第2話 十字軍へようこそ
「驚きましたな。私が聖都を経ってからの間に、こうも変わってしまうとは」
数日後、私はロア城にて奇妙な神父と対面していた。マデラウスと名乗るこの男は、元はどこぞの司祭だったようだが、今は別の活動をしており、その資金集めのため諸国を旅しているようだ。昨日、西の方角からこのロア城に到着し、武装したズィーメリー兵が物々しくひしめいている様に目を丸くしていた。
「まあ、色々ありまして……」
フォーレンフェルの戦いでは、私が一騎討ちを制したことで味方の士気が上がり、反対に敵方は戦意をほぼ喪失した。私たちは敗走するロアフォーレン勢に追撃をかけて戦果を拡大した上、母フェリーカを捕縛するに至った。そしてその翌日にはズィーメリー勢はロア城まで進軍し、主なきこの城を目立った抵抗なくあっさり占拠したのだった。
「政情が不安定な中、神父に来ていただけて恐縮です」
「いやなんの。こういう時にこそ参らなければ、伝道師としての使命は果たせません」
自らの使命について語る彼の目は恍惚としていて、なんだか気味が悪い。てきとうに話を切り上げよう。
「つまり、寄付をすればよろしいのですね?」
「できれば、兵をお貸し願いたいのですが、ご無理でしたら寄付で結構です」
「へ、兵?」
話がよく呑み込めない。私がさっきまでの神父の話を半分以上聞いてなかったのが悪いのだろうが。てっきり金か土地をせびりに来たのだと思ったら、軍事力を貸せと言う。
「はい。十字軍なのですから、兵が必要なのは当然です。ロアフォーレン侯自ら参戦していただくのが、救いの道に一番近づきます」
そういえば、この男はさっき十字軍に携わっていたと説明していた。どうでもいいから忘れていた。
「わ、分かりました。考えておきましょう」
とりあえず、マデラウスには城の一室を与えてゆるりと過ごしてもらうことにした。できれば、このまま二度と顔を合わせることなく、穏便に立ち去ってもらいたい。
*
そんなことよりも、私たちにはもっと深刻な問題が降りかかっていた。ロア城を占領した翌日には既に、シュレーン王から母宛に、必要なら援軍を送る旨の内容が書かれた手紙が届いていた。もちろん母は幽閉中なのでこれを読むことはなかったが、会議の場でアルカト・ファ・デュッセンは渋い顔をした。
「やはり、シュレーン王国との衝突は避けられないかもしれない」
ズィーメリー勢をロアフォーレン侯領内に引き入れての政変はシュレーン王国にとって面白くない出来事だろう。そのため、私がズィーメリー王に従属するのは当面見合わせ、あくまでシュレーン王国へ帰属したままロアフォーレン侯を相続する形を取った。とはいっても、その実態がズィーメリー勢による傀儡であることは明らかだった。
「シュレーン王の軍勢が攻めてくるとすれば、どうなるでしょう?」
リューク・ファ・ヴァーグヘレンが質問する。群雄割拠のシュレーン王国において、シュレーン王が直接率いることができる軍勢は一万から二万とさほど多くはない。だが、シュレーン王の呼びかけに王国内の諸侯が応じて参陣すれば、もっと多くの兵が攻め寄せてくることになるだろう。
「さあ……折角手に入れた広大なロアフォーレン侯領を簡単に手放したくはないが、あんまり長期戦になるようなら、本領に引き揚げる方がいいだろう」
「それは……」
思わず私は声を上げる。ズィーメリー勢がそれぞれの本領に引き揚げれば、ロアフォーレン侯領の軍勢だけでシュレーン王国と戦わなければならなくなる。見捨てられるも同然だ。
「そ、そうなったら、私はどうなるんですか……?」
「さあ。シュレーン王国内部の問題だからな。場合によっては、ランクテどのの身柄をシュレーン側に引き渡すことになるかもしれん」
アルカトが無慈悲に告げる。これに対して、私が反応するより先にリュークが席を蹴って立ち上がった。
「いくらなんでも酷くないですか!? 我々はランクテどのを保護すると一度決めたのです。それを、旗色が悪くなったからといって簡単に放棄するのでは、筋が通りません」
