第十一話 初めての本(一)

 翌日の朝食は、卵粥、厚揚げと茸のあんかけ、ほうじ茶だった。卵と厚揚げも凪が口にしたことのないもので、感動しながら味わった。


 朝食のあと、


「――ちょっといいかい?」


 部屋の外で鮫の王の声がした。


「あっ、はい……!」


 あわてて布団から出て正座する。


 そろそろとふすまを開けた鮫の王は、大量の本を抱えていた。次の瞬間その本が崩れ落ち、一冊の角が王の足の甲を直撃する。


「いたたたた……!」


 鮫の王は尻もちを突いて足を押さえた。


「大丈夫ですか!?」


 立ち上がって駆け寄ったが、昨日出逢ったばかりの男性に触れることなどできず、代わりに本を拾い集める。


「ありがとう……。真帆にもよく叱られるんだ、陛下はおっちょこちょいすぎるって」


 ――これもまた、臣下が王に言う台詞ではない。


 と、鮫の王はふいに眉を曇らせた。


「すまない、怪我人にこんなことをさせてしまって……。傷は開かなかったかい?」


 言われて初めて、凪はもう傷が痛まないことに気づく。


「はい……もうすっかり治ったみたいです」


「よかった。やっぱり真帆の薬の効果は絶大だなぁ」


 鮫の王の表情はぱっと晴れた。


 何ていうか……可愛い方だな……。


 思ったとたん、凪は赤くなった。男性に――それも自分より何十歳も何百歳も年上かもしれない高貴な男性に対して「可愛い」だなんて、失礼にもほどがある。


 だが、鮫の王は凪の顔色の変化には気づいていないようで、


「ところで、この本、君に持ってきたんだ。寝ているだけじゃ退屈だろうと思ってね」


 いちばん上に積まれていた本に手を置いた。


「えっ……?」


 まず驚きに、次につい先程とは比べ物にならない羞恥に襲われ、


「ご、ごめんなさい、わたしは字が……」


 凪はいっそう赤くなった。


「わかってる。あっ……いや、その、君を馬鹿にしたわけじゃなくて」


 鮫の王はあたふたと両手を横に振り、


「いずれにせよ、この本は人間には読めないんだ」


 あきらめたような困ったような笑みを浮かべた。


「人間には読めない……?」


「ああ。鮫人のことば……この国の鮫人のことばで書かれているからね」


 納得しかけたが、


「では……どうして皆様とわたしはお話が……?」


 すぐに当然の疑問が浮かんだ。鮫の王はわずかに肩を上下させる。


「単純すぎて拍子抜けさせてしまうかもしれないけれど、私や真帆や洋子はこの国の人間のことばも話せるんだよ」


「あっ……」


 そうだ、そんな単純なことにも思い至らないなんて、自分は何て愚かなのだろう。先程から恥ずかしいことの連続で、芥子粒けしつぶのように小さくなってしまいたいくらいだ。


「ごめんなさい、わかりきったことを伺ってしまって……」


 凪がうつむくと、


「い、いや、単純と言ったのはそういう意味じゃなくて……」


 鮫の王が再び両手を横に振った気配がして、こほんという咳払いが聞こえた。


「とにかく君は何も悪くないし、ええと……鈍いわけでもない。だから顔を上げてくれないか」


「は、はい……」


 凪がおずおずとそのことばに従うと、鮫の王ははっきりと安堵の色を浮かべた。やっぱり可愛い――と思ってしまい、あわてて打ち消す。

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