベルトに、ヴェネリオが安心させる様に言った。
「マフィアっていうのは、家族も同然だ。だから、仲間が傷付けられた時は必ず敵に罰を与え、成果を上げた時は共に喜ぶ。裏切らねぇ限り、それが揺るぐことはねぇ。家族っていうのは、直系の血で繋がった、何者にも変えることの出来ねぇ関係だ。お前が仲間になれば、俺や他の構成員がお前を守ってやることも出来る。そう、仲間になればな。情報も沢山入って、裏切らねぇ限り報復も何も心配しなくて良い。なぁ、ロベルト。これ以上に良い条件はねぇだろ?」
ヴェネリオがそう言った瞬間、ロベルトの中にあったわだかまりが解けた。顔を上げ、縋る様に問い掛ける。
「アンタ等の仲間になれば………姉さんを取り戻せるのか?」
「それはお前の働き次第だ。だが、少なくとも、今より真実に近づくことが出来るぜ。さて、ロベルト・チェルレッティ。アルヴェアーレの一員になるなら、俺の手を取れ。なりたくねぇなら、今すぐこの店を出ろ。どちらにしろ、俺はお前の意思を尊重するぜ。今回だけはな」
目の前に差し伸べられた手は、言うなれば地獄への入り口だ。ヴェネリオ達の様に、自らの手を今よりも重い罪で染めることになるからだ。だが、それこそが最も最良の道なのだと、ロベルトは察していた。
(これは姉さんのためだ。心まで、マフィアに染まる様な真似はしねぇ。絶対にな)
自分に言い聞かせる様に心の中で誓い、ヴェネリオの手を取った。それと同時に微笑みを向けられ、皿が取り下げられたテーブルに1枚の紙と万年筆が置かれる。
「決まりだな。だが、こういったことは口約束で済ませるものじゃねぇ。下に自分の名前をサインしろ。署名がされたら、お前はアルヴェアーレの一員として認められる」
誓約書にサインをし、レオーネに返す。先程までは不機嫌だったレオーネも、うっすらと笑みを浮かべていた。
「さて、これからの話だ。今回のことは、幹部達に伝えておく。レオーネ、あいつ等に伝えろ。「明日の午後2時、俺のアジトに来い。良いニュースが入った」ってな」
「承知しました」
「ロベルト、明日の午後2時15分に此処に来い。なに、入り口で待ってくれれば大丈夫だ。ただし、遅刻は厳禁だぜ。それと1つ、大事なことがある」
サインの入った誓約書を満足気に眺めた後、ロベルトの瞳を真っ直ぐ見据える。
「マフィアになったからには、アジトに住んで貰わなきゃならねぇ。此処に来る時は、最低限の荷物も一緒に持って来い。身分証明書や通帳の類をな」
「………やっぱり離れなきゃならねぇんだな、スラムの奴等と」
「当たり前だろ。あの誓約書にサインをした時点で、お前はアルヴェアーレの人間だ。これからはスラムを捨てて、俺の部下として生きるんだからな」
ロベルトが覚悟を決めた様に頷いたところで、ヴェネリオとレオーネは席を立った。
「待ってるぜ、ロベルト。明日は歓迎会だ。上等なスーツも何もかも用意してやるから、絶対に遅刻するんじゃねぇぞ」
忠告をしたところで、ヴェネリオとレオーネは店員に数枚のリレ札と硬貨を押し付けてレストランを後にした。堂々と立ち去る2人に目を奪われながらも、ロベルトは覚悟を決めた様に頷く。2人の姿が見えなくなったところで、レストランを後にした。
その夜。
ロベルトは隣人や友人、子供と共に食事をしていた。4個のパンを子供達に分け、自分は具のないスープを啜りながら会話に耳を傾ける。
「そういや、ロベルト。姉ちゃんの手掛かり、何か見つかったか?」
「いや、何も見つからなかった。だが、その代わり………少しでも姉さんに近づく手掛かりを見つけるチャンスが来たぜ」
その発言が出ると同時に、全員の目がロベルトに向く。期待に満ちた目を向ける人々に目を伏せながら、ロベルトは口を開いた。
「俺………マフィアに入ることになった」
その言葉に、それぞれ思い思いの反応が返る。大人は驚愕と動揺が入り混じった表情を浮かべ、子供は恐怖で涙を流す。無理もねぇ反応だな、とロベルトは感じた。一般人は勿論、政界の大物や警察すら恐怖に陥れて支配するマフィアの一員になることに、驚きや恐怖を感じない者は居ないだろう。少女が涙を流しながら問い掛けた。
「どうして………?どうして、ロベルトお兄ちゃんは………マフィアに入るの………?」
「煙草をスろうとした奴がマフィアのボスだったんだよ。そいつが言ったんだ。「ただの貧民で居るよりも、マフィアになった方が何倍も情報が入って来る」ってな」
「確かに、闇雲に探したって時間だけが過ぎるものだしね………」
「俺は姉さんを探しているが………それと同時に、親父とお袋のことも探しているんだ。10年前のあの日、何があったのか………その答えを見つけるまで、死ぬわけにはいかねぇ。そりゃあ、お前等の気持ちも良く分かるぜ。俺だってマフィアは嫌いだ」
ジェルトルーデと、顔も思い出せない良心を脳裏に浮かべながら、ロベルトは語る。
「でもな、時には割り切らねぇといけねぇ時があるんだ。いつまでもスラムに居たら、永遠とその日暮らしが繰り返されて、姉さんと親父とお袋の手掛かりを見つける余裕すらねぇ毎日が繰り返されるだけだ。まぁ、マフィアになっても生活の質は変わらねぇかもしれねぇが………今よりはマシになると思うぜ」
夜風を身に浴びながら、ロベルトは寂しそうに目を伏せた。
「だから、暫く此処には戻って来れねぇ。それどころか、今日で俺の顔を見るのも、俺と話すことも最後になっちまうかもな。何にしろ、拠点がパレルモにあるんだ。幾ら同じシチリアにあるって言っても、俺達みてぇな人間にはそう簡単に行ける距離じゃねぇよ。それに、お前等を巻き込む真似はしたくねぇしな」
スープを飲み干し、煙草に火を点けながら微笑む。大人びた笑みを浮かべ、煙を吐いて言った。
「明日の朝には出て行くぜ。お前等、寂しいからって会いに行こうとすんじゃねぇぞ」
「おう!お前こそ、俺達のこと忘れんじゃねぇぞ!」
「お兄ちゃん、本当に行っちゃうの………?」
「だから行くって言っただろ?ほら、そんなに泣いたら綺麗な目が真っ赤になっちまうぜ。お前には笑顔が1番似合うんだから、笑って送ってくれよ」
涙を流す少女の頭を優しく撫でると、煙草の火を消した。初夏の風に乗って燻り、消える煙を眺め、友人達に別れを告げて自宅に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます