第3話 出会い

 異世界からの転生者・聖ベネディクトゥスが四百年前に伝道したとされる「救世主の教え」。現在では信者数を大きく増やし、教皇を頂点とする教会組織が政治的影響力を保持している。その聖ベネディクトゥスが処刑された場所が聖地カナーノキアであり、現在自然崇拝者の支配下にある。このカナーノキアを異教徒の手から武力で取り戻すのが十字軍の使命である。


 カナーノキアの支配権を失って以降数年間、十字軍の歴史に空白があったが、昨年オルトモンテ候の次男ソマス・ウェ・ターリエが中心となり、タリハリ伯ルエイ・ウェ・カーラを総司令官に迎え入れて十字軍を復活させていた。この十字軍は、それまでの防衛十字軍と区別して転生十字軍と呼ばれていた。


 *


 ロムス市街のとある建物の一室にて、私は一人で転生十字軍の幹部が来るのを待っていた。一緒にロムスに来たリュークとパイシェンがなぜ呼ばれていないのかというと、先方が


「面会にいらしていただくのは代表者一名で結構」


 と使者を通じて伝えてきたからだった。「それでは私が伺おう」と最年長のパイシェンが名乗りをあげると


「十字軍参加の申し出はロアフォーレン侯ランクテ・シャン・ユイさまよりなされました。代表者はランクテさまだとこちらは認識しているのですが」


 と使者は言う。


「これは、露骨に主導権を握りに来てるな……」パイシェンは苦笑いをする。かと言って、こちらは拒否できるような立場にない。「ランクテどの、くれぐれも気をつけなされ」


 この時私はあまりピンときていなかったが、部屋の扉が開いて転生十字軍の幹部が四人ぞろぞろと入ってきた時、それがどういうことか分かった。こちらが一人に対して向こうは四人。それに、向こうは全員が私よりも年上っぽそうだ。あまりの圧迫感に、私は極度に緊張した。


 四人の内訳は、白髪の目立つ五十過ぎの男と、いかにも教養高い貴族という感じの男、体格の良い男、黒髪の女だった。年配の男以外は皆若く、私より幾らか年上なだけであるようだった。


「ランクテどの、お初にお目にかかる。ルエイと申す」


 年配の男性が最初に口を開く。随分偉そうな態度だったが、これ以降この接見で彼が発言することは無かった。つづいて、貴族然とした男が


「港湾騎士団長ソマス・ウェ・ターリエといいます。待たせてしまってすみません」


 と名乗った。これが転生十字軍を事実上指揮するという人物か。戦争の好きな荒々しい男かと勝手に想像していたので、かなり意外だった。


「港湾騎士団副長モーガン・ウェ・スーレです。よろしく」


 体格の良い男が名乗った。こっちの方が十字軍の騎士らしい見た目をしている。


「港湾騎士団騎士イレーネ・ルン・フィーラです」


 女が名乗る。前置詞がルン、ということはズィーメリー人か。ズィーメリー貴族の人名は、男性だと前置詞がファ、女性だとルンになる。ルエイもソマスもシュレーン人だった時点でシュレーン人中心の組織かと思ったが、違ったのかもしれない。


「ら、ランクテ・シャン・ユイです。あ、あの、今日はよろしくお願いします」


 私が名乗ると、ソマスがイレーネの方を向く。


「いや、ソマス。彼女は紛れもなくシュレーン語を喋っているよ。発音は確かに、ズィーメリー語っぽいけど」


 イレーネがゆっくりとしたシュレーン語で話した。シュレーン王国の中でもかなり国境に近いロア地方では、ズィーメリー訛りが強い。ソマスは最初私がズィーメリー語を話していると勘違いして、イレーネに通訳を求めたのだ。


「すみません。あの、ちゃんと喋ります」


 私だって気をつけてゆっくり喋れば、綺麗な発音ができる。


「こちらこそ失礼しました。早速本題に入りますが」ソマスは咳ばらいをして、話を続ける。「ランクテどのは、転生十字軍というのはカナーノキアまではるばる遠征するプロジェクトであるということをちゃんとご理解なさった上で、編入を希望されるのですか?」


