第5話 風邪の話

 杏奈は不機嫌だった。

 風邪を引けばそうもなろう。

 頭は痛いし、ぼやぼやと考えはまとまらないし、熱っぽくてきついし、とにもかくにも重めの風邪だ。

 

 昨日から調子が悪いとは思っていた。

 しかし年末であるし、生徒会の仕事はいくらかやっつけておくべきだったので、無理をしてしまったのだ。

 後悔先に立たずとは言うものの、程度が軽いうちはたいてい無視しがちである。

 杏奈の不機嫌はそれも原因だ。


 理由はまだ一つある。

 学校に行けないから杏奈は不機嫌なのだ。

 何も杏奈は「学校大好き! 学校命!」というやべー女ではない。

 ……訂正する。

 やべー女である。

 なにせ、生徒会選挙のときの「伝説」は彼女をやべー女と見做すに十分過ぎる。


 例えば、生徒会長になった暁には不登校を無くすべくリモート授業を導入する、そのためにハイスペックタブレットのリースを行うとマニフェストを掲げたことがある。

 そのハイスペックタブレットだが、起動時に校歌を元にしたジングルが長々と鳴り響く上にミュート不可というふざけた仕様にしようとしていたのだ。

 さすがに前生徒会長に止められたが。

 

 ともあれ、杏奈はやべー女なので今回の事態は不機嫌になって当然だった。


「……」


 母親に電話口でお見舞いしてもらい、父親にはメールで快癒祈願を受けた。

 杏奈は少しだけ気が楽になった。

 蚊のまつ毛の長さ程度ではある。


「……」


 筆者は先に、杏奈の不機嫌の理由を三つ挙げた。

 風邪そのもの、油断、学校への偏愛。

 しかしまだ挙げていないものがある。


 ブブブ、ブブブ、ブブブ。


 スマホが振動する。

 着信音が鳴り響くと頭も共鳴してぐわんぐわんするので、マナーモードにしてある。

 杏奈はイライラとスマホを起動する。

 電話のようで、まだ振動する。

 掛け手は、

「蛟くん……?」

 生徒会の書記だった。

 なお、蛟というのは姓ではなく名である。

 彼も彼でやべー男なのだがエピソードは割愛する。

 そして彼が不機嫌のもう一つの原因だった。


 杏奈は少し迷ってから緑のボタンにタッチした。

「すみません会長、大丈夫ですか?」

 蛟の不安げな声が聞こえてきた。

 うーん、と唸って、

「全然大丈夫じゃあないよお」

 と答える。

 蛟は困ったような声で、

「ああ……じゃあまた後で……」

 と言って切ろうとした。

 このやべー男にしては速い撤退判断である。

 杏奈は、

「どうしたの、わざわざ電話なんか」

 と話を促した。続けて、

「女子ボクシング部がまた壁に穴空けたのお?」

「いえ、今日はまだ」

「んじゃあ、書道部が良寛の贋作作ったとかあ?」

「いえ、それは未遂で阻止しました」

「だったらハム部が……」

「ハム部は今日つつがなく解散しました、無免許しかいなくなるので」

 ハムとは無線の何からしいが、杏奈も蛟も何であるかまでは説明できなかった。


 ともかく直近で面倒を起こしそうな連中を一通り挙げてはみたが、蛟たちによって問題は阻止されていることが多かった。

 では、この電話は何なのか。

 杏奈が訝しんでいると、

「あの、会長、昨日はすみませんでした」

 蛟が謝ってきた。

 ああ、彼も気にしていたんだ。

 杏奈は少し気が楽になった。

 

 昨日、生徒会で部活動の書類整理をしていたとき、会計上やべー箇所がいくつか見つかり、杏奈がいくつかの部には処分を猶予しようとしたところ、蛟は一律厳罰を求めたのだ。

 当然もめた。

 もう喧々囂々。

 おかげで仲裁にきた山葵菜先生は入れ歯が何度も外れ、ついには変形してしまった。


「やっぱり考えなおしたんです、何がこの学校にとって最善なのか」

「……そう」

「僕は、どう考えても一律厳罰しかないと思います」

 きっぱりと蛟は言いきった。

「そうだねえ、ちょっと私も頑固だったよお」

 杏奈が言った。

 よくよく考えたら壁に穴を空けるは良寛の書を偽造するはの治安が最悪すぎる部活が多すぎる。

 杏奈は自分の甘さを昨日から後悔していた。

「一律厳罰にして、部長副部長クラスは停学、部も一年は謹慎させようねえ」

「会長!」

「ありがとうね、少し気が楽になったよお」

「僕もです、会長! それでは!」

 蛟は元気よく電話を切った。

 お見舞いの言葉が一切なかったのが気になるが、杏奈は風邪の辛さがだいぶ和らいだように感じた。

 信賞必罰は元気の素であるなあ、と思いながら杏奈はまた体を休めに戻るのだった。

 

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