「リューク、落ち着け。筋を通したとして、我々に何の得があるんだ」
アルカトが睨みつけてくるのに対して、リュークは毅然と言い返した。
「私たちは騎士です。騎士としての誇りを貫くべきです」
「誇りなんてもの、何の役にも立たないぞ。俺が参加していた防衛十字軍は、異教徒との戦いに負けて全てを失った。戦いはな、負ければ意味がないんだ!」
思わず激昂したアルカトは、はっとして周りを見渡す。普段の落ち着きはらった姿からは想像できない一面だった。そこにパイシェン・ファ・マイヤーが割って入った。
「まあまあ、二人とも。まだシュレーン王と戦うと決まったわけでもないし、結論を急ぐ必要もないんじゃないか」
最年長のパイシェンに諭され、二人は矛を収めた。
*
「アルカトどのも、あんな言い方する必要無いのにって感じだよね」
私は味のしない夕食を口に運びながら、リュークに話しかけた。リュークは私に対する事実上の監視役であり、夕食も私と一緒に摂っていた。話す時間が増えたからか、なんとなく彼には気を許していた。
「防衛十字軍での苦い経験が、よっぽどこたえたんだろうな。戦うこと自体を怖がっているようだ」
リュークは悪態をつくが、私には、アルカトの言うことにも一理あると感じていた。彼は単なる敗北主義者ではなく、不要な戦いを避ける主義であるように見うけられる。
(この戦いは、私にとって必要なのかな。そもそも、私はこれから何をして生きていけばいいんだろう……)
私の悩みをよそに、リュークはせっせとパンを頬張っている。
「ん、どうしたランクテ。食欲無いのか?」
「うん、まあ」
「会議のことは気にするな。ズィーメリーの騎士はそう簡単には負けん。ランクテのこともロアフォーレン侯領も、どちらも守ってみせるさ」
「ありがとう……」私は俯いて視線を逸らす。「でも、どうしてこんなに私の味方をしてくれるの?」
「それは……まあ、ほっとけないからな」
「ふうん。リュークは優しいんだね」
思えば、私の個人的な復讐を遂げるためにこの人たちは力を貸してくれた。私はもう少し、この人たちに恩義を感じるべきなのかもしれない。
「決めたよ。私、リュークたちと一緒に戦う。私に何も与えてくれなかったロアフォーレンやシュレーン王国の利益よりも、リュークたちの利益になることをしたいよ」
*
私がリュークと解散して自分の寝室に戻ろうとすると、部屋の前にパールシャが座り込んでいた。
「どうしたパールシャ。こんな私的な場所に来るなんて、本来なら罪に問うところだよ」
「お嬢さま。いえ、もう今は閣下とお呼びした方がよろしいか」
「どっちでもいい。お前は特別だ」
パールシャは「畏れ多いことでございます」とかしこまると、おもむろに私の手を取った。
「そう思っていただけるのでしたら、お嬢さまに特別のお願いを聞いていただきたく存じます」
「なあに?」
「シュレーン王国に降伏してください。戦いはなんとしても回避しなければなりません」
その申し出を私は意外に感じた。彼が個人的な事柄を越えて、政治的な意思決定にまで口出しをしてくる性格だとは思っていなかった。
「そんなこと、できるわけがない。どうしてそんなことを?」
「このまま王国間の戦いに我々が巻き込まれれば、ユイ家が滅ぶかもしれません。どちらの王国が優勢であるかに関わらず、その危険性があります」
「だからと言って、無茶を言わないで。第一、ズィーメリーの騎士たちが納得しないだろう。私一人で決められることじゃない」
「いいえ、決められます。これはユイ家に関することで、あなたは他でもないロアフォーレン侯なのですから」
うやうやしく振舞いながらも、鬼気迫る表情で訴えてくるパールシャの勢いに、私はなんだか寒気がした。
「そ、そうだな。パールシャの言うことも一理ある。考えておこう」
適当にあしらって部屋に入ろうとする私の手首を、パールシャがぐっと掴んできた。
「考えておく、では心もとなく存じます。今この場で、私めに約束してくださいませ」
「しつこい!」
堪えきれず、私は大声を上げた。
