血染めのロベリア
須王要
プロローグ
第1話
1985年の夏、イタリア共和国に属するシチリア島のスラム街にて。
夜空に星が瞬く中、一人の青年がカツアゲをしていた。怯える男から奪った札を、声に出しながら数えていく。
「1、2………3000リレか。まぁ充分だな。おい」
「は、はい………?何でしょう………?」
「都会の方で、マフィアに連れ去られた女を見なかったか?」
「い、いえ………私は、何も………」
「そうか、なら良い。とっとと帰れ」
ぶっきらぼうに言う青年に頷くと、男は足早に去って行った。住宅街を歩きながら、青年、ロベルト・チェルレッティは深い溜息を吐く。ジーンズのポケットにユーロ札を押し込み、自宅の玄関に座る。と同時に、陽気な声が隣の住宅から聞こえてきた。
「ロベルトー、姉ちゃん見つかったかー?」
酒に酔っているらしい男に首を振り、愚痴を溢す。
「いや、何も見つからなかった。今日聞いた奴等全員、そんな奴は見てねぇって言ってる。さっきカツアゲした奴もそうだ。ったく………どいつもこいつも役に立ちやしねぇ」
ロベルトには、ジェルトルーデという生き別れた姉が居る。そんなジェルトルーデを探す為に、ロベルトは様々な人々に聞き回っているのだ。煙草に火を点け、煙を燻らせながら青色の瞳を伏せる。
「明日はパレルモに行ってみる。姉貴を探す為なら、俺は何だってするぜ。記憶が一部飛んじまってるが………それでも、俺の記憶の中に姉貴は居る。何処かで生きてる筈だ………マフィアにでも殺されてねぇ限りはな」
「ロベルト、気を付けろよ。此処もかなり治安は悪ぃが、シチリアにはマフィアが大量に居るからな」
隣人の言葉に頷きながら、物思いに耽る。ロベルトの脳裏には、生き別れた姉の姿が鮮明に残っていた。ある事件をきっかけに、ロベルトは幼少期の記憶をほとんど失っている。唯一覚えている事は、ジェルトルーデの姿と思い出だけだ。しかしその記憶も、歳を重ねるごとに薄れている。金色の長髪を風に靡かせ、優しく名前を呼ぶ少女。何年も時が経ち、少女の面影は消えているかもしれない。
だが、それでも構わない。姉が無事に戻ってくるなら、姿の変化など取るに足らない事である。
煙草の火を消すと、自宅に入って遅い眠りについた。
翌日、パレルモにて。
ロベルトは朝からスラム街を出て、シチリア州の州都であるパレルモに来ていた。活気に溢れ、人々が多く行き交う街に気圧されそうになる。
(凄ぇ、スラムとは全然違ぇな………つーか………げっ、煙草がねぇ………完全に入れ忘れたな………スるか)
躊躇う事なくスリを決断し、銀色の短髪をしたスーツ姿の男にこっそり近付く。高級そうなバッグに手を伸ばした瞬間だった。その男が即座に振り向き、ロベルトの右手首を掴んだ。
「スリか………随分無謀な事するじゃねぇか」
「テメェ………⁉︎いつ気付いたんだよ⁉︎」
「数秒前だ。何となく気配を感じたんだよ。だが、よく此処まで近付いたな」
男が薄く微笑む中、仲間と思わしき男が声を掛けてくる。
「ボス、何をなさっているんですか?」
「俺の財布をスろうとしたガキが居たんだ。そいつを捕まえてただけだぜ」
「スリだと………⁉︎貴様、ボスになんて無礼を働いたんだ‼︎」
「落ち着け、品がねぇぞ。おい、ガキ」
「………なんだよ」
「スラムに住んでるのか?」
男の問いに、ロベルトは舌打ちをして頷く。スリがバレた事で気が動転しているのか、目線は上へ下へと落ち着きなく泳いでいた。
「だと思ったぜ。この辺りでスリをする奴の大半は、金に困ってる奴等だからよ」
「偉そうな口聞きやがって………何者なんだ、テメェは」
「あぁ、名乗ってなかったな。ヴェネリオ・ペナルディーニだ。職業としては………マフィアのボス、といったところだな」
ヴェネリオの発言に、ロベルトは思わず瞳を見開いた。目の前に居る男が、姉を連れ去った忌々しいマフィアの人間であることに手を震わせる。しかし、恐怖を堪えて問い掛けた。
「何がお望みだ。金か?」
「いや、俺が欲しいのは金じゃねぇ。新しい部下だ。此処最近、警察が俺達マフィアとの癒着を止めつつあるからな………構成員が次々に逮捕されてんだよ。まぁ、逮捕された奴の中には我が身惜しさに俺を売ろうとした裏切り者も居たがな。お前、アルヴェアーレって知ってるか?」
「………名前は知ってるぜ。シチリアの中で1番強ぇマフィアだろ」
「その通りだ、その辺りは知ってるみてぇだな。スラムで暮らす奴の中には、マフィアの脅威すら知らねぇバカも居たからよ。で、本題に………」
ヴェネリオが話を続けようとした瞬間、ロベルトの腹の音が鳴った。二人の耳にも届く程響いた音に、羞恥心で顔を赤らめそうになる。
「1時か。昼飯には丁度いい時間だな。スラム暮らしなんだ、死ぬ程腹が減ってんだろ?行きつけのレストランテがある。着いて来い」
堂々と歩き出すヴェネリオとその側に着くレオーネの後を追って、ロベルトはレストランに向かった。
昼食の時間とあってか、レストランには大勢の人が居た。皆思い思いに食事と談笑を楽しむ中、店員の1人がヴェネリオの姿を見て怯える。
「此処はアルヴェアーレの傘下でな。毎月金を貰ってんだよ。いわゆる、みかじめ料って奴だ」
席に着き、メニュー表を眺めながらロベルトに問い掛ける。機嫌が良いのか、口元はかすかに上がっていた。
「さぁ、ロベルト。好きな物を頼め。今回だけは特別に、俺が奢ってやるよ」
「お優しいですね、ボス。いつもは私に払わせているのに」
「スラムのガキが大金を持ってる訳ねぇだろ、慈悲だぜ。それに、こいつはまだ構成員じゃねぇしな。何でも良いんだぜ?ピッツァでもパスタでも」
「………食えれば何でも良い」
「随分と適当だな、お前。そうやって他人に委ねたらダメだぜ?まぁ良い………レオーネ、イワシのパスタとマルゲリータを頼め。コーヒーもな」
「ボスはどうしますか?」
「いつものパスタと、オレンジのサラダだ。レオーネもあれで良いな?」
「えぇ、勿論です」
それぞれ料理を注文した所で、ヴェネリオは話を切り出した。表情はどこか重く、真剣味を帯びている。
「さて、少し俺の話をしよう。俺はアルヴェアーレファミリーの8代目ボスだ。構成員は、レオーネと幹部を含めておよそ500人。シチリアじゃ知らねぇ奴は誰も居ねぇ、泣く子も黙るマフィアだぜ。合法な事から違法な事まで何でも手を染め、シチリアを裏で支配してるんだ。人も殺すし、麻薬だって売る。ただし、売春だけは御法度だ」
運ばれてきたボンゴレビアンコを食しながら、食事に手を付けずにいるロベルトに溜息を吐く。遠慮するなと言う様にピザを指差し、ロベルトがピザを切り分け始めた所で問い掛けた。
「大体分かったか?分かったならそれで良い、次はお前が話す番だ。俺を相手にスリを働こうとしたんだ、何かしら目的があるんだろ?」
「アンタがスリのターゲットになったのはたまたまだ。最初から狙うつもりなんか、これっぽっちも無かったんだよ。あぁ、でも………アンタがマフィアのボスって分かったなら、目的が出来たな」
小麦の味を噛み締めながら、ロベルトは二人に問い掛ける。
「話の前に一つ質問だ。10年前に、マフィアに連れ去られた女を見なかったか?」
真剣な表情で問い掛けるも、二人は黙ったままサラダとピザを食している。話を聞いていないのか、と苛立ちながらテーブルを人差し指で叩き始めた。
「答えろ。10年前に、マフィアに連れ去られた女を見なかったか?」
「候補が多過ぎて答えられねぇな。連れ去られた女はどんな奴なんだ?」
「ジェルトルーデ・チェルレッティ。俺の姉貴だ」
「ほう、お前の姉か………だが、名前に聞き覚えはねぇな。何故そいつについて聞いたんだ?」
人々の談笑する声と料理をする音をBGMに、ロベルトは語る。
「10年前………俺と、俺の家族はある事件に巻き込まれた。マフィア絡みの事件だ。その中で、姉貴はマフィアに連れ去られた。だが………どんな事件なのかは、正直に言ってよく覚えてねぇ」
「マフィアが関係しているとなると、ニュースで大きく報道される筈だが………さては貴様、記憶喪失か?」
「そうだ。医者にもそう言われたから間違いねぇ。俺が覚えているのは、姉貴の姿と思い出と………姉貴が連れ去られた事だけだ。親父の事も、お袋の事も、俺は何も覚えてねぇ。気が付いた時には、バゲリーアのスラムで暮らしてた。俺を拾ってくれた爺さんと婆さんと一緒にな」
コーヒーを一口飲み、目を伏せる。ロベルトの脳裏には、在りし日のジェルトルーデの姿が浮かんでいた。砂浜を走り、素足を水に漬けて手招きする。ジェルトルーデの居る方へ向かう幻が浮かぶ中、レオーネの怒声が耳に入った。
「何をぼーっとしているんだ、貴様!話を続けろと言ったのが聞こえなかったのか⁉︎」
「レオーネ、落ち着け。耳元で怒鳴るな」
「申し訳ございません、ボス………ロベルト、姉の事は良く分かった。要するに、貴様は姉を取り戻す為に先程の質問を人々に聞き回っているという事で良いな?」
「あぁ。無謀な事なのは良く分かってるぜ。手当たり次第に聞き回っても、姉さんの手掛かりが見つかる保証はねぇしな。だが………俺は記憶を失っている。そんな中で頼れる奴なんか、誰も居ねぇんだよ。スラムの奴等に頼んで、つてを辿って探して貰ったりもした。結果は無駄に終わったぜ。何にしろ、10年も前の話だ。よっぽどの事がねぇ限り、覚えてる奴は居ねぇ。俺だって覚えてねぇんだからな」
悔しさで怒鳴りたい気持ちを抑えながら、ズボンの裾を強く掴む。そんなロベルトの話に、ヴェネリオはなるほどなと頷きながら言った。
「自分の家族を取り戻す為に動く執念………気に入ったぜ。ロベルト」
ロベルトを見据えながら、ニヤリと微笑む。
「俺の部下になれ」
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