第1話 最初のターン 4:和子ー咆哮(2023.4)

「毎日残業、お疲れよー、母さん、ただいま。まだ寝てるー?」

 2023年4月21日。金曜深夜に私、数奇和子は自宅に戻り、寝室に呼びかけてみた。返事はない。深夜だから寝ていてもおかしくはないが、母は父が他界し葬儀を行った後以降、引きこもって寝ている。冷蔵庫からエナジードリンクを出し、キャップをひねって一息つこうとして、ふと見ると、留守電が光っている。


「和子さん、はじめまして。お父さんの弟の数奇幸寿です。ご連絡、本当に有難う。明後日10時頃、お宅に伺います。仏前に線香をあげさせてください。」


 はー。まったく年寄りってやつは。自分都合で人の家、訪問するなっつーの。

今の家の状況はCHAOSよ、カ、オ、ス。仏壇があって、そこに位牌があって静かに故人を悼むなんてのを期待するなら、半年先にしてほしいわ。そう思いながら、電話の横に目をやれば、病院の領収書の束やら、葬儀の書類やら雑多に置かれている。


 病院からのひきあげの荷物が片付かないのに、格好だけ素晴らしい、役に立たないお花もいろんな人、特にただの知り合いレベルから宅配便で無遠慮に送られてくる。今はネットで注文出来て、送る方は大変満足だろうけど、受け取る方は趣味でない大型の花は正直いらない。うちは狭いのだ。


 ああ、あれか、私が訃報の葉書を出すのが早すぎたのか。いろんなことを兎に角、片付けなきゃと必死でリストアップして、ついこなしていた。

 人の死を境に、その家族の行う作業のフェーズが突然ぶった切られ、次に移る。死までは当人をこの世界に留める看護と介護。死からは当人をこの世界から消す除籍と相続。家族の居る世界は急反転だ。


 正直、まだ、父が死んだという実感がない。葬儀の際は、やせこけた見知らぬ老人を埋葬した気がした。気を抜くと、まだ、最期に父の居た終末期医療専門の芭沫病院に行かなきゃと思う自分がいる。

 

***

 父寿和は、二か月間、中野下大学病院に入院していたが、その後、中野下の強い薦めで芭沫病院に移された。

「もう処置するところがないから」だそうだ。「まだ切るところがあれば、直せるところがあれば兎も角」というのと、「この病院は救急を扱うのだから二か月で出るのがセオリー」というのが中野下の通説らしい。最初に癌を見逃した妃土居医師は最後まで姿を現さなかった。


 父と母は芭沫への転院をかなり嫌がっていたが、私は、中野下自体が遠く、ぶっちゃけ、ろくな処じゃなかったんだから、家からも私の会社からも近いところにあるなら、よく知らないけど、芭沫でいいじゃないと思っていた。


 しかし、甘かった。芭沫は老人の墓場だった。

 看護師は一様にふわふわしていて、なにもしない。看護師達自体が、身も心も三途の川にいて、頭お花畑な感じを受ける。具体的に書こう。


 私と母が面会に行った際、担当の唖穂看護師はきゃっきゃと笑って、

「じゃあ、ご家族皆さん揃った処で記念撮影はどうですかあぁ。」

とはしゃいだ。

「皆さんねえ、あの辺でよく揃って写真撮影されるんですよぉ。」

マニュアル化された提案か。うちの父、よく見たか。しゃべったか。父は病院での哀れな姿を恥じているのに、何故記念撮影という発想になる。何の記念だ。死を楽しむレジャーランドか。


 芭沫は認知症の老人の世話をするのが日常業務の様で、頭も目も耳もしっかりしている父に対しても、全く同じ対応をする。要は、大声で、ものすごい子供言葉での、画一ぞんざいな扱いだ。確かに中野下から運ばれてきた父は、人工肛門でおむつをしていて、野暮な病院の寝間着を着せられ、入院疲れで一見すごく所謂ボケ老人っぽい。しかし、認知症とは無縁なのだ。