「そんなこと、すぐに決められる話じゃないでしょ。いくらお前でも目に余る。私はもう寝るからな!」
私はパールシャの手を振りほどいて部屋に滑り込み、内側から扉の鍵をかけた。もうそれ以上彼の声を聞きたくなくてコンフォーターを頭から被る。誰にどんな筋を通せばいいのか分からない。リューク、パールシャ、アルカト……そして、顔も見たことがないシュレーン国王。みんながそれぞれの思惑で動いている。その中で私はどういう役割を果たせばよいのか。
これまでは、兄の見せてくれる夢の中で生きていればよかった。でも、もう兄は自分で殺してしまった。私は現実から逃れるように目を閉じ、そのまま眠りに落ちた。
*
「おいランクテ、起きろ! 大変なことになってるぞ」
リュークが廊下で怒鳴る声で、私は目を覚ました。無礼な起こし方に対して無視してやろうかとも思ったが、ふと嫌な予感がして私は飛び起きた。きっと何か緊急事態が発生しているに違いない。私は身だしなみもそこそこにして、部屋を飛び出した。
「老人が塔の上で何やら喚いている。もしかしたら飛び降りるかもしれない。とにかくすぐ来てくれ!」
「なんだ、てっきりシュレーン国王が攻めてきたかと……」
と言いかけて、はっとした。老人というのはもしかして……。慌てて城の外に出ると、物見のために設けられた塔の頂上に人影が見えた。遠くから見ても、それがパールシャであることは一目で分かった。私が駆けていくと、向こうも私をみとめた。
「お嬢さま、私の願い、聞き届けてくださいますか! シュレーン王国に降伏して下さいますか!」
パールシャは柵から身を乗り出し、落ちるか落ちないかのギリギリの体勢をとっている。きっと私が彼の諫言を受け入れば身を投げるつもりなのだろう。かといって、彼の言う通りにすることもできない。後ろにチラリと視線を送ると、リュークが眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
「私を脅すのか、パールシャ! 昨日も言っただろう。すぐに判断できる事柄ではない! 馬鹿なことをしてないで、すぐに降りてこい!」
「今すぐに決めていただかねば困るのです! お嬢さま、お願い申し上げます!」
パールシャには議論をする気など無いようだ。あの老人は、なにをむきになっているのだろうか。私は怒りと哀憫の入り混じった感情を爆発させた。
「お前は私の家来だぞ! なんで私の言うことが聞けないのよ!」
「確かに私は現在お嬢さまに仕えております……しかしそれは、お嬢さまが生まれる以前からユイ家に仕えて参ったからです! ユイ家の存続こそが私の使命なのです!」
パールシャは更にもう一段身を乗り出す。
「私の願いをお聞きいただけないのならば、せめて私の主家への最後のご奉公を、お見届け下さいませ!」
「お、おい馬鹿な真似は—」
止める間もなく、パールシャは空中へと飛んでいた。その体は垂直に落下していき、私の眼前で地面に強く叩きつけられ、ばらばらに砕け散った。
「あ……パー……ルシャ……」
私は精神的ショックのあまり、しばらくその場で固まっていた。思考がまとまらない。死んだ……? これは、私のせいなの? 兄の時と違って直接手を下したわけではないが、私が殺したのか……? そうだとしたら、あまりにも実感の湧かない殺人だ。私は自分でも訳が分からないまましゃがんで、そこらへんに散らばっているパールシャの肉片をすくい始めた。
「や、やめろよランクテ……」
リュークの声がして、私は一瞬手を止める。
「でも、パールシャが……」
「いいからやめるんだ、やめてくれ」
リュークが私の肩を掴んで、私の身を起こすように後ろに引っ張る。その拍子に、私が手ですくっていたものが私の服の上に零れ落ちた。
「ひっ」
そこから先のことは、よく覚えていない。
*
ずっと、教会に籠っている。流石にズィーメリーの人たちは、ここまで話しかけに来たりはしない。リュークでさえも。私は放心状態のまま、ずっと天井の絵画を見つめている。
考えるべきことは、沢山あった。だが、何も考えられない。
