第3話

 階段を駆け降りる足音が響き終わると同時に、Tシャツとジーンズという格好でオスカルが現れた。息を切らし、エントランスの椅子に座る。

「ごめんね〜、オスカル。急に入ったんだ。任務終わって間もなかったでしょ?」

「えぇ、まぁ………急過ぎるんですよ、その………」

「息切れしてるところ悪いんだけど、話を始めるよ。よーく、俺の説明を聞いていてね」

 ホチキスで留められた資料をひらひらと動かしながら、ダニエーレは話を始めた。

「今回の任務は、政治家さんの暗殺だよ。元からアルヴェアーレと関わりがある政治家さんでね、事件の隠蔽を手伝って貰ってたんだ。逆に、俺達で手伝うこともあったね。色々、闇金とかそういうドス黒いことをしてる人なんだけど………ちょっと、いけないことをしてしまってね。俺達の方で殺すことになったんだ」

 薄く微笑みながら、ダニエーレは資料を見せる。ダニエーレが立てた殺害計画とターゲットの写真、ターゲットを殺害する場所などが事細かく記されていた。

「いけないことって言っても、他の政治家さん達にアルヴェアーレとの関係性を疑われただけだよ。だけど、それで警察のお世話になって、裏切られるわけにはいかないからね………ボスのためにも、殺さなくちゃいけなくなったんだ」

「で、どうやって殺すんだ?」

「気合が入ってるねー、ロベルトちゃん。ボスのつてを辿って入手したスケジュールを元に立てた計画だと………明日の午後8時に、その政治家さんがパレルモのマッシモ劇場から出てくるんだ。オペラを鑑賞するらしいよ。で、上映が終わった後………午前2時に劇場から出たところを襲って殺害、って感じかな」

 ダニエーレの説明にテオとオスカルは頷くも、ロベルトは小首を傾げている。資料を眺めながら、ロベルトは質問をした。

「なぁ、マッシモ劇場ってなんだ?」

「ロベルト、知らないのか?ヨーロッパじゃ有名なオペラ劇場だぞ?」

「知らねぇよ、生まれてこの方まともにオペラなんか見たことねぇんだ。ほんの1回だけしかな」

 そう言いながら、ロベルトは過去のことを思い返している。脳裏には、自分の手を引く姉の姿が浮かんでいた。

『ロベルト、何してるの?ほら、オペラを観に行くわよ!もう、お父様もお母様も行ったわよ?ロベルトの好きな音楽が流れるんだから、きっと楽しいに決まってるわ!」

 強く腕を引き、姿も思い出せない両親の元に駆け出すジェルトルーデの姿が思い浮かんだのか、ロベルトは目を伏せて呟く。

「………姉さん………」

 そんなロベルトに、ダニエーレ達は心配そうに目を向けていた。ぼーっとしていると思われたのか、オスカルに体を揺すぶられる。

「ロベルト、大丈夫か?」

「あぁ、悪ぃ………ぼーっとしてただけだ。少し、ガキの頃を思い出してな………話を続けてくれ」

「じゃあ、続けるね。殺害方法は拳銃かナイフ。上手く当てないとちゃんと殺せないから、油断しない様にするんだよ。あ、ターゲットについて話してなかったね」

 資料を捲り、顔写真と名前などの情報が書かれた紙を3人に見せる。写真には、白髪頭の中年の男が写っていた。

「いかにも汚職してます、って顔ですね。流石はマフィアの関係者だ」

「オスカル、観察眼があるね。事実、この政治家さんは汚職まみれだよ。何度も引き摺り下ろされそうになったけど、何故かしぶとく政界で生きてるんだよね。名前はコジモ・アンジェルッチ。年齢は65歳だよ」

「コジモ………テレビで見たことがありますね」

「あ、そうそう。この人、ボディーガードを2人連れて来るみたいだから注意してね。だから、ボディーガードの対処も同時にしなくちゃいけないんだ。そのために3人の人員を用意したんだよ。割り振りとしては、コジモはロベルトちゃん、ボディーガードはテオ君とオスカルってところかな」

 説明を終えたところで、ロベルトはダニエーレに問い掛けた。

「なぁ………これ、上手く行くのか?オスカルとテオは良いにしても、俺は初任務だぞ」

「それは君次第だよ、ロベルトちゃん」

 ロベルトを見据え、真剣な表情を浮かべて話を始める。飄々とした態度から一転し、冷酷な態度と声色になった。

「俺はね、ロベルトちゃん。君に期待してるんだ。なんと言っても、ボスが直々に引き入れて俺のチームに配属させてくれたんだからね。ボスは君のことを気に入ってるみたいなんだ。加入のきっかけがなんだろうと、君を信頼して仲間に引き入れたことには変わりないよ。その信頼を裏切れば、君は自分の首を絞めることになる。スラム出身だから、世間知らずだからって自分を卑下する必要はないんだよ。自信を持って。殺すための知識と技術を身に付けたなら、後は自分を信じて神に祈るだけだからね」