「はい、そうですけど……。あの、私、ちゃんとカナーノキアまでお供します」


 私が答えると、今度はモーガンが突っ込んできた。


「言っておきますが、簡単な話じゃありませんよ。異教徒はかなり強大な勢力です。あなたは死ぬかもしれないし、逆に私らが倒れた時は、あなたが代わって全軍を率いてもらわないといけない。その覚悟があるんですか?」


「ある……と思います」


 私の返答は何とも頼りない。


「ほう。まあ、口でなら何とでも言えますけど」


 モーガンの厳しい追及に、私は頭が真っ白になりかけたが、マデラウスに言われた言葉を思い出して、少し落ち着きを取り戻した。


「十字軍に参加することそれだけで、人生でのこれまでの罪が赦されると聞きました」


「正確に言えば殉教すれば、だが、概ね間違ってはいないでしょう」ソマスが頷く。


「それから……」私は続ける。「何かが変わる気がするんです」


「何かとは?」


 モーガンが厳しい目を光らせる。


「それはまだ、分かりません。これまで私は狭い世界で生きてきました。辺境の故郷で、自分の見たいものだけを見てた。でも、それじゃダメなんです。広い世界を見て、色んな人たちと会って、自分と向き合わなきゃいけないんです」


 私の言葉を聞いたモーガンは、ふうと息を吐いてソマスの方を見る。


「なんかふわっとしてるけど、どうする?」


 ソマスは、何も言わない。


「私は、ソマスの決定に従うけど」


 イレーネは髪をくるくるといじりながら言い放つ。ルエイは、寝かけていた。


 しばらくの沈思の後、ソマスは口を開いた。


「いいでしょう。ランクテどのを、我々の仲間として迎え入れます」


 こうして、私の転生十字軍への編入が決まった。


 *


 その後、細々とした取り決めを交わし、お開きとなった。特に重要なこととして、私たちがソマスの指揮系統下に入ることとなった。


「全軍が合理的に作戦を遂行するためには、指揮系統の統一が不可欠です。そういうものですから、受け入れてください」


 と、反論の暇さえもらえずに決められてしまった。


「うーむ、案の定、やられたな」


 パイシェンには苦い顔をされたが、私は正直どうでもよかった。


「ちょっと街に出てくる」


 今日は初対面の人と話して緊張したり、難しいことを考えたりして疲れた。虚ろな気分のまま、私は宿舎を出て散策に繰り出した。折角ロムスまで来たのだ。異国の雰囲気を味わうのもいいだろう。宵闇の中に浮かぶ篝火の光と熱を感じながら石造りの街並みを通り過ぎていくと、憂鬱な気分も少し和らぐ気がする。やがて私は、こぢんまりとした食事処の前で足を止めた。気づけば随分とお腹が空いている。何か食べようと店の扉をくぐると、意外な先客がいた。


「おっ」


 入口に近い席に、ソマスが座って料理を待っていた。


「あ、どうも……」


 思わず引き返そうとしたが、ここでソマスを避けるのも何だか変な気がするので、私はその場に踏みとどまった。


「えっと、ご一緒してもよろしいですか?」


「ええ、どうぞ」


 私は店の者に注文を伝えると、ソマスの向かいに腰を下ろした。


「今日はご苦労様でした。大変だったでしょう」


 ソマスの口調は穏やか。私的な場でもしっかりとしているんだなという印象を受ける。


「まあ……ちょっと疲れました」


「そうですか」


 二人の間に、気まずい沈黙が流れる。向こうはこちらがどういう人物か測りかねているようだ。それも当然か。彼にとってみれば、私は侯爵位を簒奪したという異常な経歴の持ち主で、どんな人間性を持ちあわせているか、果たして仲間に加えていい人物なのか何も分からないに違いない。でも、だとしたら。私は湧きあがってきた素朴な疑問を直接ぶつけてみることにした。