(私はきっとこのまま、パールシャの犠牲を無駄にしてしまうんだろうな……)
そもそもパールシャは犠牲者なのだろうか。彼は自分で塔から飛び降りただけだ。だから気にしなくてもいい、などという結論は、私の心が受け付けていなかった。
静寂を破り、教会の入り口の扉がゆっくり開く音がする。こんな時に、誰だろう。振り向くと、十字軍からやってきた僧侶マデラウスが、こちらに向かって歩いていた。
「少し、よろしいですかな」
「なんでいらしたんですか」
「はて、教会に聖職者がいるのは当然のことと存じますが」
ぬけぬけと言い放って、マデラウスは私から少し離れた席に座る。こういうところが、胡散臭い。
「それから、元々司祭なのですから、悩める人の話を聞くのも仕事です」
「別に……あなたに話して、どうにかなるものではありません」
「それは分かりませんよ。もしかしたらあなたを救う方法をお教えできるかもしれません」
私はふうとため息をついた。
「この状況から、どうにかすることなんで出来ますか? それとも、気休め程度の説教でもするんですか? もう、何もかも壊れてしまった……パールシャも死んでしまったし……」
「確かに、彼を復活させることは出来ません。でも、あなたはせめて贖罪がしたいと思っているはず。そして、救われたいと思っているはず」
分かったような口をきくマデラウスに、私は腹が立った。
「そんな簡単に贖罪とか救済とか言うな! 私は……私は本当に取り返しのつかないことをしてしまったのよ……。どうやって償えって言うんだ、償えっこない! 私は、救われちゃいけない人間なんだ」
怒鳴り声を上げると、自分の目から涙が溢れ始めた。嗚咽が出そうになるのを止めようとして、喉の奥から唸りながら私は泣き始めていた。
「あなたの本音が聞けて良かった。あなたのような人ほど、本気で救いを求めるというものです」
マデラウスは私が一通り涙を流し終わるのを待つと、また話し始めた。
「我らが転生十字軍に捧げなさい。あなたの土地も兵隊も、全部」
「は? こんな時に何を……」
また激昂しかけた私をマデラウスは「まあ聞きなさい」と制止する。
「これで、ユイ家を滅ぼさないというあのご老人の悲願が叶えられます。ロアフォーレン侯領が十字軍の土地ということになれば、シュレーン王国といえど手は出せませんし、十字軍の一員であるあなたを殺すこともできませんから」
それほどまでに、この世間で十字軍の持つ政治的正しさは強かった。私ははっとする。
「な、なるほど。妙案だ」
頷く私に対し、マデラウスが真っすぐ視線を投げかけてくる。
「それに、あなた個人が十字軍に参加してほしい理由が、二つあります」
*
翌日、私はズィーメリーの騎士たちに対し、ロアフォーレン侯領を十字軍に寄進することを発表した。これがシュレーン王国との衝突を回避できる有効な策である以上、反対する者はいなかった……ということになったが、私の懸命さというか、気魄で押し通したところが大きい。
「それで、結局我々はどうなるんだ?」
リュークが尋ねると、パイシェンは
「まずは、十字軍の方に話を通しに行かなければならんだろうな。土地はいいとしても、兵力を寄進するというのは十字軍に加わるということだ。先方が必ずしも仲間に加えてくれるとは限るまい」
と答えた。私は
「これはロアフォーレン侯領の問題なんだから、私一人が話をつけに行ってくればいいですよね」
と言ったが、パイシェンは首を横に振った。
「一応、同行しよう。我々はランクテどのの後見的立場だ」
最早、ロアフォーレン侯領がズィーメリー王国のものとなる可能性はなくなった。しかし、十字軍内でのプレゼンスを高めることで間接的にロアフォーレン侯領の利権を活用できると考えたのだろう。
こうして、私、リューク、パイシェンの三人は、十字軍の幹部が滞在しているというビタリー帝国首都ロムスへ旅立つこととなった。
そして私は、運命の出会いを果たすことになる。
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