 そう言い終えたところで、陽気な笑みが戻った。表情がコロコロと変わるダニエーレに、ロベルトは苦い表情を浮かべる。

「アンタ………笑ったかと思えばすぐ怖い顔するよな」

「まぁ、伊達にチームのリーダーやってないからね。威厳がないと、問題児ばっかりのチームなんてまとめられないよ?」

「何つーか、信用ならねぇし胡散臭ぇんだよな………アンタ、初対面の時遅刻してたしよ」

「えぇっ⁉︎ロベルトちゃん、俺のことそんな目で見てたの⁉︎」

「いつもサングラスかけてニヤニヤしてるし………何考えてるか分かんねぇのが不気味なんだよ。表情が読めねぇっつーか」

「ロベルト、慣れるんだ。ダニエーレさんが胡散臭いのは今に始まったことじゃないからな」

 ロベルトとオスカルの発言にダニエーレが落ち込む中、テオが質問をした。

「あの、ダニエーレさん。殺した後の死体はどうするんですか?」

「死体は別に待機してる人達が回収するよ。ボディーガードも殺したら、それも回収だね」

「………仮に失敗したらどうすんだ?」

「失敗だなんて、ロベルトちゃんは変なことを言うねぇ。失敗なんてあり得ないし、許さないよ。まぁ、別の人達に担当させて殺すってところかな。だって、そうしないとコジモの裏にアルヴェアーレが居ることがバレて、チームの人達や他の構成員が逮捕されちゃうでしょ?幾ら警察の一部も協力して隠蔽してるって言っても、それが万能とは限らないからね」

 笑みを浮かべながら、ダニエーレは残酷な言葉を吐く。テオは少し怯え、オスカルはやれやれと言う様に苦い表情を浮かべている。そんな2人に、ロベルトは心の中で呟いた。

(残酷な奴だって思ってんのは、俺だけじゃなかったんだな………まぁ、幹部なら怖くても無理ねぇか………)

 しかし、怯える表情も苦い表情もせず−−−−ロベルトは唯、無表情でダニエーレの説明に耳を傾けた。




 時刻は午前2時、マッシモ劇場にて。

 ライトアップがされた劇場の階段で、3人はダニエーレと通信をしていた。劇場の入り口に目を向けながら、コジモの出現を待つ。

『コジモ、来た?』

「いや………まだだ」

「コジモは何を見たんだろうなぁ。『アイーダ』か?」

「いえ、『蝶々夫人』かもしれませんよ。後は『魔弾の射手』もあり得そうですね」

「さっきから何話してんだよ………」

『オペラだよ、ロベルトちゃん。『アイーダ』と『蝶々夫人』、『魔弾の射手』っていう作品があるんだ。クラシックの作曲家が作っててね、『アイーダ』はヴェルディ、『蝶々夫人』はプッチーニ、『魔弾の射手』はウェーバーっていう人が作ったんだよ』

「知るかよ………そういう話は後にしてくれねぇか?」

『あぁ、ごめんね。テオ君がオペラの話してくれたから、つい話したくなっちゃって………』

 ダニエーレが申し訳なさそうに言う中だった。ターゲットのコジモがボディーガードらしき2人の男を連れて現れた。傲慢な顔で階段を降りるコジモに、ロベルトは小声で言う。

「来た…………!あいつ等か!」

『おっ、来たみたいだね。じゃあ、3人とも………健闘を祈るよ。終わったら連絡してね』

 通信が切られたところで、ロベルトはひっそりとコジモの背後に回り込んだ。テオとオスカルに手招きし、それぞれ背後につく。目を合わせて頷くと、ロベルトはコジモの首をナイフで切った。コジモが血を流しながら倒れると同時に、ボディーガードがロベルトに掴み掛かろうとする。しかし、それをテオとオスカルが防いで銃を撃った。1人は胸と頭に命中し、そのまま倒れる。一方、もう1人はロベルトに掴み掛かって地面に押し倒し、顔を一発殴って拳銃を頭に突き付けようとしていた。引き金が引かれそうになったところで、テオに頭を撃ち抜かれる。