「あの……団長どのは何故、私の加入に賛成なさったんですか?」


 何をもってソマスが"いいでしょう"と言ったのか、私にはさっぱり分からなかった。彼は視線を私にぶつけてくる。


「ランクテどのは、救われたがっている。そう思ったからです」


「その、救いって何なんですか? 同じようなことを、マデラウス司祭からも聞きました。でも、私には救済とは何なのか分からない……」


 ソマスは少し考えてから答えた。


「簡単に言うと、天国へ行くことです。十字軍の兵士として殉教、則ち戦死すれば、どんなに罪深い人間でも免罪されて天国への階段を登ることができると言われています。でも……」声の調子がやや落ちる。「私は、別の形の救いもあると考えています」


「えっ、それはどんな?」


「一言で表すのはなかなか難しいですが……一人ではできないことを、大勢で成し遂げる。そのことに意味があるんだと思います。一人では善行を積むことができない性格の人間だっていますし、一人で出来るもっと大きなことを成し遂げてみたいと思う人だっています。そんな人たちが集まって、協力して、一つの目標を目指す。防衛十字軍には出来なかったことであり、何か得るものがあるんじゃないでしょうか」


 ソマスの言っていることはよく分からなかったが、彼が自分独自の考えを持っていることを私は意外に感じた。十字軍の人間というのは、教会の主張を真面目に信じ自分でも同じ主張を繰り返すイメージがあったが、ソマスほどの立場の人間ともなれば違うようだ。


「私は……救われるのでしょうか? 私は、どんなことをしても免罪される気が到底しないのです」


「あなたが強く求め続ける限り、救いの道は常に拓いていることでしょう」


 ソマスの言葉は、どこまでも真っすぐだった。


「なんでそう言い切れるんですか? あなたは私のことなんて何も知らないのに……」


「信じているからです。救いは全ての人に用意されている、と」


「信じられない! そんなの……私のやってしまったことは、本当に取り返しがつかないんです……私のせいで、大切な命が失われてしまった……それなのに……」


 気づくと、私の目からぽたぽたと涙が流れ落ち始めていた。今日初めて会った相手に、あまりみっともないところは見せたくないのに。泣くまいとすればするほど、感情の昂ぶりが胸の奥からこみ上げてきた。


「その想いこそ、原動力になるはずです。あなたは頑張れると思いますよ」


 ソマスは私の肩に優しく手を置いた。彼の言葉が建前なのか本音なのか、今は分からない。けれど、暖かみを感じたのは確かだった。


 *


 教会でマデラウスにあの時言われたことが、脳裏に蘇る。


「あなた個人が、十字軍に参加してほしい理由が、二つあります」と、マデラウスは語る。「一つは、聖地奪還を目指すこと自体が聖なる事業であり、あなたの罪を洗い流してくれることです」


 それから、と一拍置いて、彼は続ける。


「もう一つの理由は、あなたに広い世界を見てほしいのです。この狭い故郷を出て、色々な人たちと出会って、行動を共にして、そしてあなた自身と向き合ってほしいんです」


 これは、ソマスたちとの最初の接見でも流用させてもらった言葉だった。もっとも、私の拙い言語能力では、マデラウスの言っていたよりややお粗末な言い方になってしまったが。


「十字軍には、そんなに凄い人たちがいるんですか?」


 その時は胡散臭く感じて、私は聞き返した。


「ええ、それはもう。そもそもあなたは今までこの狭い世界でしか生きてこなかった。言っちゃ悪いが、交友関係も限られていたし、それに伴って視野も狭い。だから、転生十字軍の人たちと会うことは、良い刺激になりますよ。特に、事実上軍を仕切っているソマスという方は、大変に思慮深い。彼から学び取れるものは多いと思いますよ」


「学び取って、どうなるっていうんですか……」


「それは、あなた次第です。何も変えられないかもしれないし、もしかしたら、人生の何もかもが変わってしまうかもしれません」


 *


 こうして、私と彼は運命の出会いを果たした。私が十五歳、ソマスは二十歳の時だった。

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