 頭がしっかりしているのに、子供をあやすような扱いをされると、ものすごく当人には苦痛だと思うが、それが看護だと思っているようだ。

 昨今、テレビや雑誌で、介護、即ち認知症とばかりに、認知症ばかりがクローズアップされているから、そればかりチューニングしているのではないかと思われる。


 ただ、仮に認知症だったとしても、だ。なぜ医療や介護に携わる人たちは、老人になめた口を利くのだろう。それが友愛の表現だと考えているのだろうか。なめた口をきくその人たちは、自分の親がそのように扱われて平気なのか。

 親に対して、自分は反抗的な態度をとることもあるかもしれないし、馬鹿にした口を利くかもしれない。しかし、それは共に生きた自分だからできることであって、他人にされる筋合いはない。目上の人に対する礼儀というのは、相手が65歳過ぎたらチャラになるのか。

 

 芭沫では、患者は個人として扱われているのではなく、おそらく大量生産の製品、コンテンツとして扱われている。

 芭沫での父は、何もしゃべらなくなり、見舞いに行ってもただただ、ベッドの上で丸まっていた。それでも、ちゃんと芭沫が病院として適切に面倒を見ているなら、高額の費用も払う価値があるだろうと思っていた。冷蔵庫の中の大量のゼリーを見るまでは。


 父の一番の望みは食べることだった。なのに、看護師は毎日三回机の上にひとつゼリーを置くだけで食べさせもせず、全く手が付けられていないゼリーを一定の時間の後は冷蔵庫の中に無造作に放り込み、何日か経って溜まったらそれらを処分しているだけだった。


 問い詰めると、唖穂看護師が

「もう、舌で味を感じることしかできなくて、消化はできないんですう。」

という。

父が食べられないなら、食べられるものにすればいいじゃん。

「食べられないものを食べさせずに、置くだけですか。そうですか。」

私は頭にきた。

「じゃあ入院費の食費部分いりませんよね。明日から私、父の食事の時間来ますから。」

 芭沫病院と会社の距離と時間、必要な休暇の時間を最速で計算しながら私は宣言した。50歳、独身の私は世の辛酸を舐めたシステムエンジニア(以後略:SE)。真実は自分で見極める。こんな病院は間違っている。はっきりいって、いらない。


 父の味覚が残っているのなら、それを満たすのが最期の務め。

 私は時間単位の介護休暇を1か月取り、食事の時間に脱脂綿に少量だけスープや紅茶を浸して、寝ている父に飲ませた。父はずずっと音を立ててそれをすすった。だから、これが望んでいることだと思う。

 そんな毎日がまだまだ続くと思っていたある日、唖穂看護師から電話が入る。

「あのー、点滴の注射器がこわれちゃってえ、先生しか治せないんですう。」

「先生にやってもらってください。」

「すぐにこられないみたいでえ。」

「別な医者手配してくださいよ。」


 医療界あるあるか。看護師にとって患者様よりお医者様。ヒエラルキーは患者が底辺、真ん中看護師、一番上はお医者様。

 点滴が入らなくなり数日後、痛み止めもなく、苦しんで、父は死んだ。余命宣告通り、芭沫病院の滞在4か月目の事だった。

 注射器の破壊は、余命を正しくするための故意だと私は思う。


 最初からこうなると分かっていれば、親が初老になる時点で、いくつかの病院の品定めをしていた。たしか、病院には系列というものがあるのだろう。中野下大学病院 経由 芭沫病院に行くコースなど絶対に回避した。病院といえど、資本主義の一端。訴えるのは、政府にではない。

 みんな政府に何を訴えているんだ。「福祉を手厚く」なんて、スローガンだけ訴えているから何も進まないんじゃないか。そもそも、与えられるパイは有限、パイの中で見当違いのニーズを追求されたら残らないのは当然。

 良いサービスは栄え、いまいちなサービスが競争で廃れる、それが本当の資本主義。それを社会活動で行うのが正当。良いサービスに正しい対価を、いまいちなサービスは、良いサービスと同等に扱わず、正しく自然淘汰させること。福祉という名のもとに一律にごまかすな。消費者は支援者、選択こそ重要。福祉においても、良いサービスを提供するところを後押しし、いまいちなサービスを使わない。私の中に、経験のマグマがコアとして刻まれた。 









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