「ロベルト、大丈夫………⁉︎」

「あぁ………顔に1発喰らったが、これくらいならまだ大丈夫だ」

 冷静に言いながら、ロベルトはコジモとボディーガードの死亡を確認していた。ボディーガードは1ミリも動いていないが、コジモは手を振るわせながら動こうとしている。

「頸動脈って奴を狙ったんだけどな………外しちまったか」

 冷静に言いながら、ロベルトはコジモの頭を拳銃で撃った。血の匂いと硝煙の匂いに顔を顰めながら、ダニエーレに電話を掛ける。

「………終わったぜ」

『お疲れ様。よく頑張ったね、ロベルトちゃん。後は別の人達の方で死体を回収するから、戻って来てね』

「………分かった」

 端的に返事を返すと、ロベルトは2人を連れてダニエーレの居る路上へ向かった。




 マッシモ劇場から暫く歩いたところで、赤色のフェラーリが目に入った。ロベルトとテオが後部座席に、オスカルが助手席に乗る。

「お疲れ様!怪我してない?」

「ロベルトが顔を殴られましたけど、それ以外は大丈夫です」

「じゃあ後で治療しなきゃね。テオ君とオスカルは大丈夫?」

「大丈夫ですよ、寧ろ怪我がこれだけで済んでびっくりです。いやぁ、見るからに屈強でしたね、あのボディーガード。俺もあれくらい鍛えた方が良いかな………」

「オスカルさんは今くらいが丁度良いと思いますよ」

 テオが苦笑いを浮かべる中、左肩に何かがのしかかった。隣を見ると、ロベルトが今にも寝そうな様子で瞬きをしている。ゆっくりと瞬きをするロベルトに、テオは言った。

「ロベルト、疲れた?」

「いや………まだ、大丈夫だ………」

「眠いなら素直に寝た方が良いよ。初めての任務だし、疲れるのは無理もないからね」

「もし何かあったらどうすんだよ………起きておかねぇと、やべぇ奴が来たら抵抗出来ねぇじゃねぇか………」

「此処にそんな人なんて居ないから、大丈夫だよ」

 テオが安心させる様に言うも、ロベルトは警戒心を向けたまま眠気に抗っていた。

 こうして、初任務は無事に成功した。




 翌日、時刻は午前9時。

 ロベルトはダニエーレに昨日受けた傷を診て貰っていた。氷嚢を外し、湿布を貼られる。「結構軽い打撲みたいだから、数日湿布を貼れば腫れが引くと思うよ。軽傷で済んで良かったね、ロベルトちゃん」

「アンタ………怪我の診察出来るんだな」

「まぁ、任務が任務だからねぇ。一応闇医者さんとも繋がりはあるけど、それよりは俺に治療して貰う方が信用出来るって人達が大半なんだ」

「医者なのか?」

「一応医者の免許は持ってるよ。1度も使ったことないけどね!」

 陽気に言うダニエーレに、ロベルトは苦い表情を浮かべていた。どう言い返そうかと悩む中、エントランスに1人の女が入って来る。

「あら、ダニー。こんなところに居たのね」

 黒色のショートヘアを靡かせ、紅色のワンピースを着た女が声を掛ける。

「やぁ、カルメン。君こそ何してるの?」

「特に用事もなくて暇だから、此処に来たの。此処なら、確実にダニーが居るでしょ?」

 ダニエーレに笑みを向けた後、ロベルトに視線を向ける。アルヴェアーレに入ってからはほとんど女と関わりがなかったため、ロベルトは思わず女を見つめていた。

「この子が………貴方が言っていたロベルト君?」

「そうそう。折角だし、自己紹介してあげなよ。俺の部下だからね」

 ダニエーレが微笑みながら煙草に火を点ける中、女はロベルトに自己紹介を始める。

「初めまして。私はカルメン・デ・サンクティスよ。アルヴェアーレの構成員っていうわけじゃないけど………ダニーの愛人、ってところかしら」

「カルメン………それがアンタの名前か」

「そうよ」

「………ロベルト・チェルレッティだ。その………会うことがあるかどうかは分からねぇけどよ、会った時は宜しくな」

「えぇ、こちらこそ宜しくね」

 そう言って微笑む中、ロベルトは目を伏せていた。悲しそうな表情を浮かべるロベルトに、カルメンが心配そうに言う。

「ロベルト君、どうしたの?」

「いや………何でもねぇ。少し………姉さんのことを思い出しただけだ」

「お姉さんが居るのね」

「ただのお姉さんじゃないよ、カルメン。生き別れたお姉さんなんだって」

 ダニエーレから説明を受け、カルメンは複雑そうな表情を浮かべた。

「そう………そのお姉さんを探しているのね」

「俺がアルヴェアーレに入ったのも、姉さんと再会するためだ。10年探し続けてるんだ………絶対に諦めるわけにはいかねぇよ。それに………アンタを見てると、姉さんを思い出すんだ」

 寂しそうに言うロベルトに、カルメンは笑顔を向けた。

「ロベルト君、困ったことがあったら何でも相談して頂戴。例えば、ダニーにこき使われた、とかね」

「カルメン〜………俺そんなことしないよ〜………?」

「何言ってるのよ、散々あんたの部下に任務とは関係ない無茶なお願いをしてる癖に」

 ダニエーレを叱りながら、カルメンはロベルトから携帯を貰って操作をしていた。ロベルトに携帯を返し、話を続ける。

「私は時々にしか此処に来ないけど………マンションの近くに一軒家があるわ。あの水色のや屋根の家。そこに住んでるから、何か用事がある時はいつでも来て頂戴」

 ロベルトが素直に頷くと、カルメンは手を振りながらエントランスを出ていった。人当たりの良い笑みを向けられたロベルトを、ダニエーレは羨ましがる様な目で見ていた。

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